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ダンフォード侯爵家 1

(んー、こっちだと思うんだけど)


 貴族街に入ってしばらく。ローラは男の子を抱いたまま歩き続けていた。

 あれからさほど進まないうちに男の子はコテンと寝落ちた。今はローラの肩の上に頭を乗せて、くうくうとあどけない寝息を立てている。

 さすがに腕が疲れてきたが、安心しきった寝顔を見ると降ろす気にも起こす気にもなれない。


(……もうちょっと行ってみよう)


 自分も同じ貴族街に住んでいるとはいえ、リドル男爵家は下位貴族。構える屋敷の規模も小さく、場所は庶民街に近い端のほうにある。

 ダンフォード侯爵家など高位貴族の屋敷は、より王宮に近い中心部――ローラがこれまで立ち入ったことがない区域にあるため、不案内だ。


 ここに来るまでに、途中で警察詰め所の近くも通った。道を尋ねれば良かったかもしれないが、警察には行かないと断言した男の子の意思を尊重して寄らなかった。

 子どもは、家族ではなく真っ先に執事の名を出した。

 もしかしたら、親兄弟となにかトラブルがあり夜中に飛び出したところを攫われたのかもしれず、そうなら他の誰にも知られたくないだろうと思ったのだ。


 この年頃の子なら眠っているはずの夜更けなのに、夜着ではなくしっかりと正装をしているのも違和感がある。


(この子の事情は分からないけど、怒られるにしても、家の人からだけで十分だもの)


 貴族は外聞を重んじる。私生児のローラを嫌々ながらも伯母夫婦が引き取ったのもそのためだ。

 未遂とはいえ誘拐事件なんて醜聞以外のなにものでもなく、知られたら面白おかしく噂されるだろうし、利用もされる。

 侯爵家のような名家であれば、弱みを握りたいと隙を窺っている者も多いはずだ。


(……伯父様のような人がね)


 ローラがこう考えるのは、まさに自分の伯父がその「足を引っ張ってやろうと手ぐすね引いている」タイプだからだ。

 リドル男爵家の領地は片田舎にあり、上がる税収も微々たるものだが、伯父は資産家である。


 その理由のひとつは、伯父が吝嗇家であることだ。収益性の低い領地はほぼ放置で管理に手間や費用をかけないし、メイドや侍従を雇わず、屋敷の雑務をローラ一人に負わせて出費を抑えている。貴族の責務ともいえる寄付や施しもまったく行わない。


 だが、支出を抑えるだけでは金は貯まらない。伯父が王宮で与えられているのは閑職で、給金もそれに見合ったもの。

 それならどこから、と言えば、醜聞があるとそれを元に収入に繋げているようなのだ。

 いわゆる、鼻が利くというやつである。


 没落した貴族や、破産した商家の債権を安く買い取ってくることもある。二束三文で売り払われた家財の中に貴重な品が含まれていることもあり、そういったことでも財を成しているらしい。

 他家の窮地を待ちわびる伯父なら、この誘拐未遂だって喜んで飛びつくだろう。


 それだけでなく、侯爵家の警備状況や使用人教育の不備をことさらに騒ぎ立て「そんな者を宮廷で重職に就けるなんて」など罷免を言い出しかねない。


(そんなことをしても、空いたポストに伯父様が就けるはずはないのに)


 誰かを蹴落としたところで自分の地位が上がるわけはないのだが、そういう思考なのだから仕方ない。

 そんな伯父とは反対に、伯母は見栄っ張りで外聞が命である。

 伯父自身は妻の金の使い方に文句があるようだが、社交で得てくる情報も有益なようで、渋々目を瞑っているのだった。


 ローラが申しつけられたレモンメレンゲパイも、明日の茶会で鼻高々に披露するためのものだ。高級な食材を使った庶民が味わえない菓子を前に、嬉々として悪口とゴシップを語り合うのだろう。

 人の不幸を歓迎する伯父や伯母がローラは嫌いだが、その男爵家の金で自分が養われていることも事実である。


(……私は非難できる立場にないわね)


 虐げられ、満足に食事を与えられなくても、少なくとも生かされてきた。

 いつか伯母夫婦に頼らずに生きていけるようになったら、少しはこのやり場のない気持ちも整理がつくのだろうかと、最近よく考える。

 書類上は彼らの実の娘であり貴族令嬢だが、デビュタントをしていないので成人とみなされておらず、教育も受けていない。


(家事しかできない訳あり娘なんて、家を出たところでまともな職に就けるはずがないわ)


 酒場の女将はそれでも、と言ってくれるが、伯父に知られたら店が潰されてしまうだろう。貴族に睨まれた平民は、あっけなく排除されてしまうのが常だ。


(修道院に行けたらいいけど、それだって支度金や寄付金がかかるし……)


 自分の人生をすべて悲観しているわけではない。けれど、現状どう考えても八方塞がりである。

 今のローラができるのはせいぜい、この誘拐未遂の一件が広まらないようにすることくらいだろう。

 自分にすっかり身を預けて眠っている男の子をそっと見おろす。子供特有の高めの体温と少し早い鼓動が、なんだかやけに愛おしく感じた。


「さ、早くお家に戻してあげなくちゃ。ええと、この辺は伯爵家が多いのね。そうすると、向こうの……って、あれ?」


 そうして進んでまもなく。

 今いる通りのずっと先で、うろうろしている怪しい人影が目に入った。

 向こうもローラに気づいたらしい。その人影がパタリと動きを止めて――目が合った。

 いや、こんなに離れていてそんなことありえないし、顔も分からない夜なのにと思うが、絶対に目が合った。


「えっ、わっ!?」


 その証拠に、ものすごい速さで駆け寄ってくる。

 石畳なのに砂煙が見えるような勢いでローラの前にズザッと音を立てて滑り込むと、血相を変えて詰め寄ってきた。


「若様っ! お探ししましたよ!」


 言うなり、ローラの腕から男の子を引き取ろうとする。が、細い腕はしっかりとローラの首に回されており、上手い具合に渡せない。


「ま、待って、起きちゃう! あの、こちらのお坊ちゃまのお家の方?」


 かなり深く寝入っているようでぴくりとも動かないが、騒がしくしたら可哀想だ。声を潜めて尋ねると、はっとした様子でさっと一歩下がり、肘を折った礼をしてくる。


「失礼しました。ええそうです、フレディ・マーカムと申します」


 訊くより先に名乗られたのは、さっき男の子がから聞いた名と同じだ。

 落ち着いて近くで見ると、男性は三つ揃いの服に白い手袋をしている。「執事のマーカム」と言っていたし、ダンフォード侯爵家の関係者で間違いないだろう。





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