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男爵家からの脱出 2

 昨晩からの疲れが相当溜まっていたようだ。眠り込んでしまったローラが目を覚ますと、外はすっかり暮れていた。

 真っ暗な中、勘を頼りに足場の悪い廃屋を出る。


(こんな状況でも眠れるなんて、わたしって相当ね!)


 庶民街の中心にある時計塔は真夜中を指していて、こんなはずではなかったと自分で自分に呆れてしまう。

 いくらお礼をすると言ったとしても、深夜に訪問されるとは向こうも思っていないだろう。

 けれど、朝を待つつもりはなかった。

 伯母たちが外聞よりもホイストン卿との約束を重視して警察にローラの捜査を頼めば、逃げるのが難しくなってしまう。


(そんなのだめ。一刻も早く離れなくちゃ)


 幸いなことに人通りはまばらで、馬車もほとんど通っていない。足に巻いたエプロンは外して丸めて持ったまま、隠れながら駆け足で進む。

 どうにか無事にダンフォード侯爵家とおぼしき屋敷の前に到着したときには、大きく安堵の息が出た。


「ふう、たぶんこのお屋敷でよかったはず。ええと、裏口は……」

「ワン!」

「ひゃっ!?」


 表門からお邪魔する度胸はない。使用人用の裏口からこっそりあの執事を呼んでもらおうとしたのだが、格子の嵌まった門の向こうに犬がいて、咆えられてしまった。


 薄い毛色の、すらっとした大きい犬だ。鋭い歯を見せつけるように低く唸ってこちらを警戒している様子は怖いし、黙ってほしいと思うが、どこか品がある。犬は詳しくないが、侯爵家の番犬だから、名のある血統なのだろう。

 とはいえ、今はそんな悠長なことを考えている暇はない。深夜にこれ以上咆えられて騒ぎになったら大変だ。


「あ、あやしい人じゃないよ! ええと、わたし――」


 怯みつつもどうにか宥めようとしていると、屋敷のほうから人影が近付いてきた。まずい。


「騒がしいですね。一体なにごとですか」


(わあん、見つかっちゃった! ……って、あれ)


「執事さん!」


 現れたのは昨夜の執事だった。

 ここがダンフォード侯爵家で間違いないことと、会いたかった人に会えてほっとする。涙目で安堵の笑みを浮かべるローラに、執事は怪訝そうに小首を傾げた。


「おや。昨晩ぶりですね、リドル家のお嬢さん」


 そう言って、今も唸り続ける犬の背にぽんと手を置き、汚れてくたびれ切ったお仕着せ姿のローラに上から下まで視線を走らせる。と、委細承知とでも言いたげに大げさに頷いた。


「どうやら昨夜の借りを早速返せそうです。中へどうぞ」


(え、で、でも)


 中に入らず扉前で話をして、そのまま立ち去るつもりだったのだ。ガチャリと大きな音がして門の鍵が開けられる。

 戸惑うローラに、怪我をしている膝を指差しながら冷たく言い放たれる。


「私も暇ではありません、お早く。怪我をされていますね? 血の匂いで犬の気が立っています。洗い流して包帯でも巻いてくださらないと、いろいろ落ち着きません」

「あっ、それは大変申し訳ないことを……では、失礼します……」


 とても断れる雰囲気でもなく、ローラはまた今夜もダンフォード侯爵家へ足を踏み入れた。


 案内されたのは、キッチンだった。

 なるほど、ここなら外からも直接出入りできるし、多少物音がしても屋敷内にいる人たちの迷惑にならないだろう。


(でも、ほかの人ってどこに……あれ。焦げ臭い?)


