深夜の打ち明け話 2
急に空が暗くなり雨が降ってきた。早朝リドル家を出たときは晴れていたため、雨具の用意はない。
「……村はずれで、ちょうど店や建物がない場所でした。雨宿りできそうな木が一本だけあったので、その下に入ったのですが」
少しすると、同じように雨に降られた男性の二人連れが駆け込んできた。
背だけは高い木は、あいにく枝ぶりも貧相で、ローラと成人男性二人の全員が雨をしのぐ余裕はない。男たちに、邪魔だとローラは乱暴に追い出された。
「先にいた子どものお前を、大人が追い出したのか?」
「ちょっとガラの悪い人たちだったんですよ。一緒に雨宿りしたくない感じでしたから、それはいいんです」
不愉快そうに眉を寄せる少年に、ローラはにこりと微笑む。
だいぶ向こうにもう一本、木があった。買った荷物が濡れないように抱えてそちらに急ぐ。だが、慌てたせいか、ぬかるみに躓いて転んでしまった。
ちょうどその時、空が光って雷鳴が轟く。
「まわりの空気全部が震えるような、すごく大きい音でした。それで、振り返るとさっきまでいた木から煙が上がっていて……」
幹に寄りかかかって雨宿りをしていた男たちは、ばったりと地面に伏していた。
「雷が、 木に落ちたんです。追い出されていなければ、私も同じ目に遭ったでしょうね」
雷は高いものを目掛けて落ちるのだと、後日、酒場の常連客が教えてくれた。
元は偉い学者先生だったという彼の話を疑ってはいないが、理論を知ったからといって、目の当たりにしたショッキングな光景の衝撃はなくならない。
その時の記憶は雷と結びついて、ローラの心に深く刻まれた。
「どんなに力がある大男でも、まったく歯が立たないんですよ。自然ってすごいです。でも、だからこそ今も雷は怖いです」
「……そうだったのか」
運良く落雷を免れたローラだが、転んだ拍子に足を捻ってしまっていた。
挫いた足を引きずって帰ると、伯父と伯母はローラを心配するどころか荷物を濡らしたことを責め、折檻された。
ずぶ濡れになって体の芯まで冷えて風邪を引いたし、踏んだり蹴ったりで雷にはいい記憶がない。
「あっ、でも、今夜は坊ちゃまと会えたから、少しは挽回できたかも」
「は? なんの挽回にもならないだろ」
「そんなことないですよ! こうして話も聞いてくださいましたし」
一人きりでないというだけで安心できるのだと伝えるが、少年はどうにも不満そうにまだ眉を寄せている。
「甲冑の後ろなんかにいたから驚きましたけど、とっても心強かったです」
「こんな子どもで安心なんて――うみゅっ」
口角を歪に下げて吐き捨てるように言う少年の頬を、両手でむに、と挟む。
「もー。なんでそう、あれもこれも否定的なんですか」
そのままぐいと引き上げ、無理に笑みの形を作らせた。
「子どもだってなんだって、私は救われた思いでしたよ。だから嬉しかったです。ありがとうございます、寝てください!」
「は、話にミャクラクがないぞ!」
「ウッカリ話し込んでしまいましたが、もう夜中でした。さあさあ、目を瞑って。子守歌も唄いますね」
「頼んでないし! ……ったく、雷が止むまで付き合うだけかと思ったのに……」
少年は使用人部屋が珍しいようで、横にさせられたまま目だけで部屋の中をきょろきょろと見回している。
「なにか気になるものでもありました?」
「逆だ。狭いし、なにもない」
「えっ、十分に広いですし、豪華ですよ」
「これで?」
物がないのは、着の身着のままでここに来たばかりだからだし、第一、ちゃんと「部屋」である。
「軋まないベッドにあったかいお布団。窓はしっかり閉まりますし、壁に穴も空いていない。天井だって床だって平らです」
「比較の対象が……これまでいったいどんな部屋に住んでいたんだ」
「リドル家の私の部屋ですか? ええと、古道具とか壊れた家具とかが置いてある――」
「いい、分かった」
溜め息を吐かれてしまったが、それでも、部屋で眠れる時はいいほうなのだ。
実際はキッチンの硬い椅子で仮眠を取るだけだったり、伯母たちの目を盗んで納屋で休むしかないような時も多かったから。
あの生活はなかなかハードだったが、おかげでどこでもいつでも眠れるという特技も身についた。
そう胸を張ったらますます呆れられてしまった。
「フレディからも聞いたが、お前のいた家はなかなかひどいな」
「えっ! フレディさんってば、お坊ちゃまになんて話を!」
「……悪い。知られたくなかったよな」
「いえ、そうではなくて。聞いて楽しい話ではないでしょう?」
雇ってもらった身だ。隠し立てはしていないが、親戚の幼子に聞かせる内容ではないと思う。しかもいつ聞いたのだろう。
だが、気まずく思っているのはローラだけのようで、少年はむしろ同情するような表情だ。
(……そういえば、夜中に外に出て攫われそうになったのは、なにか家にいづらい理由があったのかもしれないって思ったんだよね)
目の前にいるこの少年も家庭内に問題を抱えていて、ローラに同調しているのだろうかとローラは考えた。
フレディの口ぶりからすると、暴力を振るわれたりはしていないだろう。とすると、貴族にありがちな、静かで冷たいタイプの家庭内不和かもしれない。
それなら、侯爵家にいるときくらいは、楽しく過ごしてほしいと思う。
一介のメイドであるローラにできることは、好きな菓子や料理を作ってあげることくらいだが、こういった会話も気晴らしになるかもしれない。
「お坊ちゃま、どんなケーキが好きですか?」
「ケーキ? なんだ急に」
「いや、訊くの忘れてたなーって、思い出したので。ケーキじゃなくて、パイやタルトでもいいですよ」
「べ、べつになんでも……」
「ちなみに私、お菓子作りは得意なんです。マデイラケーキからチェリーパイまで、目を瞑っても作れます」
「チェリーパイ……」
思わずといったように溢れた小さな呟きを拾って、ローラはパッと顔を明るくする。
「チェリーパイですね!」
「っ、オレはなにも――」
「ちょうど食べたいと思ってたんですよ。明日のおやつにしましょうね、楽しみにしておいてください」
ふふっと笑って任せてくれと胸を叩く。ようやく誰かのリクエストに応えられると喜ぶローラに、少年は引き上げた毛布で顔を半分隠して決まり悪そうにした。