表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/58

第2話 昔話

  彼らが去った後も、エレオノーラは二人が消えていった方向をずっと眺めていた。辺りは静寂に包まれており、鳥の鳴き声ひとつしない。深い森の奥にあるこの場所は滅多に人が立ち寄らないのだ。

 エドワルドとギルバート、そしてエレオノーラの三人だけしか知らない秘密の場所。人魚は美しいがために拐われて売られることも多く、人魚であるエレオノーラが安心して過ごせるように、昔から二人と会うときはこの場所だった。彼らとの付き合いも、もう何年になるだろうか。

 はぁ、と小さくため息をつき、水の中へと戻る。想い人に会えたのはわずかな時間だけだった。本当はもっと一緒にいたかったし、話したいこともいっぱいあったのに。王子の護衛を勤める以上仕方のないことなのだが、まるでギルバートがエドワルドとの仲を邪魔しに来たようで面白くなかった。

 あの不機嫌そうな顔を思い出し、エレオノーラはむぅと頬を膨らませた。怒りっぽくて、冷たくて、意地悪な昔馴染み。今度会ったら嫌味の一つでも言ってやるわ! とエレオノーラは内心で拳を握るが、やがてその深青の瞳を悲しそうに伏せた。


「寂しいな……」


 ポツリと吐いた言葉は泡となって消えていく。この海にエレオノーラ以外の人魚はいない。果てしなく広大なこの海の世界をひとりぼっちで生きるエレオノーラにとって彼らとの時間は何よりも楽しくて大切なものだった。大好きなエドワルドと言葉を交わしたことはもちろんだが、あのギルバートと軽口を叩き合うのさえ今は恋しい。

 特にやることもなく、尾ひれを揺らしながらぼんやりと水中にたゆたっていたその時だった。


「またここにいるの?」


 幼子のような可愛らしい声がして、エレオノーラは声がした方へ視線を向けた。見ると、小さなタツノオトシゴがぷくぷくと小さな泡を吐きながらこちらを見ている。


「シェル」


 エレオノーラが呼び掛けると、タツノオトシゴは返事の代わりにぷくぷくと泡を吐いた。思いがけない友人の登場に、エレオノーラはパッと破顔した。人魚は人と魚の二つの性質を持つがゆえに、海中の生物と意思を疎通することができるのだ。

 スイッと彼の方に泳いでいき、両手を広げてその小さな体を包み込む。体長十五センチほどの友人は、つぶらな瞳でエレオノーラを見上げた。


「やっぱりここにいると思った。あそこに船があると、君はいつもここに来るんだもの」

「そうよ。だって船が停まっているということは、エドワルド様が近くに来ているという意味なんだもの。好きな人に会いたい気持ちは、シェルもわかってくれるでしょ?」


 クスクスと笑いながら、ちょんとタツノオトシゴのくちばしをつつくと、彼は同意するかのように水中でくるりと一回転した。


「ふふ、君は本当に彼らが好きなんだね。彼らが来ると、君はとっても嬉しそうだ」

「あら、勘違いしないでちょうだい。私が好きなのはエドワルド様だけで、あの怒りんぼのことは嫌いだわ」

「でもギルバートだって旧知の仲だろう? 君にとっては特別な人間じゃないか」

「ダメよシェル。あの人とエドワルド様を一緒にしないで。エドワルド様はね、とっても優しいの。怪我をした私を助けてくれて、ずっと側にいてくれた人なのよ。いつも笑いかけてくれて、お話もしてくれて、私あの方とお話をしていると、とっても心が温かくなるの」


 そう言ってエレオノーラはうっとりと目を閉じた。まぶたの裏に浮かぶのは、優しく微笑む彼の姿。太陽の様に明るい金色の髪に、森林のような新緑の瞳。天使に愛されたかのような笑顔のなんと美しいことか。と同時にいつも彼の傍らにいる凍てつく氷のような顔を思いだし、エレオノーラはむぅと唇を尖らせた。


「反対にギルバートはちっとも優しくないの。いつも怖い顔をしているし、不機嫌そうな顔ばっかり。昔からそうなのよ、私に意地悪なことばかり言うの! 冷たくて、怒りっぽくて、私あの人のことは大嫌いだわ!」


 言っているうちに、先程の小バカにしたように自分を見つめる視線を思いだし、ふつふつと怒りが沸きあがる。


「特に私が人間の世界のことを聞こうとすると、彼はとっても怒るの。お前は知らなくて良いことだって。エドワルド様のことだってもっと知りたいのに、今日みたいにすぐ連れ戻してしまうし、なんだか私とエドワルド様が一緒にいてほしくなくて意地悪をしているみたい。多分、ギルは私のことが嫌いなのよ。だから私もあの人のことは嫌いだわ!」


 そう。昔からギルバートはエレオノーラに冷たかった。二人との付き合いはエレオノーラがまだ幼い時から始まったのだが、初めから優しくに寄り添ってくれたエドワルドと違って、ギルバートは突き放すような態度ばかりだった。護衛という立場上、王子に近寄る者を警戒する気持ちはわかるが、一介の人魚に彼をどうこうできる力なんてあるはずがないのに。

