深夜の打ち明け話 3
「……話は戻るが。ローラは元の家の奴らを恨んでいないのか?」
「伯母たちですか? 好きではないですけど……憎いかって聞かれたら、そこまででもないですね。今なら分かるんですけど、私にも原因があったと思うので」
「はあ? 悪いのは向こうだろ」
「んー、でも私、もっと早くにあの家を出るべきだったなあって。見張りがついていたわけでも、閉じ込められていたわけでもないから、本当はいつでも逃げ出せたんです。でも、そうしなかったから」
ダンフォード侯爵家に来て睡眠と食事がしっかり取れる生活に変わって一番驚いたのは、体調の変化だ。
これまで常に重だるかった頭や身体が、明らかに軽くなったのだ。
自覚のない常の体調不良が改善されてみれば、今まで色々な事に対して「どうでもいい」として、考えを放棄していたということにも気づく。
そうして、落ち着いて省みることができるようになって悟ったのは、自分と伯母たちが近くにいたことが、ローラの苦難の一因だったということだ。
伯母は都合の悪いことの全部を、ローラのせいにしていた。だから、ローラの顔と嫌だったあれこれは全部彼女の中で繋がっている。
その結果、本当ならとっくに忘れてしまえたはずの憎しみや悲しみまで、毎日ローラを見るたびに新鮮な気持ちで再確認する羽目になっていたのだ。
(私の雷みたいに、生理的に受け付けない状態だったのかも)
伯父との政略結婚や、自分は子どもに恵まれなかったのに姪のローラを育てねばならなかった面では、伯母も被害者であることは間違いない。
だからこそ、嫌な記憶の象徴であるローラが伯母の前から消えて、攻撃する理由を強制的に消滅させればよかったのだ。
しかし、そう思えるようになったのは実際に離れてからだ。
ダンフォード家でローラは虐げられず、四六時中気を張る必要もない。人間らしい暮らしが継続できて初めて、これまでのローラは奴隷のような扱いを受け入れてしまっていたことに気づいたのだ。
「私は、選べたんです。そのことに気づかせてくれたのは、この侯爵家での暮らしでした。だから、働かせてくれたフレディさんにも侯爵様にも感謝しているんですよ」
馬車代を借りて逃げたとしても、きっと見つかって連れ戻されていた。侯爵家で雇ってもらえて安全に暮らせたからこそ、気づくことができたのだ。
「……ダンフォードが役に立ったのか?」
「役に立つだなんて、便利道具みたいな言い方はしたくないですね。本当に感謝しているんです。もし侯爵様に会えたら力一杯ハグしてお礼を言いたいですけど、嫌われて『出ていけ!』ってされたら嫌なので我慢します」
「そ、そうか」
「でも、すごい巡り合わせですよね。あの夜、レモンを探しにいってお坊ちゃまを見つけなければ、こちらで雇ってもらえることもなかったでしょうし。あ、そうすると、夜中に無理を言った伯母にも感謝するべき?」
「しなくていいだろ」
間髪を入れずに否定されて、あはは、と笑ってしまった。
しかし、改めて考えると、レモンメレンゲパイを発端に、ホイストン卿に売られそうになったことも、馬車に轢かれそうになって派手に転んでお金を落としてしまったことも、全部が「今」に繋がっている。
そしてダンフォード侯爵が人嫌いだったからこそ、こうして安全に暮らせているのだ。
(芝居のセリフじゃないけど、人生って分からない。本当にそうね)
まだ十九年、されど十九年。リドル家から逃れ、この歳になってようやく自分で歩き始めた気分である。
「だから侯爵様には、私を『雇って良かった』とまではいかなくても、せめて『邪魔じゃない』程度には思っていただきたいな、って」
「……大丈夫だろ」
「ふふ、お坊ちゃまにそう言ってもらえると安心しますね――というわけで、寝てください!」
「結局、オレは寝かしつけられるんだな?」
「それはそうですよ、もうとっくに寝る時間です」
うっかり話し込んでしまったが、時計を見れば深夜もいいところだ。これ以上お子様を起こしていてはいけないと、ローラは初心に返って寝かしつけを試みる。
雷のこともリドル家のことも、寝物語にはふさわしくない話題だったはずだが、少年の雰囲気はやや軟化しているように感じる。
変なことを聞かせてしまった自覚はあるが、表情からも警戒心が消えたようだから、まあ、良しとした。
それに、眠くないと言いつつも暖かい布団に入って横になっていれば、体のほうは自然と休む態勢になる。目を擦ろうとする小さな手を止めると、前髪が上がって長いまつげの下にほくろが見えた。
うとうとしだした様子を察して、すかさず部屋の明かりを落とす。
「やっぱり子守唄を歌いましょうね。あれでいいですか、灰色狼の歌」
「……好きにすれば」
「はーい、好きにします!」
声はすっかり眠そうだ。よしこのまま、とローラは椅子に掛け直して歌をゆっくり口ずさむ。
小さく二曲目を歌っている間に、ベッドからは静かな寝息が聞こえてきた。
§
(……朝、か……?)
顔に当たる光が眩しくて目が覚めた。久し振りの心地よい微睡みについ二度寝しそうになったが、他人の気配を感じて視線を動かす。
「――!?」
自分が寝ているベッドに突っ伏して寝ている者がいて、一気に覚醒したシリルは音を立てずに飛び起きた。
(そうだ。昨夜……)
――深夜の邸内で雷に狼狽えるメイドと遭遇し、そのまま連れてこられた。
どっと記憶が戻って、額を押さえる。
お仕着せのメイド姿のまま、髪だけは解いたらしい。ベッドカバーにさらりと流れ落ちたブラウンの髪はまだ荒れているが、朝日に照らされて艶やかに光っている。
(ローラ・リドル……)
フレディが雇い入れた使用人。養親であるリドル夫妻に虐げられてきた令嬢は、こちらの想定を軽々と越える人物だった。
伯母との確執から解放されたと語った昨夜の話は、閉じていたダンフォードがほんの少し開いたことを肯定するものだった。
そのことに、不覚にも感慨を覚えてしまった。
ぐっすり眠っているようだ。さすがに体勢がつらそうだが――シリル・ダンフォードとして顔を会わせるわけにはいかない。
差し延べてしまいそうになる手をぎゅっと握り込むと静かに寝台を下り、そっとノブを回して部屋を出た。
使用人部屋が並ぶ四階に来たのも数年ぶりだが、迷わずに階下へ通じる階段へと足を向ける。
数段下りたところで、背後から音が聞こえた。まさかと思ったと同時に扉が音を立てて開き、ローラが飛び出してくる。
「坊ちゃま!? どちらに――えっ!?」
急に消えた少年を探して心底心配していることは声音で分かった。こちらの姿を認めて、盛大に驚いていることも。
「……」
「っ、ま、待ってください!」
無視して去ろうと足を止めずに階段を下り続けたが、焦ったように言いながら駆け寄ったローラは階段を駆け下り、シリルの正面に回る。
「侯爵様ですよね! あの、お坊ちゃまは悪くないんです。私が無理に連れて来て、そのっ」
深々とお辞儀をして、顔を上げたローラの瞳が面白いくらいに丸くなる。
榛色の瞳が昔、両親と行った森で拾ったヘーゼルナッツを思い出させて――。
「……お坊ちゃま?」
見おろすシリルと、見上げるローラ。明るい階段で、二人の視線は完全に固定されていた。
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