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多忙で平和?なメイド生活 1

 ローラがダンフォード侯爵家で暮らすようになって、約半月。およそなし崩しに始まった新しい使用人生活は、驚くほど平和に過ぎている。


 遅めの朝食、おやつ時の昼食、夜中の夕食という生活サイクルは変わらない。

 夜更かしをしたらしいシリルが何度か朝食を抜いたが、違いといえばそれくらい。来客もないため、大きな変化のない穏やかな毎日が続いている。


 伯父や伯母がなにか言ってくるかと心配したのだが、リドル家からは音沙汰がない。

 ローラがダンフォード侯爵家で働くことを認める念書に署名をさせたのが効いているのだろう。


 ようやく御用商人が来て、ローラの望む食材も揃った。新鮮な野菜や肉を使った料理や甘い菓子が作れるようになり、フレディはますます満足そうである。

 清掃はひとまず使う場所だけでいいと言われても、それなりに広さはあるし、これまでちっとも片付けていない分、汚れも年代物だ。なので、手が空けばだいたいいつも掃除をしている。


 フレディが食事や菓子のリクエストを突然してくることもあり、日中はそれなりに忙しい。

 相変わらず働きずくめだが、もめ事もなく、質量ともに満足な食事を摂れて、一日の終わりにはしっかり休息もできる。

 おかげでローラの体調はばっちりだし、ずいぶん顔色も良くなった。

 調理から解放されたフレディはご機嫌でローラを揶揄ってきて、軽口を交わし合っている。数少ない使用人同士の人間関係も含め、新生活は好調だ。


(……侯爵様はどうか分かんないけど)


 人嫌い侯爵のシリルとは、あれ以来顔を合わせていない。

 会うことはないだろうと言われたものの、もしかしたら屋敷内のどこかでばったり出くわす可能性はあるはずだ……と思っていたのだが、まったくそんな気配がない。


(フレディさんが毎日食事を運んでいなければ、二階の執務室に誰かがいることすら忘れそうなのよね)


 シリルのいる二階には浴室もあって、生活の全てをそこで済ませているという。

 水音や足音が聞こえないのは堅牢な石造りの建物と厚い絨毯のせいだろうが、それにしたって存在感がない。

 食事の好みをフレディを通して尋ねてみても、好み以前にシリルは食事そのものに興味がないとのこと。

 ローラが作った食事は残さず食べているから問題ない、とフレディは太鼓判を押してくれてはいる。


(でも、どうせならおいしいと思ってほしいし)


 調理は得意でも、プロの料理人ではないローラだから、雇用主がこだわりのある美食家でなかったことは助かった。けれど「なんでもいい」と言われると、それはそれで困るのだ。

 そこで、辛いもの、甘いもの、酸っぱいものとあれこれ試している。

 どれも残さず食べるし、おいしかったとか、逆に口に合わなかったとかいう感想もないので、調査は捗らない。

 それに完食しているとはいえ、食べているところを見ているわけではないから、食べずに捨てて空の食器だけを戻されている可能性もあった。


(まあ、わたしがどうこう言えることじゃないけど)


 あれこれ考えてしまうのはきっと、シリルの本心が分からないからだ。

 顔合わせをしたときのような一方的な面会ではなく、一度でいいからしっかり話して疑問を解消できれば、そういう人なのだと割り切れるはずなのに。


 ローラに求められているのは、言われたことを過不足なくこなすことであって、余計な気を回すことではない。

 使用人として愚直にそうするべきだし、それが行くあてのない自分を置いてくれた恩返しにもなると分かっている。


(侯爵様の人嫌いにだって、理由があるかもしれないし)


