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ダンフォード侯爵家 2

「そしてお嬢さん、あなたは?」

「あ、私は――」

「ここではなんですので、屋敷に参りましょう」

「え、あ、はぁっ!?」

「確認したいこともありますので、はい」


 いきなり視界が変わったと思ったら、抱き上げられていた。

 男の子を縦抱っこするローラを執事が横抱きにするという、良く分からない状況に目を回している間にまた風のように走られて、気づいたら豪勢なお屋敷の、豪華なエントランスホールに着いていた。


(な、なにが起こったんだろう……!)


 この執事が力持ちで足が速いということは分かったが、それ以外はさっぱりだ。


「ささ、お嬢さん。若様をこちらに」

「あ、そうですね」


 目眩を感じつつどうにか立っていると、壁際にある大きなソファーを示される。首に回された手が離れる際にちょっと抵抗したが、最終的にはどうにか下ろすことに成功する。

 下町のお母さんたちが、抱っこでようやく寝かしつけた赤ちゃんを床に下ろすと泣いて起きてしまう、と苦労話をしていたが、この坊ちゃんは下ろしても起きない。いい子である。


 明るい室内灯の下で見た男の子の髪色は銀だった。瞼は開く気配がない。この子の瞳の色をローラが知ることはないだろう。


(……お家に帰ったよ)


 乱れた前髪を指で梳いて直してあげているうちに、どこからか持ってきたブランケットを男の子に掛けると、執事はローラに向き直った。

 後ろでひとつに結ったダークブロンドの髪をさらりと靡かせながら、改めて深々と腰を折る。自分より年上――二十代半ばくらいの彼からそうされると、居心地が悪い。


「まずは、若様を無事に連れ帰ってくださったことに感謝申し上げます」

「いえ、私は――」

「ですが、なにがあったのか伺っても? それともちろん、お嬢様ご自身についても。どちらの家にお勤めの方でしょう」


 声だけは朗らかに、けれど剣呑な色を浮かべた緑の瞳がぐっと近くに寄せられた。

 こちらを疑っているのは明らかだ。しかし、痛くもない腹を探られたところでローラが怯む必要はない。

 つとめて穏やかに、ローラは自己紹介をして事の次第を説明した。

 夜中に出歩いていた理由をごまかすのも面倒なので、伯母に命令されて夜の町に買い物に出たところから、全部。


 リドル男爵家については、家名だけは聞き覚えがあるようだった。

 酒場のところで「ああ、あそこの」と知っている様子になって、執事の態度が軟化した。

 誘拐犯にレモンを投げつけたくだりでは目を丸くして、額を押さえてしまった。


「それで、足を怪我したみたいなんです。抱き上げて歩いていたら、眠ってしまいました」

「なるほど……抱き上げて……」


 最後にそう教えると、執事はくるりと後ろを向いた肩が震えていたが、笑われたのではないと思いたい。

 やがて「失礼」と咳払いをして向き直ると、ローラと男の子を交互に見比べて何度も頷いた。


「つまりお嬢さんの勇敢さと無謀さで、若様が助かったのですね」

「あー、無謀ではあったかもですね」

「そんな貴女には、お礼をせねば」

「え、いいです。あんな場面に居合わせたら、私でなくても助けたはずなので。それより今って何時ですか?」


 執事の視線を追って壁に掛かる時計を見ると、帰宅しているはずの時間からかなり過ぎていた。


「わあ、いけない! すぐに帰ってパイを焼かなきゃ!」

「お待ちなさい。まさかこんな時間から、そのレモンメレンゲパイとやらを作るつもりで?」

「だって朝までに作れってご所望なんですもん。これ以上殴られたくないですし」


 普段なら初対面の人相手に愚痴を言うことなどしないのだが、口が滑った。疲れていたのと、男の子を無事に引き渡した安堵感から気が抜けたのだろう。

 執事はまじまじとローラの腫れた頬を見、渋い顔で眉を寄せた。


「その頬は誘拐犯にやられたのかと……」

「お坊ちゃまもそう言って心配してくれました。お二人とも優しいですねえ」

「は? 若様が……? そ、それはそうと、お礼はさせていただかなくては。レモンも弁償しないと。投げっぱなしですよね」

「あっ」


 そういえば籠も放り投げてきた。男の子だけ抱えて、全部あそこに置いてきたことにローラは今になって気がついた。


(ま、まあ、殴った時点で籠は壊れたみたいだから……でも、レモンはないと困る!)


「も、戻ればまだ落ちているかもしれません。では急ぎますので、これで失礼を」

「おやめなさい。用意がありますので、それをお譲りしましょう」

「本当ですか、助かります!」

「ですが、レモン程度で済ませていいことではありません。無償でなにかしてもらうというのは、我々にとって警戒すべきことなので。対価のない好意はむしろ危険ですから」


 スッと温度のない声に変えて言われて、さわりとローラの腕に鳥肌が立つ。

 感謝の気持ちから礼をしたいのではなく、後腐れをなくしたいのだと言い切られて、ようやく腑に落ちた。


「な、なるほど。ええと、でも、なにかいただいたりして、伯母たちに知られたら面倒なことになってしまいます。時間もないですし、レモンだけで」

「……仕方ないですね。それでは今日のところは退きますが、この御礼は必ず返します」

「な、なんか、復讐を誓っているように聞こえるんですけどっ?」

「ははは、気のせいでしょう」


 食えない笑みを浮かべた執事から渡されたレモンをありがたく受け取る。

 最後に振り返り、すやすや眠る男の子に小さく手を振って、ローラは侯爵家を後にした。





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