第16話 案ずるよりパンクが易し 10
「千代田組のビルって、あそこの組は薬には手を出してないだろ。むしろ、取り締まってるはずだ」
麻薬などのドラッグ販売に手を出さないのは、組の主義のはずだ。
千代田組は昔気質の極道で、所謂用心棒代を羽音町で商売する者達から取りシノギとしている。
不景気の世の中ではそれだけのシノギではまともに組を動かせないので、千代田組も商売には手を出しているが、それも貸ビル、風俗、金貸しぐらいのものだ。
戦後間もない頃から羽音町をシマとしている千代田組は、一時期は煙たがられていたが近年ではまた住民から頼られる存在となっていた。
羽音町は十年前に近くの三つの町を吸収合併して、今の複雑で大きな街となった。
しかしながら、その小さな町を一つにして公共施設などの効率性を求めた結果、まとめられ縮小させられた警察署の警備範囲が狭まり、弊害として街の治安は悪くなってしまったのだ。
計四つの町の若者達が大人の目を掻い潜り、犯罪に走った。
縮小させられた警察では手が回りきらず、そこで活躍したのが千代田組であった。
目には目を、暴力には暴力を。
羽音町の住人達も暴対法の目を掻い潜り、進んで用心棒代を払っていた。
勝の言葉に、須藤は渇いた音を鳴らしながら笑った。
笑うのに揺れる頭が痛かった。
「自分で確かめたらいいさ」
須藤の捨て台詞の様な言葉に、勝は舌打ちをした。
どう転んでも面倒な話である。
「なぁ、おい、オマエ……何でこんなことしてるんだ?」
売人狩りなんて酔狂という言葉では足りないぐらい、イカれた行為に須藤には思えた。
薬の売人を狩っているヤツが、薬を使用するよりトリップしているなんて笑える話だ。
子供番組の正義のヒーローにでも憧れたのだろうか?
相手は戦闘員の様に無尽蔵に現れるというのに。
報奨も何もなく、ただ生身の身体が傷つき、死だって何気無い顔して隣りに立っている様なものだっていうのに。
正義を振りかざすなら、警察官にでもなって給料を貰いながらやるのが賢い選択だろうに。
「……趣味」
勝は素っ気なく答えた。
「どこまでもふざけた野郎だな、テメェは」
須藤は先程口にした言葉を思い出すように繰り返した。
渇いた音を鳴らしながらまた笑うと、アスファルトの冷たさを感じながら目を瞑った。
右足の痛みがまるで浸透し広がっていくようだ。
やわな足だ、と勝は右足を睨みつけると引き摺る様に歩いた。
顔を少し上げると、金属バットを持ったまま立ち尽くしている伊知郎が視界に入る。
「あー、後で電話よろしく……できますか?」
勝は親以外の目上の人物に対して、舐めてかかる学生時代を過ごしてきた為、二十歳を過ぎた今となっても敬語は得意ではなかった。
片言みたいになった自分の言葉が恥ずかしかった。
「電話?」
伊知郎は単語で問い返した。
電話よろしくできますか?、と言われてみても伊知郎はほぼ初対面な目の前の青年の電話番号など勿論知るわけがない。
いや、しかし。
目の前の青年は自分の名前を言い当てているのだから、何処かで出会ったことがあり、その際番号も交換した?
伊知郎自身にはそんな記憶は無かった。
きっと携帯電話にもそんな番号は登録されてないはずだ。
「あ、いや、救急車、っす」
勝は小指と親指を立てて、ヒラヒラと手を振る。
急に日本語が下手になったのかと自分でも疑うくらい言葉が出なくなったので、ジェスチャーで訴えた。
救急車、電話、よろしく、できますか。
ああぁ、と勝の電話を真似た手を指差し伊知郎は大きく頷いた。
上着のポケットに手を突っ込み、携帯電話を取り出す。
「ちょっ、あの俺が行ってからかけてくれ……あ、いや、かけてください」
折り畳み式の携帯電話を伊知郎が開きかけるのを、勝は右手をつきだして制止する。
敬語がスムーズに出てこないのが腹立だしかった。
「いや、君だってその頭、血が出てるじゃないか。それに右足も引き摺っているようだし」
「ああいや、あの、俺は大丈夫なんで。これも血ぃ出ちゃってるけど、浅くて小さな傷だし。あとほら、血は止まってるし」
勝はつきだしていた右手を側頭部の傷のところに動かすと、少し撫でて再び伊知郎に手のひらを見せた。
血が固まっていて手のひらには付かない、という証明をしてみせたかったのだがほんの少し手のひらに血が付いていた。
その手のひらの血と勝の表情を、伊知郎は睨むように見ていた。
勝は苦笑いを浮かべている。
今すぐに救急車を呼ばれるのが不味い理由は何であろうか?
伊知郎は勝の目を見た。
どういう理由かはわからないが、きっと今すぐに救急車を呼び出せば彼はあの右足を無理矢理動かし、走ってこの場を去るだろう。
伊知郎は携帯電話をポケットに押し込んだ。