 誰もいない室内を見回すと「作業中でしたので」と言われる。ローラのせいで調理を中断させてしまったらしい。

 さっさとコンロに向かった背中に、ローラは頭を下げた。


「お忙しいところにお邪魔してすみません」

「眠っていたわけではないので構いませんよ。ああ、そちらで手なり顔なり洗ってください。タオルはこれを」


 そう言って、コンロの反対側にある流しを示される。汚れた手でそのへんに触るなということだろう。こちらを見もせず渡されたタオルをありがたく受け取った。


「足の怪我は、そこに救急箱がありますので」

「あ、ありがとうございます。執事さん」

「フレディ・マーカムです。フレディで結構。事情を伺っても?」

「はい、もちろん」


 石けんも借りて流しで手を洗いながら、ここに来た顛末を隠さずに語る。そういえば昨日も彼にはあけすけに説明をした。そういう巡り合わせなのかもしれない。

 怪我の手当てが済むと同時に話し終わると、ふむ、と納得した様子で頷かれた。


「――なるほど。それで、馬車代を貸してほしいと」

「はい……ずうずうしいお願いだと分かっていますが」

「それだけ切羽詰まっているということでしょう。それに、こんな状況でもなければ、謝礼を受け取るつもりもなかったのでは?」

「ええ、まあ」

「それでは困るのです。返せるものは返さなくてはなりませんのでね、こちらとしては、いらしくださって手間が省けました」


 自分から求めに来るなど非常識だと詰られなくて、ローラはひとまずほっとする。


「あの、お借りしたお金は絶対にお返ししますので」

「返済など気になさらなくていいですよ。馬車代なんて、昨夜の礼とするなら安いくらいです。しかしまた、ホイストン卿とはねえ」

「ご存じですか?」

「有名ですから」


 もちろん悪いほうで、とフレディは肩を竦める。


「嗜虐趣味が高じて、いろいろやらかしています。伯爵位でまあまあ家格が高いのと、裏工作が得意なので大っぴらに事件になっていないだけですよ。逃げて正解です」


 嫌な予感を「気のせい」と自分に言い聞かせて、あのままリドル家に留まっていたら、二度と外に出られなかっただろうと言われてしまう。


(あ、危なかった……! 馬車からも逃げて正解だった!)


 あの尋常じゃない悪寒を信じて良かったと、ローラは改めて深く息を吐いた。


「ですが、あの御仁はしつこいですからね。逃げ切れるかは疑問です」

「そんな幸先の悪いこと言わないでください! そ、それならいっそ、こちらでわたしを雇ってくれませんか?」


 侯爵家が相手なら、下位にあたるホイストン卿もリドル男爵家も容易に手出しできない。偽名を使って下働きでもさせてもらえれば、と思ったのだが――。


「残念ですが、我が家は少数精鋭をモットーにしておりますので」

「ですよねえ……」


(まあ、無理だって分かってたけど!)


 ダンフォード侯爵の人嫌いは有名で、使用人も出入りする業者も厳選されているというのは有名な話だ。

 歴史ある家柄で、当主は若くて独身、容姿も良いという噂である。そんな侯爵とお近付きになりたくて数多くの令嬢とその家族が接触を試みているが、ことごとく拒否されている。

 メイドとして入り込んで――というのは誰もが考える手で、上手くいったという話など一切ない。


(こんなに広い屋敷なのに、昨日も今日も人の気配がないんだもの。使用人が少ないっていうのは、嘘じゃないみたいだし)


 これだけの規模の屋敷だと住み込みの使用人が最低でも三十人は必要だろうに、この執事以外の姿を一切見ない。

 使用人の人数は貴族のステータスにも繋がる。ローラの伯父のリドル男爵は自他共に認める吝嗇家だから別だが、普通の貴族なら世間の評判を気にして大勢雇うはずだ。


(よっぽど人嫌いなんだな)


 とはいえ、そのことが侯爵家の低評価には繋がらない。

 人嫌いは代々だし、王宮での仕事や領地管理に失点がない以上、プライベートで後ろ指を指されることはないのだろう。


「馬車代はさしあげますよ。それにもちろん、リドル家にもホイストン卿にもローラさんのことを知らせることはありません。それで満足してください」

「……はい」


 申し訳なさそうに詫びられて、ローラも頷く。逃げても無駄かもしれないと言われても、逃げるしかない。

 またひとつ溢れてしまった溜め息を隠しつつタオルを返そうと近寄って、フレディの肩越しに手元を覗き込んだローラはぎょっとした。




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