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歓迎いたしかねる客 2

「ああ、ホイストン卿! お待ちしておりました」

「どうぞこちらにお掛けになってくださいまし」


 そんなローラの気も知らずに、伯母夫婦は勢いよく立ち上がり、よそゆきの笑顔で客人を迎える。普段より芝居がかっている歓迎ぶりを見るに、向こうが格上なのだろう。


「ローラ、お客様からお帽子をお預かりしなさい! まったく、気の利かない子ね」

「し、失礼いたしました。こちらに……っ」


 脱いだ帽子とステッキを渡されるときに手が触れて、全身がぞわりと総毛立つ。驚いて顔を上げると、陰湿な瞳と目が合った。


(……!)


 酷薄そうな薄い唇の端がにやりと持ち上がり、喉の奥でどうにか悲鳴を呑み込んだ。見間違えでなければ、濃い血の色をした舌が舐め回すかのようにちらりと覗いた気がする。


「ほら、ローラ。お茶の支度を」

「は、はい」


 心臓が煩く鳴って悪寒がする。震える手を宥めてなんとか茶を淹れると、新しいお湯を取りに行くふりをして応接室を逃げ出した。


(な、なんなの、あの人!)


 嫌な感じだ。

 伯父が呼んだホイストン卿という名に聞き覚えはない。ローラが知っている貴族の家名は公爵、侯爵家以外は有名どころだけだから、伯爵位以下であまり目立たない家なのだろう。

 立派な馬車だったし、身なりからしても裕福そうだが、早く帰ってくれますように、と心の底から祈ってしまう。


(待って。昨夜から苦労して作ったパイは、あの人のために用意したっていうこと?)


 苦労して材料を手に入れて、ぜったいにおいしくできたのに、あんな人の口に入るなんて。

 そう思うとますますやりきれない。おしゃべりに夢中になったご婦人方が、味も分からず食べてくれたほうがずっとよかった。


 早足でキッチンに着いたローラは、お湯を沸かしながら、屋敷裏手にいる馭者に水と軽食を運ぶことを思いついた。

 貴族の従者は普通、万が一の事故――食中毒など――を避けるために訪問先で飲食はしない。

 だが、これを口実になにか話が聞けるかもしれない。

 厩舎に向かうと、ちらりとローラの頬の湿布に目を留めて、馭者は差し出された盆を受け取った。


「……ありがとよ。あんた、この家の娘さんかい?」

「ええ、一応」

「使用人をしているって聞いたけど、本当なんだな」

「聞いた?」


(どうして知っているの? ……やっぱり伯母さま達がなにか……)


 ローラが養女であることは公然の秘密だが、使用人として働かされていることは貴族の間では知られていないはずだ。

 下町の住民でもない、貴族の従者である彼が知っていることに疑問を感じたが、深く尋ねる前にもっと驚く言葉が馭者の口から出る。


「あんた、虐められて喜ぶ趣味とかあるかい」

「なっ、とんでもない!」

「だよなあ。見たところ、普通の娘さんだもんな」


 伯母たちのイビリは常態化しているが、決して望んでなんかいない。大慌てで否定すると、馭者は内緒話のように声を潜めた。


「……あんた、このままじゃ売られるぜ。死にたくなけりゃ逃げたほうがいい」

「えっ?」

「ここだけの話だけどさ、前の奥さんも、その前の奥さんも事故で死んだんじゃない……ウチの旦那がやったんだよ」


(それって……)


 馭者は一度受け取った盆をローラに返すと、それきり口を噤んで背を向けた。

 これ以上は話せないという意味を察して、ローラは青い顔でキッチンに戻り、お湯の入ったポットを手に重い気分で応接室へ向かう。


 ――怖いことを聞いてしまった。


 胸騒ぎを隠しながらドアノブに手を掛けようとしたとき、やけに明るい伯母の声が中から響いてきた。


「ローラは少々痩せていますけれど、頑丈なんですよ。朝から晩まで働かせたって、風邪も引きませんし。そうそう、そのパイもあの子が作ったのですわ」

「さよう、きっとホイストン卿のお役に立てるかと!」


(わたし? ……待って。なにを言っているの)


 どくりとローラの心臓が嫌な音を立てた。

 ホイストン卿の返事は聞き取れない。

 悪い予感に身震いしながらも確かめずにはいられなくて、そっと扉を開けて隙間から覗き見る。


 伯母夫婦はこちらに背を向けた位置にいるが、揉み手をする勢いで、ローラをこき下ろしつつ売り込んでいるのがよく分かった。

 一方のホイストン卿は能面のような表情で黙って聞いているだけだが、その視線がローラを捉えた。


「……!」


 ドアの隙間から窺うローラのことを、伯父たちに知らせるつもりはないらしい。

 その代わり、こちらをじっとりと凝視する。蛇のような瞳の奥に、ぎらりと鈍く底光りするなにかが見えた。ぞわっと背筋を駆け上る悪寒が止まらない。

 さらに低姿勢になった伯父が、ホイストン卿へ媚びた声を出す。


「そ、それでですね。娘の支度金のほうは……」

「婚約式も結婚披露もせずに来て貰うのだから、私のほうでそれなりに用意しよう」

「なんと、ありがたい!」

「これくらいでいかがかな」


 ホイストン卿が取り出した小切手帳を食い入るように見て、伯父はにんまりと頬を緩めた。

 さっきからローラの頭の中で鳴り始めた警戒音が、さらに大きくなる。


「では、婚姻許可証が発行され次第、娘をお届けしますので」

「なるべく急ぐように。私は気の長いほうではないのでね」

「もちろんでございます!」


 ――これ以上は聞いていられない。


(逃げよう。今すぐ!)


 これまでもいろいろな理不尽に耐えてきたけれど、殺されるのは勘弁だ。

 逃亡を固く心に誓って、ローラは音を立てずに扉の前から離れた。


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