 頬を膨らませながらシェルに愚痴を言うと、彼はぷくぷくと泡を吐きながらこてんと首を傾げた。

 

「君たちの関係は面白いね。どうやって彼らと友達になったのか知りたいな」

「エドワルド様とギルバートのことを聞きたいの? そうね、少し長くなるけどお話してあげるわ」


 シェルの言葉にエレオノーラもにこりと笑う。彼の小さな体を両手で包み込みながら、エレオノーラはゆっくりと語り始めた。


---------------


 エレオノーラが彼らと出会ったのは、彼女がまだ幼い頃のことだった。

 この海には、エレオノーラの他に人魚はいない。遊び相手のいないエレオノーラは、毎日水面に上がっては日が落ちるまで人間の世界を眺めていた。

 人間の世界は不思議な場所だった。赤や黄や青の家、大木より高い建物、きらびやかな衣服を身に纏った人間達。海よりも遥かに色彩豊かな世界は、エレオノーラの心を惹き付けてやまない。春にはあちこちで花々が咲き誇り、冬は色を奪われたかのように雪で覆われる町並みは、海の世界では見られない光景(かお)をいくつも見せてくれるのだ。


 その日も幼いエレオノーラは海から顔を出して地上の世界を眺めていた。遠くに見える町並みを見ながら人間の暮らしはどんなだろうと思いを馳せていると、遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえた。


(……誰かしら?)


 慌てて声のする方へ泳いでいく。見ると、船着き場を支える木の柱に一本の黒い縄が結んであり、その縄の先にくくりつけられている小さな網が海中にゆらゆらと漂っていた。

 中で何かがうごめいている。よく見ると、捕らわれて網の中で動いているのは、小さなタツノオトシゴだった。


「大変! なんて酷いことを!」


 エレオノーラは慌てて駆け寄り、網に両手をかける。幸い、網自体はそれほど太くない縄でできているようだ。そのまま左右に引っ張ると、ピリッと微かな音がして網に裂け目ができた。


「早く逃げて」


 タツノオトシゴへ声をかけると、彼は黒い瞳をまたたかせながら頷き、網の裂け目からスイッと外に出る。無事に仲間を救出できたことにエレオノーラがホッと胸を撫で下ろした時だった。

 突如グイと体が上へ引っ張られる感覚があり、体が海上を目指して持ち上げられる。慌てて視線を自分の体に向けると、体中に黒い網が絡み付いているのが見えた。

 先程の網より太くて頑丈な縄だ。逃げようとして激しく手を動かすと、ピリッと腕に鋭い痛みが走る。よく見ると、網には所々に鉄の(とげ)が仕込まれていた。

 幼いエレオノーラはパニックになった。網から逃れようと必死にもがくが、動けば動くほど網は体に絡みつき、網に仕掛けられている棘が鋭い痛みと共に柔らかな肌に突き刺さる。


「助けて!」


 必死に叫ぶも声は誰にも届かず。切り裂かれた肌から流れる鮮血が細い筋となって海に溶け込むばかりだった。徐々に体力が失われ、ぐったりと網の中に倒れこんだ瞬間に、ざばりと音を立ててエレオノーラは船着き場の板に引っ張りあげられた。


「見ろ、人魚だ」


 男の声がする。虚ろな目で見上げると、複数の人間達が、網に捕らわれた自分を見下ろしていた。一人の男が網越しにエレオノーラの体に手を触れる。


「でかしたな。だが、まだ子供のようだ。血をとるには量が足りないぞ」

「それでも無いよりはマシだろ。足りない分はまた捕まえればいい」

「いいから早くこいつを網から出せ。誰かに見つかる前にずらかるぞ」


 人間達がエレオノーラを出そうと網を引っ張り、その度にまた網に仕掛けられた棘がエレオノーラを傷つけていく。もはや痛みを感じる間もないほど彼女は弱っていた。視界に(もや)がかかり、そのまま意識を手放しかけたその時、ふいに男達の手が止まった。


「おい見ろよ。あれは近衛騎士団の旗じゃないか?」


 誰かが叫び、同時にその場が騒然となる。


「しまった。密漁は犯罪だ。早くこいつを運べ!」

「いや、もう見つかっているかもしれん。やつらがこっちへ向かってくる!」

「こんなもんを担いでいたら捕まった時に言い逃れができんぞ。今回は諦めるしかない」


 誰かがチッと舌打ちをし、エレオノーラの体を地面に投げ捨てる。そのままバタバタと足音がして人間の男たちは足早に去っていった。

 エレオノーラはぐったりと地面に横たわっていた。騎士団の姿を見ようとするが、暴れている時に傷ついたのか、目も痛くて開けられない。おぼろげな視界の中で、誰かがこちらにやってくるのが見えた。だがそのまま力尽きたエレオノーラは、地面に横たわったまま意識を手放した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