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新生活開始 2

 ローラが与えられた使用人部屋は最上階で、昨日通されたメインキッチンは一階。サブキッチンやパントリー、各種家事室は地下にある。

 これらの部屋は外にある裏階段で繋がっているから、迷うことはないだろう。屋敷内で遭難する可能性は低そうで、ひとまず安心する。


「掃除はローラが使う場所の最低限だけでいいよ。窓は拭かなくていいし、表玄関も放っておいて」

「えっ、どうしてですか?」


 せっかく全部の廊下を磨き上げる気でいたローラは、ぽかんとフレディを見上げる。

 リドル家だけでなく、貴族街を歩けばどの屋敷も外から見える部分やアプローチを美しく保つことに力を入れている。

 ここに来たのは二回とも夜中だったためよく見えなかったが、侯爵家の門構えも立派なはずだ。しかし、そちらも掃除をする必要はないと言われてしまう。


「そんなところを綺麗にしたら、歓迎されると勘違いして客人が来ちゃうだろ。近寄りにくく感じるくらいがいいんだよ」

「なるほど……?」


 人嫌い侯爵様の指示による来客対策らしい。たしかに、荒れた屋敷にいそいそやってくる人は少ないだろうが、侯爵家としてそれでいいのかとも思う。

 あいまいに頷くローラに、フレディの目が冷たく光る。


「それと、シリルの私室と執務室がある二階は立ち入り禁止。今日はあとでシリルに会ってもらうけど、それ以降もし二階に入ったら、問答無用で解雇だから」

「わ、分かりました。気をつけます」


 侯爵様は、プライベートスペースがかなり広めに必要なタイプらしい。

 そういえば、今してもらった案内も二階だけは完全に飛ばされていた。ここまで徹底されると逆に感心してしまう。


(でも……絡んで攻撃してくる人より、ずっといいかも)


 リドル家での伯父夫婦との暮らしにより、合わない人とは距離を取ったほうがいいとつくづく感じている。

 それを実行しているのなら、ダンフォード侯爵はかなりわきまえた人嫌いではないだろうか。

 同じ屋敷に住んでいても顔を合わせることは少なそうだ。であれば、ローラは自分の仕事に精を出すだけ。


(……うん。おいしいお夜食を作ろう)


 ローラの採用はフレディの独断だ。問題ないとは言われたが、もし、役立たずだと思われたら追い出される可能性はある。

 自分が「できる」と胸を張って言えるのは家事だけだから、近寄らずに惜しみなく働いて、無害なメイドだと認識してもらいたい。

 そして晴れて侯爵公認で働き続けることができて初めて、転職大成功と言えるだろう。


「キッチンは昨日使ったから大丈夫だよな。じゃあ、食事の支度を頼む」

「あ、はい、おまかせください。でもその前に、ほかの使用人の皆さんにもご挨拶をしたいのですが。コック長に献立や食材の状況とかも聞きたいですし」


 案内されながらここに到着するまでの間、誰ともすれ違わなかったし、このキッチンも無人である。非番だったり、広すぎて会わなかったりしたのかも――と思ったのだが。


「あと、この前の晩に会った、お坊ちゃまはどちらに? 昨夜は遅かったから会えませんでしたけれど、もう起きていますよね」


 フレディが、ああ、と顎に手を当てて頷く。


「あの子ならもういないよ。ここにはときどき来るだけだから」

「あ、そうなんですか? ご親戚のお子様だったんですね。てっきり侯爵様のお子様だと思ってました」

「シリルは独身だよ」

「まあ、そのへんはご事情があるのかと……失礼しました」


 若様と呼んでいたし、すっかりダンフォード家の子息だと思っていた。ローラ自身もそうだが、表立っては言えなくても血縁だったりすることは珍しくない。

 もごもごと言い訳をすると、呆れたように溜め息を吐かれてしまった。


「すみません、別に詮索しようというつもりはなくて、その――」

「まあ、君のことだから、どうせ怪我の具合が気になったんだろ」

「そ、そうです、はい! それに、攫われたことを思い出して怖がったりとかは……」

「そんなに繊細なところがあれば、少しは可愛げがあるんだけどねえ。いつも突然現れるから、こっちも困るし」

「そ、そうですか」

「自分が子どもだって分かってないからさあ、あの晩みたいに面倒に巻き込まれるんだよ。本当にもう、探すほうの身になってほしい」

「は、ははは……」


 大仰に溜め息を吐かれるが、ローラまで同意するわけにはいかず苦笑してごまかす。立ち入ったことを訊いてしまって失礼だったかもしれないが、フレディの返事もなかなか失礼だ。


(でも、なんともないなら良かった)


 誘拐されたことが心の傷にはなっていないようで、その点はほっとする。

 強がりの、かわいい子だった。あの子がここに住んでいたなら、年相応に手遊び歌でもたくさん教えてあげたかったのだが、それは叶わないらしい。


「そのうちまた来るかもしれないから、一応覚えておいて。あと、ほかの使用人はいないよ」

「はい、分かりまし……えっ、は? いない?」


 あっさり返された言葉は、聞き違えたかと思ったのだが。


「この屋敷にいるのは、当主であるシリル・ダンフォード侯爵閣下と、執事の僕フレディ・マーカム。そしてローラ、君だけ」

「えっ」

「少数精鋭だと言っただろ」


 しれっと返されて、ローラの丸くなった目はなかなか戻らない。


「しょ、少数にもほどがありませんっ?」

「えー、そんなに驚かなくても。貴族街に住んでて、ダンフォード家の噂を知らないわけじゃないでしょうに」

「いや、その、ええ……?」


 ダンフォード侯爵の人嫌いのことなら、有名すぎて王都中の人が知っている。ただ、まさかここでとは思わないだろう。


(いくらなんでもメイドの数人や、最低でもコックはいると思ったのに!)


 料理ができることで採用されたが、夜食のような軽いものがローラの担当で、昼食や晩餐はさすがに専門のコックが作ると思っていたのだ。

 ……だとすると、これまでシリルはフレディのあの手料理を毎日食べていたのだろうか。

 それなら、新規雇用を渋っていても、背に腹はかえられなくてローラを引き入れたのも納得だ。

 よくよく聞くと、最低限の庭の手入れや屋敷の補修などには人を臨時で雇うらしい。が、その際は終日フレディの監視付きで、最短の期日で作業が行われるという。


(うわ、そこまで徹底してるなんて。侯爵様、人嫌いすぎない?)


「ま、そんな感じでローラにはひとまず料理と掃除を受け持ってもらうけど、慣れたらいろいろ教えるから」


 きらりと光ったフレディの緑色の瞳が「覚悟しろよ」と副音声を伝えてくる。


 ――あ、これ逃げられない。


 解雇を心配したが、取り越し苦労だったようだ。むしろ、今まで同様のハードワークになりそうな気配がする。

 それでも――リドル家に戻りたいとは露ほども思わない。

 忙しくとも、売られる心配はないと確信できるし、すでにこの職場に愛着のようなものを感じているのだ。


(息がしやすいというか、なんか居心地いいんだよね。なんでだろう?)


 広くて古い屋敷は全体的に寂しげな印象なのに、不思議と圧を感じないのだ。むしろ落ちついた静けさが好ましいと感じるほど。


「それじゃあ、ローラ。リドル男爵家から引き抜いた甲斐があったと思わせてくれるよね?」

「が、がんばります!」


 引きつりながら、ローラはぴしりと背筋を伸ばした。

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