多忙で平和?なメイド生活 3
ぶるぶると震える手をできるだけ遠くに伸ばして灯を照らすと、その向こうで影が動いた。
「……!!」
(な、なにかいる!? ……ん、あれっ?)
心臓が止まりそうになったところで、また雷の一閃が瞬く。今度こそしっかりと照らされた甲冑の後ろには、見覚えのある姿があった。
ローラの腰よりも背の低いその人と、ぱちりと目が合う。
「……お坊ちゃま?」
「――」
「ひゃああっ!」
続いた落雷の爆音とローラの悲鳴で、返事はかき消されてしまった。
安堵と驚きで、目の前に現れた「若様」に反射的にがっちり抱きついてしまったローラの耳にはどっちにしろ届かなかったが。
「わー! もう! びっくりした!! なんですか坊ちゃま、来るなら来るって言ってくだいよ! せっかくかぼちゃスープ作ったのに! それにどうしてまたこんな夜中に!」
灯りを持っていないほうの片腕だけとは思えないほど、ぎゅうぎゅうとしがみついたまま弾丸のように話し出すローラに、少年がぎょっとして逃げ出そうとする。
「は、はなせ! それに、うるさい」
「うるさいのは外です、外! 雷! 怖くないですか!?」
「わかったから、落ち着け。耳元で叫ぶな」
「あっ、ごめんなさい!」
「だから、うるさい」
(あー、よかった! 普通の生きてる人だった! ほらね、やっぱり「なあんだ」だった!)
ほっとしたら、気が抜けて涙まで滲んできた。何度も言われてどうにか腕の囲いを緩めると、呆れたように溜め息を吐かれてしまう。
「お前、怖がりすぎ」
「だって……坊ちゃまって、もしかして雷は平気な人ですか?」
「シゼンゲンショウを怖がったところで意味ないだろう。それにこの屋敷は石造りで雷を通さないから安全だ。キンキュウヒナンも必要ない」
「難しい言葉をよくご存じですねえ」
年相応にところどころ発音が舌足らずになるが、理路整然とした物言いは、さすが貴族というものだ。
(あれ? そういえば、さっきは確かに大人サイズの人影が見えた気がしたけど……)
違和感を覚えたが、ゴロゴロと間断ない雷鳴に邪魔されて思考は続かない。
そもそも人間の目や認識は、実はそんなに正確じゃないと聞いたことがある。見たい物を見た気になって、聞きたいことが聞こえてしまう、というものだ。
それならば、怖がったローラの心が勝手に見た幻に違いない。
だってここにいるのは間違いなくあの晩の小さな少年なのだから――と、一人で納得しているローラの前で、これまた子どもらしくない仕草で少年は短い腕を器用に組む。
「……なんでそんなに落ち着いていられるんですか。まるで坊ちゃまのほうが年上のようです」
「ローラが子どもっぽいだけだろ」
「あ、名前覚えていてくれた……って、今、わたしのこと馬鹿にしましたね! 意地悪言う人には、ローラさん特製スペシャルデザートあげませんから……って、ひぃ!」
「ふぎゅっ」
ピカッとひときわ明るく空が光って、どどんと落雷の音が響く。立て膝をついたローラに、再度色気なく羽交い締めにされた少年の口から、空気と共に妙な音が出た。
「んぐっ、苦し……、力、をゆる……っ」
「もう、やだー! 雷きらいー!」
一人でなら我慢できたはずの涙がぽろぽろこぼれる。
それに気づいた少年は、仕方ないなというように抵抗を諦めて、少しの間されるがままになってくれた。
「……さすがにもういいだろう。離せって」
「嫌です。今夜は離しません。ずっと一緒にいましょう」
しゃくりあげるローラが落ち着いた頃を見計らって少年に諭されるが、断固拒否をする。
「ご、ゴカイをまねきそうな言い方をするな!」
「ゴカイじゃないし、お招きするのは四階です」
「シャレにしてはくだらない……って、おい!?」
すん、と鼻をすすり上げて、ローラは少年を抱いたまま立ち上がる。
手持ち灯と少年を上手い具合に両腕で抱えて、窓の外を見ないようにしてスタスタと歩き出した。
「あのですね、お坊ちゃま。いつお越しになっても大歓迎ですけど、突然いらっしゃると客室のご用意が間に合わないのです。私は2階に行けませんので、侯爵様やフレディさんにもご相談できません。仕方がないので、今夜の寝床はわたしの部屋で我慢してください」
「はあ? お、オレは今からやることがっ」
「もう真夜中ですよ? こんな時間の子どもの仕事は、しっかりぐっすり眠ることです。寝不足は体が成長するのに大敵なんですって。大変、早く寝ないと」
幼少期に十分な睡眠と食事がとれないと、大きくなれないことがあるのだと酒場の女将さんが教えてくれた。多分、ローラが小柄なのもそのせいだろう。
知ったからには、これから育つ子に夜更かしもさせたくないし、空腹の我慢なんてもっとさせたくない。
「いや、成長ってオレは……っていうか、ローラが怖くて一人になりたくないだけだろ」
「一挙両得とか一石二鳥っていうそうです。大丈夫、お部屋の用意不足については、わたしがフレディさんに誠心誠意謝りますから」
「そういう問題じゃ――」
「お詫びに明日はめちゃくちゃ大きいケーキを焼きます! 坊ちゃま、お願い!」
「……お前なあ……はぁ、わかった。オレはもう知らない、好きにすればいい」
ぎゅうと抱きしめながら頼むと、ほんっとうに渋々だが許してくれた。雷の合間でも小刻みに震え続けるローラに諦めたのかもしれない。
「わあい、ありがとうございます! なんのケーキがいいですか? 張り切って焼きますね。あー惜しいです。もう少し早く、夕食の時間に来てくれたらスープがあったのに。かぼちゃスープ、お好きです?」
「……嫌いじゃない」
言いたいことを我慢するように、ぐっと口ごもってから返事をされた。
「嫌いじゃない」が「かなり好き」に聞こえたのは、一人じゃなくなった安心感からかもしれない。
「わたしのかぼちゃスープ、かなり美味しいですよ」
「……だろうな」
少年はいつかの晩のようにそっぽを向いて答える。相変わらず外は雷が鳴っているが、もうあまり怖くは感じなかった。