第二章:国際政治のチェス盤
2.1 情報の闇と記者の選択
舞台は再び、東京の新聞社に戻る。深見が航空博物館で過去の記憶を辿る一方で、三国記者は自身のデスク、河本に関する衝撃的な情報に直面していた。
三国のデスク、河本は、ジャーナリズムの根幹をなす「情報源の秘匿」というルールを破ったという。しかも、それを渋沢という謎の人物から得た情報で「ゆすり」に利用していたというのだ。渋沢は、河本を「社会的に抹殺」するため、三国に協力を求めてきた。その代償として、三国がジャーナリズム生命を賭けて追い求める「ディープスロート」からの情報提供が約束されていた。
三国は、自身の倫理とキャリア、そして過去の「犠牲」を顧みて、激しく葛藤する。彼は、かつて同僚を偽情報で陥れた経験があり、その罪悪感が彼を苦しめていた。再び同じ過ちを犯すのか、それとも、この誘惑に抗うのか。彼は、河本の裏切りを信じつつも、彼を陥れることにためらいを感じる。しかし、莫大な借金と、スクープへの執着が、彼の判断を鈍らせる。最終的に、三国は渋沢の要求を受け入れることを決意する。彼の心の奥底では、一抹の罪悪感と、成功への渇望が複雑に絡み合っていた。
2.2 国際政治のチェス盤
場面は一転し、権力の中枢、ワシントンD.C.へ。ある国際政治の専門家が、学生たちに講義を行っている。
「国際政治を丹念に分析するということは、チェスのプレイヤーが次の一手を長考しながら読むことに例えることができる」。彼は、講義室のホワイトボードに、チェス盤の図を描きながら説明する。
「よくある例えですな。国際政治をゲームと見立てるわけだ」。学生の一人が、皮肉めいた口調で口を挟む。「ですがそんなに、単純なことでしょうか。いやチェスゲームが単純といっているのではく、考慮する要素がチェスと国際政治ではまるで異なると思いますが」。
専門家は、その問いに冷静に答える。「それぞれの国際政治のプレイヤーたる各国の首脳は、歴史という過去のさまざまな前提条件の土俵の上で、歴史に紐付けされたある意味積み上げられた歴史が押しつけてくる、いくつかの避けられない判断メニューから、可能な限り合理的判断を行い、それぞれの当事国のリーダーがベターだと思われる選択肢をチョイスする行動だと言えるだろう。」
彼は、歴史の必然性を強調する。「歴史は偶然のイベントがランダムに集積した偶然の産物ではない。少なくとも国際政治史においては、各国のプレイヤーがそのときその場所で選択せざるを得なかったジャッジの連続であり、その集積だと言える」。
専門家は、学生の疑問を打ち消すように続けた。「君は混乱の状況の中で日本が打ってくる次の一手は予測不可能だというが、果たしてそうだろうか。歴史分析を軽んじ過ぎていけない。もっと敬意を払うべきだ。政治的な判断や行為は後から位置づければそれは政治史となる、まさにそれは歴史の範疇だ。歴史はさまざまな偶然の産物の集まりであると同時に必然の産物でもある。君のいうとおり各国の首脳が行う政策判断は国際的に混乱局面では偶然の産物に見えるかもしれない。だが彼らはでくのぼうの集団ではない。国際政治舞台でのプレイヤーとしての経験と知識を持っている。一見、混乱に満ちた偶然の産物のように見えても、彼らは彼らなりにある目的と意図をもって合理的に判断、行動しているのだ。」
2.3 将棋に見る日本の外交戦略
専門家は、さらに日本の外交を例に挙げる。「もう一度言おう。歴史はすべて偶然の産物、1回だけの再現性のない事実の累積なのだろうか。我々がこの難局を乗り切るためには相手の判断を予想し、それに対応できる政策判断を迅速に打たなければならない。日本にはチェスに似たゲームがある。将棋と言うらしいが。私は日本の外交判断を読むことは、将棋の棋譜を読むことに似ていると思う。将棋は取られたコマが相手の戦力となる。日本は周辺各国との巧みな外交戦略により、アジア周辺各国、特にアセアン各国を自陣に引き入れようと画策している。客観的に見れば各国の首脳は歴史という外部環境、つまり、対日の戦争の歴史を踏まえた上で今後の経済的発展を展望し、日本の外交戦略に対する一手打つ。それは将棋でいえば現在の局面が押しつけてくる事実としての外部環境に対して各国が次の一手をさまざまな合理的思考から抽出した手筋の中からチョイスすることだと言えるだろう。歴史は決して偶然の産物ではない。棋士が将棋をさすように、チェスプレイヤーがチェスをプレーするように、その局面において選択せざるを得ない、ジャッジが集積したものなのだ。」
彼は、日本の外交を軽視する者たちを厳しく批判する。「君は日本の外交カードが読めないという。アジアの猿の考えは想像もつかないと。相手を蔑視するのは構わないが、自分の無能さを棚にあげるのは待ってもらいたい。外交交渉をするものの一部に、外交はそもそも先行きが読めるものではないというものが多くいるが、それは自らの情勢分析不足を棚にあげているにすぎないことを肝に銘じてもらいたい。」
「アジアの極東の国の民族であろうと、それなりに民主主義世界の一員として発展を遂げてきた国であるならば、かの国がおろか者の国であるがゆえその国の行動は混沌に富み、不完全であるため、理解可能であるというのは全くもって誤った考えだというのが私の判断だ。」
「君は先行きが読めないと嘆いているが、それでは外交に携わるものとしては失格だ。その嘆きはまさに君自身の現在局面における分析不足を自ら告白しているにすぎない。開戦前夜という究極の混乱期であればあるほど、国際情勢はさまざまな複雑な因子が絡み合って一刻一刻移ろっている。そのゆらぎの混沌の世界を丹念に忍耐強く絡み合った糸を一本一本丁寧にほどいていけば、国際情勢は理解不能な混沌ではなく、不完全であるにせよ、十分に理解可能であり、判断を下し、それに基づき先行きを読むことが十分に可能な世界だ。」
アメリカの大統領は道徳的でも、清廉でもないが、国際政治のゲームプレイヤーとしてある程度の合理的に行動するとみなされている。であればこそ、相手国の元首に期待するような行動を誘発するための自国の行動の選択肢が浮かび上がってくるのだ。
もちろんアメリカの大統領も、自らの行った外交判断の結果を完全に予測、理解できるわけではない。そこはやはり不確定要素を多分に含んだ確率の問題だ。