深夜の打ち明け話 1
雷が騒がしい外を見ないようにして使用人室に到着する。からんとした部屋は居心地良く整理されて、寝台はすぐに横になれるようベッドメイキングも完璧だ。
なのに、少年は信じられないものを見たような顔をローラに向ける。その瞳の色に、思わず目が奪われた。
繊細な銀の色をした前髪の下にあったのは、濃い紫の瞳だった。
(わ、きれい)
初めて会った晩は歩きながら眠ってしまったし、今夜もずっと薄暗いところにいたから、部屋についてようやく少年の顔をしっかり見ることができたのだ。
紫系の色は王族や高位貴族に多い特徴だから、この子が侯爵家の血縁だということは間違いないのだろう。
何度も話題に上がるのに、フレディが少年の名前をローラに言わなかったのは、なにか事情があるからなのかもしれない。
本人が言わないことは尋ねない、というのは、貴族に関わる際の不文律のようなもの。だから、名前のことも瞳の色のことも、ローラは気がつかなかったことにした。
「な、なんでベッドがひとつなんだ?」
「え?」
納得いかなそうに声を上げられて我に返る。
どうやら、使用人室は二人部屋が基本だから寝具も二人分用意があると思ったらしい。寝台を共有するかもしれないとは考えていなかったようだ。
「私しかいないので、メイド長用の個室を使わせてもらっているんですよ。あっ、心配しなくてもシーツは洗濯したばかりです!」
「そういう問題じゃないだろっ、まさか、一緒に寝る気か!? ……コイツ、本気でオレを子どもだと思ってるな」
ぼそぼそと呟き声になった後半はよく聞こえなかったが、いくら子どもでも異性である。その辺はローラだって弁えていた。
「大丈夫です。さすがに添い寝はしませんよー」
「少しは常識があったか」
「私、十九歳ですよ? お坊ちゃまよりずっとお姉さんなんですから当然です!」
「そうは見えない」
「やだ、ショック!」
あはは、と軽く笑いながら、狼狽える少年をベッドの上に下ろして靴を脱がせる。
「でも、それならローラはどこで寝るんだ」
「私はこちらで」
「は?」
窓の傍にある椅子を寝台に寄せると、少年が眉間に皺を寄せる。
年代物のこの椅子は、掃除中に倉庫で見つけ、フレディが許可をくれたのでありがたく借りている。広い座面の座り心地がとてもよく、すっかりお気に入りだ。
休憩時間にこの椅子に掛けて広い庭を見おろしながらお茶を飲むと、なんとも優雅な気分になる。リドル家ではついぞ得られなかった贅沢な一時だ。
「背もたれも肘掛けもあるし、立派ですよねえ。こんなのがごろごろ眠っているなんて、さすが侯爵家です」
「だからってイスで寝るなんて……」
「今の季節なら野宿も平気ですけど。あ、もしかして一緒に寝たかったですか? 雷はまだ怖いですけど少し静かになってきたようですし、一人じゃないのでもう大丈夫です!」
「ち、違っ、そうじゃなくて! こういうときは普通、オレがイスでローラがベッドだろう」
「わあ、なんて紳士的! お坊ちゃま……将来、ご令嬢たちを泣かせるような男にはならないでくださいね」
さすが上流貴族。こんなに幼いうちからレディファーストを教育されているようだ。感心するが、今からこうなら一体どんな大人になることかとそら恐ろしくもある。
「な、なにを――」
「お気持ちだけいただきますね。せっかくのお申し出ですが、さすがに侯爵様のご親戚を椅子で寝せて解雇されたら困るので」
ジャケットを脱がせて強引に横にならせ、毛布も掛けつつ話すと「調子が狂う」とかなんとかぼやいていた少年は声のトーンと落とした。
「……解雇されたら困る、って。ローラはこんなところで働いていたいのか?」
「こんなところってなんですか。私はこちらで働くの、すごく楽しいのに」
「楽しい?」
「楽しいですよ! 作った食事は残さず食べてもらえて、掃除もしがいがあります。気まぐれに無理難題をふっかけてくる人も、無駄に怒る人もいないですし……まあでも、私が満足していても、侯爵様がどう思われているかは分からないんですけど」
ローラを雇ったのはフレディの独断だ。侯爵に望まれたのではないうえ、一切の反応がないから今も薄ら不安である。
正直に告白したのに、少年の眼差しはまだ懐疑的だ。
「スジガネイリの人嫌いで有名な侯爵なのに?」
「それについては私からはなんとも……それに、私だって訳ありですし。あ、でも、侯爵様って絶対に悪い方じゃないです」
「どうして言い切れるんだ」
「だって私、こちらですっごく平和に暮らせていますから」
訳ありのローラを雇うより、リドル家やホイストン卿に引き渡したほうが面倒はないはずなのに、雇用契約書まで用意してくれて、衣食住の面倒をみてくれている。
それに、フレディの言動の端々には、侯爵を気遣う様子が窺える。あんなふうに使用人に慕われる主人が、悪人なわけがない。
「人嫌いなのはその通りでしょうけど、なにか理由があって人前に出られないのかもしれないですし。ご本人に支障がなければ私がとやかく言うことじゃないです。それは、会いたいとは思いますけど」
「会ってどうするんだ。文句でも言うのか」
「まさか。雇ってくれたお礼を言って、私の作るごはんの感想を聞きたいです!」
胸を張ると、少年は目を丸くした。なぜそんなに驚いているのか分からなくて、ローラは首を傾げる。
「お坊ちゃまも、お勉強とかお手伝いとかをしたら褒めてほしいでしょう? それに、侯爵様がおいしいって思うものを作りたいですし」
「……で、でも、屋敷だって古くて、ムダに広い。普通は気味が悪――」
「めちゃくちゃ快適ですよ!」
少年の口調は侯爵本人だけでなくダンフォード家全部を卑下しているように聞こえて、ローラは慌ててそれを否定した。
「たしかに、この広さで私たちしかいないのは寂しいかもしれませんが、気味が悪いことなんて全然ないです。私が怖いのは雷だけ。幽霊とかお化けとか、ええと他には、そう、灰色狼も魔女も平気です、多分」
「……魔女」
「いえ、あの、魔女も狼も会ったことがないので、断言はできません。でもきっと大丈夫!」
「さっきまであれだけ怖がっていて、シンピョウセイがないぞ」
狼と魔女は子どもを怖がらせる鉄板で、どちらも歌によく出てくる。実在はするが、実際にはまず滅多にお目にかかることがない。
怪訝そうに眺めてくる濃い紫色の瞳がまだ疑わしそうで、ローラは眉を下げる。
「雷は特別で、その……すぐ近くに落ちたことがあって、それ以来」
「落ちた?」
「はい。十年くらい前なんですけど」
続きを聞きたそうにされて、ローラは予防線を張る。
「あまり気持ちのいい話じゃないですよ? 悪い夢を見るかも」
「悪夢なら毎日だ。話せ」
(えっ?)
気になる言葉が聞こえた気がしたが、さらに促されたら仕方ない。ええと、と天井を見上げながらローラは当時のことを思い出す。
――いつものように伯母から無茶振りされた買い物のために遠出をした帰り道のことだった。