第3部 交差の魔導士 外伝(意識の船へ) ep.2 船を目指して
『船を目指して』
その村は目前の山を越えれば、もう真近だった。
だが、女神はそれを阻止すべく、これまでとは次元の違う 追跡の精霊 を放つ。
空気が歪み、風が悲鳴を上げる。
テセウスとアンは山に分け入り、必死に逃げ続ける。
だが、二人ともすでに疲労の限界に達していた。やがて崖を背に、逃げ場のない場所へと追い詰められる。
アンを背に庇いながら、彼は悟っていた。
――ここまでか。
追跡精霊たちが放つ、止めの一撃。その魔力の奔流が、二人に迫る。
その瞬間だった。
突如として、暴風が巻き起こる。
それは精霊たちの魔力の軌道を乱し、放たれた一撃は反転し、逆に精霊たち自身へと迫る。
体勢を崩し、後退する追跡精霊たち。
テセウスは、思わず崖の上を見上げた。そこに――信じがたい光景を見る。
崖の縁に立っていたのは、かつて死んだはずの“異能者”。
レイだった。
レイは崖の上から二人の元へと舞い降り、精霊たちを蹴散らす。
テセウスの胸が、激しく脈打つ。
「……生きて、いたのか。」
「今のうちです。――さあ、早く」
その導きに従い、テセウスとアンはその場を離脱する。
精霊たちを完全に振り切り、ようやく追撃の気配が消えた、その時だった。
今まで沈黙を保っていた風の精霊が、堰を切ったようにレイへと語りかける。
「やはり、お前だったか。あの戦いで生き延びていたとは……相変わらず、しぶといな。」
レイはわずかに苦笑し、応じる。
「それはこっちの台詞だ。――お前のほうこそ、今までどこで一体何をしていたんだ?」
「お前がやられた瞬間、俺はお前と切り離されてしまったようで、彼をお前と勘違いして取り憑いてしまっていたようだ。
と言っても、お前が生きているということは・・・。道理で今まで頭が混乱していたわけだ。
俺はもう、どっちがどうというのが分からなくなってきたぞ。」
「なるほど。そういうことか・・・。」
彼自身も、風の精霊の接近を感じ始めた頃から、テセウスと似た感覚を覚えていた。
互いの記憶と意識が、少しずつ重なり合っている――そんな奇妙な感覚。
二人の意識は、確かに融合しつつあった。
――あの戦いの最後。
レイは女神の一撃を間一髪で避け、光に紛れて戦場を逃れていた。
奇跡的に命は繋いだものの、力尽き、道端に倒れ伏した。
彼を探し出し見つけたのは、かつて助けた村人たちだった。
彼らはレイを村まで運び、密かに匿った。
そこで、レイは今度は目立たないように静かに生きようと思った。
そして、もし自分が消えても、“魔法” だけは残り、村々の人が困らないように。
彼が村の一角で静かに魔術書を書き続けていた。
『贈りもの』
レイの導きにより、テセウスとアンはようやく村へと辿り着いた。
女神の気配は薄れ、張り詰めていた空気も、ここでは穏やかだった。
粗末ながら温かな家屋。
炉の火の前で、アンは深く息を吐き、ようやく肩の力を抜く。
――生き延びた。
その実感が、遅れて胸に広がっていく。
テセウスは、そんな娘の横顔を見つめていた。
これまでの逃避行。
恐怖、寒さ、空腹――そのすべてを、この小さな背中に背負わせてしまった。
(せめて、何か……)
そう思い、腰袋や荷を探るが、残っているものは僅かだった。
テセウスは荷の奥底に大切にしまってあった、壊れたネックレスを手にし、眺める。
その様子にレイが尋ねる。
「それは?」
「……これは、亡くなった妻の形見なんだが、ここまで逃げている途中で壊れてしまい、宝石も落としてしまって……」
テセウスの傍で悲しげなアン。宝石の抜けた空洞を、悲しげに見つめていた。
レイは衣服の奥から、小さな結晶を静かに取り出した。 ―― 魔力の粒石 ――
そしてその結晶の一部を魔力で切り取り、ネックレスに嵌め込んだ。そしてネックレスを修し、テセウスにそっと渡す。
「なんと感謝していいのか……」
レイは優しく微笑みを返した。
テセウスは感激して、それを幼い娘アンの首に掛ける。
