呪いの実態 3
それほど驚かれることだろうかと、ますますローラは首を傾げる。
「『呪い』と『侯爵様』は別でしょう? 私は呪いで攻撃されたわけではなく、驚いただけです。それに、お二人がどんな人か知っていますから怖くないです」
ローラがここに住んでそれなりの日数が過ぎた。その間、一度だって危険な目に遭ったことはないし、雷以外で怖い思いをしたことがない。
「侯爵様に会ってはもらえなかったけど、いつだって親切にしてくれましたから」
「親切……」
「雇ってくださって、お給料のほかに着るものも住むところも用意してくれて。伯母たちからも守ってくれて、親切以外の何物でもありません」
待遇も、環境も。帰る家も行くあてもない訳ありメイドに、安心できる場所を与えてくれた命の恩人だ。
呪いだなんて、絶対秘密にしたいことを抱えていたのだから、面倒しかないローラなど見捨てたほうがよっぽどラクだし安全だったはずなのに。
魔女と呪いに関して、人々がどれだけ忌避しているかはローラだって知っている。
(そんな大きな秘密を持っていたら、いくら料理ができてもよく知らない他人である私をここに住まわせるなんて避けたかったはず)
人嫌いと称して、関わる人間を徹底的に少なくしていたのだと、今なら納得である。
けれどシリルとフレディは、追い詰められていたローラに手を差し伸べてくれた。そんな彼らには、呪いに対する恐怖心や嫌悪感ではなく、恩を感じて当然だろう。
それに、口では友好を装って心は違う人もいるが、この二人がローラに嘘を吐いている気配はない。
ホイストン卿から逃げ出したこともそうだが、ローラは悪意に対して妙に勘が働く。これもリドル家で培ってしまった能力のひとつだろう。
「姿が変わるのは、たしかに困るでしょうけど……でも、周囲に悪いことが起きるなら、とっくに私にも影響が出ていておかしくないです。でも、なにもありませんし、ずっと侯爵様と一緒にいらっしゃるフレディさんもこうして無事で、お元気そうですし。だから、なにも怖くもないです」
ローラ自身も呪いに忌避感はないとはいえないが、だからといって呪われてしまった人を卑しめたり、蔑んだりするのは違うと思う。
それに、姿が変わるだけの魔女の呪いの近くにいるより、むしろ直接加害してくるリドル家にいたときのほうが、毎日がサバイバルだった。
「まあ、うん。ここまでにはかなり苦労が……いや、それはいいか。言いたいことは分かったけど、割り切りがすごいね、ローラ」
「そうですか? だって悪いのは魔女と呪いです。侯爵様は被害者じゃないですか」
そう言い切るローラに、さすがにシリルも警戒を緩めたようだ。
視線を感じて顔をそちらに向けると、言葉を探しているような彼と目が合う。少年だったときと同じ濃い紫の瞳は、朝日のキッチンでよりいっそう美しく見えた。
「……ローラ・リドル」
「はいっ!」
初めて、呼ばれた。
受け入れてもらえたように思えてやけに嬉しくて、ローラはぴっと背筋を伸ばす。
打てば響くような返事をされて、シリルは少しだけ怯んだようだが、ひとつ息を吐くと負けずにローラを見返した。
「魔女と呪いに関して、どれほど知っている?」
「どれほどと言いますと……たぶん皆が知っている程度です」
――魔女は、人間や動物とは違う存在である。
魔法を使い悠久の時を生き、人の世から少しずれたところに住んでいる。言葉は通じるが、心の有り様が人間とはまったく相容れず、倫理観や死生観も異なる。
そんな魔女が人から恐れられる一番大きな理由は、呪いだ。
魔女が人間を呪うのに、復讐や仕置きといった分かりやすい理由は必ずしも必要ではない。
幼子が意味も分からず蝶の羽根をむしるように、令嬢が野の花を摘むように、ごく自然に人を呪うこともあるからだ。
不条理な魔女の呪いを避けるには、魔女に出会わないしか方法がない。
だからこそ、出会っただけでも穢れたとみなされてしまう。魔女と遭遇すること事態がタブーなのだ。
(お金持ちの貴族や意地悪な金貸しが、魔女の呪いで没落する話はいっぱいあるし)
庶民向けの読み物や芝居では、悪辣な権力者への意趣返しの定番としてよく使われる。
実際に呪いが発覚した者は没落や追放程度では済まず、もっと暴力的な排斥が必ず起こった。
事実、過去には呪いの「疑惑」がきっかけで大規模な暴動が起き、巻き添えで大勢が亡くなったこともある。
そんな魔女や呪いを利用できないかと思う者も当然出てくる。
貴族や有力者が何度も試みているらしいが、ついぞ成功した話を聞いたことがない。魔女は嵐や噴火などの自然災害と同じで、制御などできるわけがないのだ。
そんなふうに人心を惑わし、政治利用される恐れがある魔女と呪いによる差別を、国も傍観しているわけではない。
過剰な排除行動は禁止され、取り締まりもされている。
だが法と感情は別だ。禁じられたからといって、呪いや、呪われた人を忌避する心が簡単になくなるわけではない。
さらに、呪いを忌むあまり、それに似て見える「魔術」さえも白眼視され、かつ恐れを向けられる対象になっている。
魔術を扱える魔術師は、生まれながらの魔女とは違って普通の人間だ。高度な技術を持ち、国にとってなくてはならない稀少な人材である。
しかしどうしても偏見がぬぐえず、住むところや結婚でさえ困る有様だ。
(魔術が使える子どもが、親に捨てられて村も追い出された……って聞いたことがあったな)
それゆえ、王宮が彼らを保護し、官吏として召し抱えるようになって久しい。
王宮魔術師などはその筆頭である。
だが現在も、人々は魔術師の能力とそれがもたらす恩恵には与るが、彼ら自身を敬遠している。魔女による弊害の範囲はあまりにも広い。
そういったことも含め、魔女と呪いに関してローラが知っていることは、概ねシリルたちの認識と同じだった。
「ダンフォード家が人嫌いっていうのも、口実なんですね」
「うん、そう。関わる人が少ないほど秘密も漏れにくいから、そういうことにしている」
ローラの言葉にフレディが頷いた。