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新生活開始 4

 侯爵家での初日の仕事を終えたのは、日付が変わる少し前だった。

 昼は軽くでいいというのでスコーンを焼いて、ドライフルーツで作ったサラダを添えた。


 キッチンや家事室を探索しながら掃除をして、キッシュとスモークサーモンの夜食を作る。朝食と昼食はそれぞれで済ませたが、夕食はフレディと二人で食べて、いろいろな報告をしたり受けたりした。

 犬は広い庭のどこかにいるようで、残念ながら夜になっても姿を現さなかった。


(とりあえず、食事は合格点をもらえたかな)


 文句も言われなかったし、キッチンを覗きに来るフレディは毎食うんうんと笑顔で頷いているから、満足してくれているようだ。

 自分の使用人部屋に戻ったローラは、お仕着せのエプロンを外し、寝間着に着替えながら今日という日を振り返る。


 ――夕方に、フレディに連れられて執務室へ行った。

 使用人の採用はフレディに任されているが、さすがに面通しは必要とのことで、当主であるシリル・ダンフォード侯爵と面会の場が設けられたのだ。

 しかし、あれで「会った」と言えるのか、ローラには疑問である。


(侯爵様、顔もよく分かんなかった……)


 二階に足を踏み入れるのはこれきりだ、となかば脅されながら通された執務室には西日が差し込んでいて、ローラは窓の前に立つシリルのシルエットしか見えなかった。

 背は高かった。体つきも均整が取れていたし、貴族っぽい独特の雰囲気が合ったように思う。


 けれども、今日に限って最高に美しく焼けた夕日のオレンジ色が強すぎて、顔はすっかり影だったし髪の色もあやふやだった。

 シリルの側からは、眩しくて目を思い切り眇めるローラのしかめ面が見えていたはずだ。それもどうかと思う。

 シリルはフレディがするローラの紹介に一度相槌を打っただけで、会話らしい会話はなかったから声も覚えていない。


(一目くらい、美形と噂の侯爵様を見てみたかった気も……べ、別に残念というわけではないけど!)


 数分にも満たない面会はあっという間に終わり、気づけば廊下に出されていた。

 対・使用人においてさえ、これだけ壁を築いているとは、まさに聞きしに勝る「人嫌い」だ。

 今後、わざわざ会うことはないだろう。


 それでも屋敷内ですれ違う可能性がないとは言えないし、その際にローラが「誰だろう?」となってうっかり無礼を働く未来が見えすぎる。

 侯爵閣下におかれましては、もし屋敷内を徘徊するときがあれば、ぜひとも首から名札を下げてほしい。


 ローラにはシリル本人より、書類や資料が積まれた机のほうが強く印象に残っている。

 あの書類の山の隙間に置けるように献立を工夫しようと決めたが、好みくらいは聞きたかった。


(どうせ作るなら、おいしいと思ってもらいたいし。拒絶されなかっただけで今は十分だけど、いつか話せるといいなあ)


 直接、助けの手を差し伸べてくれたのはフレディだが、当主が許してくれなければ最終的には雇って貰えなかったはずだから、シリルも恩人である。

 着の身着のままで逃げ出したローラに、お仕着せの制服だけでなく身の回りの品も用意するようフレディに指示をしたのもシリルだろう。面会のときに口を開いてよければ、そのお礼も言いたかったのだが。


 身の回りの品……たとえば、いま着替えている寝衣も、用意してくれたひとつである。

 御用商人が次に来るのは、少し先の予定だ。顔見知りの業者でさえイレギュラーな来訪を認めないシリルの意向で、今日フレディが外出した際、寄り道をして買ってきてくれたそうだ。


 今のローラにとっては、衣食住さえ保障してくれるならそれで十分。

 それなのに、普段着用のワンピース二着と靴まで用意してくれた。リドル家にいたときよりも衣装持ちになってしまったではないか。


 さらにフレディは、リドル家を訪れて叔母夫婦とも話をつけてきたという。

 それを伝えられたのは夕食の時だったが、実は今日の外出はそれが主目的だったそうだ。


『こういうことは先に手を打ったほうが勝ちだからね。向こうに準備させる暇なんか与える義理はないだろ』


 ローラの十九歳という年齢は成人であるが、社交デビューをしていないため、伯母夫婦の庇護下にある未成年の扱いに準じる。つまり、所有権は向こう側。

 それゆえ、ローラの所在が判明した際には、警察などに「ダンフォード侯爵がローラを誘拐した」と訴えられる可能性があると言われてしまった。


 伯父や伯母の性格からいうと、たしかにその心配はある。賠償金とか慰謝料とか、様々な名目をつけて取れるだけ金を巻き上げようとするだろう。

 男爵家の訴えを退けるのは造作ないが、他人と関わりたくないシリルのために面倒の芽を先に摘んでおくことにした――とのことだった。


『あの、伯母たちから失礼なことを言われませんでした?』

『ん? 別にー。ここで働くことを認めるって書面にしっかりサインもらったし、これでローラも安心だろ』


 問題なかったと請け負うフレディは頼もしいが、その笑みには含みが感じられる。

 ホイストン卿から受け取るはずだった支度金が手に入らなくなって、伯父はかなり怒っているに違いない。伯母も、八つ当たり対象のローラがいなくなって不満のはず。

 けれど、さすがに侯爵家に楯突くような真似はできなかったし、しなかったようでほっとする。


『ありがたいですが、その、お手数をおかけしてすみませ――』

『まあでも、不満そうにはしてたな。やっぱりしばらくは家の中だけで働いてもらうよ。外出先で絡まれでもしたら厄介だ』

『は、はい』


 詫びは遮られてしまった。

 まずは屋敷内でやることが山盛りだから、当面の外出禁止は問題ない。

 ローラの姿が急に見えなくなったことに下町の皆は心配するはずだが、酒場の女将さんには手紙を書いていいと言われたので、その気がかりも解消された。


(結局、侯爵様ってどんな人なんだろう)


 人嫌いと聞いていたし実際の行動もそれを裏付けている。けれどこうして便宜をはかってくれるのは、フレディの独断ではないはずだ。

 夕方に会ったとき。表情の見えないシルエットから感じたのは拒絶ではなく、ローラと同じくらいの戸惑いだった。ホイストン卿に抱いた嫌悪感や警戒感のようなものは一切感じなかった。


(実はいい人だったりして……なんてね! やめやめ、期待はしないでおこう!)


 勝手に人柄を決めつけて、もし違ったらがっかりするなんて。

 一方的にそんなふうに思われるのは、人嫌いのシリルでなくたって嫌だろう。

 顔もろくに見えない面会で、なにが分かったわけでもない。こうして置いてくれるだけで満足しなくては。


(それより明日の朝ごはん! なに作ろうかな)


 頭を実務に切り替えて、ローラは毛布を被った。



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