その瞬間、ネックレスから、光、闇、炎、水、風の魔力がほとばしり、風の精霊がレイの世界の幻想的な風景を織り成し始める。
「わあ、きれい。これ、父さんが言ってた "おとぎ話" の世界みたい。レイは "おとぎ話" の世界から来たの?」
レイは少し困ったようにテセウスを見た。
テセウスは照れ臭そうに頭を搔いていた。
レイは、アンに微笑みかける。
「ああ、そうだよ。」
『謎の地点』
レイの魔力の粒石は結晶化しつつあり、因果の結晶へと姿を向かわせていた。
その力が静かに女神の支配の力と対抗し始めていた。
それがこの村周辺を、女神の力が及び難くいものとしていた。
だが、テセウスの所在や、レイの存命が知れた以上、いずれ本格的な討伐軍がやってくるのは避けられない。
その前に行動を起こさなければならない。
テセウス、レイ、アンと村人の有志たちは、因果の結晶を囲み、今後をどうするかを話あっている。
風の精霊が、因果の結晶に魔力を当ると、空中にこの世界の地図が展開される。
風が、ひときわ強くざわめいた。
「……妙だな」
風の精霊が、低い声で言う。
「因果の結晶の力は、薄く、広く伝わり始めている。だが……一箇所だけ、異様に濃い。」
風の精霊は、空中に地図を描くように、旋回する。
「自然な集中じゃない。――意図された魔力の偏りだ。そこに、この世界の魔力に関わる何かがある。」
レイは静かに言った。
「……行こう。本格的な討伐軍が来る前に」
『解放』
そこに突破口を求めて、レイとテセウス、村人の有志とアンはその地点へ向かう。
やがて――地表に口を開けた、古い石造りの裂け目を見つける。
地下へと続く、迷宮だった。
レイとテセウスは顔を見合わせ、頷く。村人たちとアンに入口の見張りを任せ、二人は闇の中へと身を滑り込ませた。
巡回する警備の精霊たちを背後から気絶させながら、迷宮深くに潜入する二人。
迷宮の最奥。
二人が辿り着いた先で、空間は突然、開ける。
そこは、地下とは思えぬほど広大な空洞だった。
無数の精霊たちが、規則正しく並び、魔具を――黙々と、ただ黙々と、作り続けている。
表情はない。怒りも、悲しみも、疑問すらない。
自由は奪われているが、生存は保証されている。だから、余計なことは考える必要はない。考えないことこそが、ここでの「安寧」だった。
テセウスの喉が、無意識に鳴った。
「……これは、平和と言えるのだろうか。」
「彼らに直接聞いてみよう。」
その時、門を守る巨大な角獣の精霊に二人は見つかってしまう。
角獣の精霊は他の守りの獰猛な精霊たちを呼び寄せ、戦闘となる。
激戦の末、二人は角獣の精霊たちを破る。
守りの精霊たちは、レイとテセウスに敗れたことで女神の呪縛が解け、我に返り、外の世界があることを思い出す。
我先に迷宮の外を目指す、門の守りの精霊たち。
それを見た、魔具製造に従事させられていた精霊たちも、次々と手を止め、顔を上げる。
思考が、再び動き始める。
そして――希望を持って外へ向かって羽ばたく。
『託された未来』
地下迷宮を出た瞬間、そこにあったはずの希望の気配は、完全に消え失せていた。
視界の先には、すでに陣を敷いた軍勢が、静かに、しかし圧倒的な数で待ち構えている。
女神を信じ、その命に従い、武器を取った人間たち。
そして陣の中央には、この世界の王が立っていた。
地下迷宮の異変を察知した女神は、すでに次の一手を打っていたのだ。
こうして、
レイとテセウス、解放された精霊たち。
女神と、それに従う人間たち。
二つの意志が激しく衝突する戦いが、避けられぬものとして始まった。
それぞれが信じる正義と主張がぶつかり合い、戦いは激しさを増していく。
やがて、その衝撃は大地を揺らし、空を歪ませ、世界そのものを軋ませ始めた。
異変を最初に悟ったのは、世界の王だった。
「全軍、攻撃中止!」
王の声が戦場に響く。
「これ以上の戦いは、この世界を壊す!剣を下ろせ!」
その命令に応じ、人の軍勢は動きを止める。
解放された精霊たちもまた、戦いをやめ、息を詰めるようにして見守った。
残るは、レイとテセウス、そして女神。
