胸の谷間を見られたもの悪夢なら・・
学校の門を通り、登校して来る生徒に交ざって歩き続ける。
「告美、おはよう。それは誰なの?」
後ろから聞こえたのは光莉の声だけど、いつもの様な無表情で淡々としたのとは違い、明らかに不機嫌を伝えるような早口。
振り返り、説明しようとした瞬間。
光莉は、私と同時で振り返った茅草くんに詰め寄り……噛んだ……!?
…………。
…………。
…………。
え?
光莉。幾らなんでも皆の視線のある場所で、それは無いよ!
沈黙に耐えられず、視線を泳がすように周りを見て驚いた。
誰も私たちに気を留めず、見えていないように何事も無く通り過ぎていく。
あ、これは光莉の能力なのかな。
光莉は茅草くんの首元に噛みついたまま、微動だにしない。
「……光莉?」
遠慮気味な小さな声をかけると、少しの反応。
光莉の唇が茅草くんの首から離れたけれど、牙が刺さっているのが見えて血の気が引く。
あれ、噛むって……そう言う事、なの?
「……あの、その……僕、こんな気持ち初めてで、どうしたらいいのか分からないです。恥ずかしくて、我慢が……ごめんなさいぃ~~!」
いよいよ一日の隷属状態が開始されたようだけど。
茅草くんは、顔を真っ赤にして人見知りの女の子のような反応で逃げてしまった。
「あぁ~~。可愛い獲物を見つけて興奮してしもたわ。てへ?」
無表情で、綺麗な顔の女子が言うセリフじゃないと思うのは私だけだろうか。
確かに彼の外見はそうだけど、男の子を獲物って。
「光莉、茅草くんが好みって事?」
冗談で噛むと言う事はあっても、本当に噛むのを見るとは思わなかった。
だって、この光莉が従属を願うとは考えられない事だから。まして恋愛に使うなど。
「むっちゃ、そそられるわ。これが私の初恋やろか。ふふ。いじめがいがあって……逃がさへんけんな……くく。」
茅草くん、逃げて!
予鈴が鳴り響き、私たちは急いで校舎に走った。
何とかHRに間に合い、息を切らしながら自分の席に座る。
出席の返事を終えて、視線は窓の外に。所々に雲があるけれど、広がるのは青空。
目まぐるしい変化に思考は追い付かず、どこか他人事。
この空に似つかわしくない変化の記憶。
恐怖に包まれ、寒気がする。
「告美、HR終わったんよ。なぁ。朝、何があったか訊いてもえぇ?」
声に反応し、目を上げて現実を取り戻す。
無表情だけど、光莉の眼は心配しているのが分かる。
……ん?強烈な視線。
その気配を辿って目を移動させると、教室の出入り口に立っていたのは茅草くん。
頬を染め、こちらの様子を窺い、私の視線に姿を隠す。
視線を光莉に戻すと、少し黒い笑顔で首を傾げた。
……私の額に汗が滲むのは、どうしてだろうか。
これが放置プレイってやつなのかな。
どう対応していいのか分からない私を無視して、光莉は話を進める。
「“彼”に会うたんやろ。私が今、言えるんは……“彼”も告美を配下に置けんのだけは覚えておいて欲しいんよ。」
配下じゃないのに、あの圧力。
言葉に誘発されて、現実で変化をした程……
抗うのは未来。生じる恐れも先が見えない故。
光莉、ありがとう……覚えておくわ。きっと、その言葉が役に立つ日が必ず来るだろうから。
……それにしても、茅草くんは大丈夫なのかな。
立ち去った光莉の方向は紛れもなく彼の居た方向。
応援すべきなのに、隷属状態にしたからか戸惑いを覚える。
その日限りの関係……それは、一度限りではないかもしれない。
光莉の眼は笑えない程に真剣で、狙った獲物を『逃がさない』と言っていた。
付き合うって、どういうことなのだろうか。
私が抱いた淡い恋心。
“彼”を好きになって当然……私の理想を重ねた……から。
確か鏡のアヤカシだと言っていたけれど。
それは、私の見ていたのが理想を映した姿だったと言うことなのかな。
淡い想いには確かに、その記憶が残っている。
この数日で巻き起こる現実に、付いて行けない。
いっその事、夢だったのだと思ってしまった方が楽だ。
吉凶を萌し、不吉を告げる役目……彼には今回、必要なかった。
それは私の悪夢。それも一時のこと。
苦しみと恐怖に包まれたのは確かだけど、今も思い出すだけで震えるけれど……