第112話 グライムに教えられる 32
七階に新たな靴音が響き聞こえ、振り向けるものは一斉にその靴音が鳴る方へと向く。
誰だと警戒して視線を送る者と、来たかとそれが誰か理解して視線を送る者。
靴音の主は、通りすがりに床に落ちた野上の銃を拾い上げると、真っ直ぐ野上のもとへと歩いてくる。
もみあげだけを白髪として残した染め上げられた黒髪のオールバック、喪服の様な真っ黒な背広、薄青のワイシャツに紺のネクタイ、黒の革手袋。
その様相と彫りの深い顔がイタリアンマフィアみたいに見えるんだよな、と平家はその人物へ尊敬と畏怖を抱いていた。
まさかこの場に現れるなんて、と視線は合えどなんと口にすればわからなかった。
「お父さんっ!?」
新たな来訪者に流れる沈黙を破ったのは、八重であった。
「おう、八重、無事か?」
黒い背広の男――千代田毅は、八重の方を振り向く。
微笑むでもなく、安堵の表情を浮かべるでもなく、幼き我が子が転けて膝を擦りむいたのを見守る様な表情を千代田は浮かべる。
この事態はその程度の事なのだと言われているようで、八重は言葉を詰ませた。
「組長、こんな事態になっちまって――」
身を起こして謝罪しようとする遊川を、千代田は手で制止する。
「謝罪なんて聞きたくねぇが、言いたきゃ後だ、陽治。傷の手当が先だ。救急車がじきに来る、それまでじっとしてろ」
千代田はそう言うと、再び野上の方へ振り向いた。
「悪ぃな、北斗。ヤスと少し話がしたい」
千代田にそう言われ、野上を押さえつけていた平家は、ヘイ、と返事をしたあと野上が暴れないように拘束を緩めずに身体を百八十度回転させると、野上の頭を掴みぐっと持ち上げて千代田に向けた。
右頬は赤く腫れて、鼻血を垂らす野上は恐る恐る千代田の顔を見ようと瞼を開く。
視界に映るのは、千代田の顔ではなく銃口だった。
覚悟はしていたが、思わずヒィィッと情けない声が出てしまう。
「オイタが過ぎたな、ヤス」
屈み、覗き込むように野上の顔を見る千代田。
銃口を野上の額にと押し当てる。
先程撃ったばかりの銃口は、僅かにまだ熱を持っていた。
「遅いっすよ、組長。あ、アンタとはもっと落ち着いて、は、話がしたかった」
「そうか、それは残念だ」
鼻血が口に入る溺れるように話す野上と、冷たく重く響く千代田の返答。
「父子の盃を交わした仲だ。ヤス、テメェの話は聞いてやりたがったが、悪いな、俺が遅すぎた」
冷たく重く響く千代田の言葉に、野上は、へ?、と間抜けな反応を見せた。
「悪いな、ヤス、俺は子育てがどうも苦手でよ。テメェの為に何が出来たのか、ずっと考えてここへ来たんだが、今もまだちゃんと答えを出せずにいるよ。やれることが、こんなつまらねぇケジメだ」
そう言って千代田は野上の額に押し当てていた銃口を、離した。
再び見える銃口に、野上は口に含んだ鼻血ごと唾を飲んだ。
鉄の匂いと鉄の味、今すぐにでも吐き出したい気持ちになる。
「極道の筋として、ここで弾くのは簡単な話だ。だがな、ヤス。テメェはカタギを巻き込みすぎた。極道の筋だけで片付けていい話じゃなくなった。それに、テメェを極道として扱ってやれなくなった」
七階まで響くサイレンの音。
パトカーに救急車、駆けつけた数の多さがその騒音とも呼べるサイレン音の大きさでわかる。
銃を離し、千代田は立ち上がる。
「こんな結末になっちまって、悪いと思ってる。刑務所で達者に暮らせ、じゃあな」
言葉とは裏腹に冷たく重く響く千代田の言葉。
それはかつて組員であった男へ送る餞別ではなく、縁も何もかもを切った男に向ける別れの言葉であった。
遊川に否定され、自分なりの極道をやってみせたのに、見向きもしないとハッキリと告げられ、野上は言葉を失い床に顔をつけるように伏せた。