完全に癒えきっていない身体で戦うレイ。
テセウスもまた限界が近いことを悟っていた。
そして女神自身も、守り続けてきた世界が歪んでいく様を、否応なく突きつけられていた。
――もう、戦っている場合ではなかった。
極限の状況の中で、風の精霊が叫ぶ。
「二人とも……今のままでは、この歪みは止められない。
完全融合し、その力で世界を支え直すしかない!」
レイは、わずかに息を詰める。
「……でも、それをしたら、僕たちは身体を保てるのか?」
「分からない」
風の精霊は、正直に答えた。
「だが、魔術書に自分たちの存在を刻み込めば……“意識”としてなら、残れるかもしれない」
その言葉を受け、テセウスは迷いなく言う。
「君は無くならない。君と私の未来が、共に始まる、私はそう信じる」
レイは顔を上げ、言った。
「分かった。その道に進もう!」
風の精霊を介し、二人の意識が、完全に重なり合う。
時空と因果。
過去と未来。
個と個。
それらすべてを束ねた、究極の魔力が解き放たれる。
歪んだ世界は、静かに正され、女神の存在そのものを、ゆっくりと溶かしていく。
女神は、抵抗しなかった。ただ、静かに思っていた。
「やはり……この辺りが、私の去り際なのだろう。
最後に私に残されたことは――この世界の行く末に、祈りを捧げることだけ――」
女神は空を見上げ、祈るように呟く。
「さようなら……私の世界……」
その姿は、光となり、静かに消えていった。
『新たな時代』
戦いの終わりからほどなくして、王は民の前に立った。
混乱と喪失の余韻が、まだ大地に残っている。
王はしばし沈黙し、やがて静かに語り始める。
「……神は、この世界から姿を消された」
民の間に、ざわめきが走る。
「だが私は、神が私たちに "最後の啓示" を残されたのだと感じている」
王は天を仰いだ。
「――“自立せよ” と。
これからは、我々自身が、迷い、選び、責任を引き受けて行かなければならない。」
戦場の跡には、一冊の魔術書と、静かに輝く因果の結晶だけが残されていた。
やがて、その地には神殿が建てられ、地底深く、因果の結晶は厳重に安置されることとなる。
――人が、魔力を支配する時代の幕開けであった。
だが、レイとテセウスの身体は、どこにもなかった。
二人の意識は、精霊とともに魔術書へと刻まれ、深い眠りについたのだ。
その魔術書にはレイとテセウスが知り得た魔法の全ての記載が刻み込まれていた。
二人が着ていた外套は、書を守るかのように表皮となっていた。
そこには "中心に渦を抱く〈交差〉の刻印" が刻まれていた。
魔術書から父の声が、アンの心に呼び掛ける。
「レイと父さんのことは心配しなくていい。身体は滅んだが、その魂はこの書に宿っている。
だが、暫く眠りが必要のようだ。一人ぼっちにさせてしまって、本当に済まない。」
アンは唇を噛みしめ、王に問いかけた。
「王様……父さんとレイは、死んだの? それとも、この魔術書の中で、生きていると言えるの?
本当のことを教えてください。」
王はしばらく考え込んだ後、静かに答える。
「済まない。私にも正確には答えることが出来ない。その問いは、見方によって答えが違うのだと思う。
ただ、言えるのは、彼らが再び目を覚ます時、彼ら自身は、決して自分は死んではいない、生き続けていると確信していると思う。
―― "魂" とは、積み上げられた過去の自分を、まだ見ぬ未来の自分に、 "託し続ける" 営み ――
テセウスはそう言っていた。
もしそうだとしたら、私たちが毎晩眠り、朝、昨日の自分を疑うことなく目を覚ますのと、あまり違わないのかもしれない。」
王は魔術書を手に置き、眺めていた。 "交差の刻印" が心に強く焼き付いていた。
アンは、父から受け取ったネックレスを、胸元で握りしめた。
時は流れ――
数千年の時を越え、一人の少女が古文書を開く。
名は、ソラ。
書が開かれた瞬間、眠りについていた精霊は、目を覚ます。
ソラの胸には、孤児であった彼女が唯一持っていた品――テセウスのネックレスが輝いていた。