 リドル家で、ローラは自分の意志など関係なしに働かされ、生かされてきた。

 だからローラに会いたくないというシリル本人の意向を無視して、明確に引かれた一線を飛び越えるつもりもなかった。


 それでもやるせない気分が残るのは、思った以上に親切な待遇をされているせいだろう。

 気遣ってもらっているのに、こちらはシリルに無関心でいることを強要されている。

 その不公平さがきっと、ローラが居心地の悪さを感じる原因だ。


「……さ、掃除しよーっと」


 とはいえ、シリルに対して料理以外にローラができることはない。

 モヤモヤを抱え続ける胸を深呼吸で落ち着かせて、掃除道具を持ってキッチンを出た。

 手を動かしていれば、余計なことも考えないで済む。こういうときは掃除が一番だ。


 ダンフォード侯爵家は貴族街の中で有数の敷地面積を誇るだけあって、かなり広い。

 キッチンの裏口は侯爵邸の裏庭に面しており、先には小さな林まであった。

 リドル家が何軒入るだろうとつい比較しながら、ローラは箒を動かし始める。


(ワンちゃんは向こうで遊んだり、お利口に番犬したりしているんだろうな)


 庭はまだ案内されていない。最初の晩以来、屋敷の中であの犬を見かけないからこの広い庭のどこかにいるのだと思う。

 また会えたら撫でてごはんをあげたいと楽しみに待っているのだが、姿を現さないのが残念だ。


(ほかに飼っている動物はいないってフレディさんは言うけど、いろいろ勝手に住み着いてそうなんだよね)


 地面を掃きながら、庭の奥に広がる木々を眺める。

 屋敷の周囲を塀で囲っているとはいえ、広大な私有地には動物の気配を感じる。

 夜中になると、梟とは違う鳥の鳴き声がしたり、鹿のような動物の目が光っているのを木立の中に見たこともあった。

 人間ではなく動物ならば、この屋敷にいてもいいらしい。


 それに、猫もいた。

 ある雨の晩、内廊下を通って部屋に戻る途中で、どこからか入り込んだ猫がローラの少し先を横切ったのだ。

 ちらりと見えた細くしなやかな尻尾と可愛らしい後ろ足に惹かれて、つい、追いかけてしまった。

 ローラが掃除用のハタキを持っていたのは幸運な偶然だ。廊下の行き止まりでこちらを振り返った猫にちらちら振ってみせると、しばらく警戒していたが、根負けしたように食いついてきた。


(すっごく、可愛かった……!)


 シルバーグレイの毛並みがつやつやで、野良とは思えないほど綺麗な猫だった。

 さんざん遊び倒したあとはキッチンに戻って、朝食用に下処理を済ませていた鶏肉を少しあげたら満足したらしく、ローラの膝の上でうとうとしだした。

 あんまり可愛くて、つい部屋に連れ帰ってそのまま一緒に眠ってしまったのだ。


 リドル家で虐げられていた毎日、ときどき遊びに来る野良犬や野良猫がローラの気を紛らわしてくれた。叔母たちから逃げ出して、納屋の隅で寄り添って眠ったこともある。

 自分を害することがない誰かが近くにいるということは、存外に心が安まるものだ。

 そんなこともあって、ローラは動物全般が好きである。


(あのねこちゃん、起きたらいなかった……また会いたいなあ)


 フレディに訊いたら、猫は飼っていないと言う。

 一連のことを話したところ微妙な顔をされてしまったが、餌付け禁止も減俸も言い渡されなかったので、野良猫を構ったのは就業規則違反ではないと認識している。


 ――と、そんなことを思い出しながら掃除をしていると、ぽつりと頬に雫が落ちた。

 見上げた空はまだ晴れ間があるが、もうすぐ日が沈む西の空はどんよりと重い雲が集まっており、風向きも変わっている。今夜は雨になりそうだ。


「……雨の夜は、温かいのがいいよね」


 すっきりと澄んだブイヨンスープにしようと思っていたが、とろりと甘いポタージュの気分になった。 

 夕食のメニュー変更を決めると箒を置いて、ローラは洗濯物を取り込みに走った。





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