あなたと離れられるなら死すら厭わない
意地悪なラガルトが村を出ていくらしい。
冒険者になるんだそうだ。
ラガルトと離れられると知って、フアナはこっそり喜んだ。
ラガルトは、昔からフアナにばかり意地悪をする。布を縫えば縫い目を笑い、お菓子を作れば勝手に食べて「下手くそ」と笑い、村を訪れたかっこいい女性騎士様に花輪を渡そうと頑張って花を摘んでいたら、取り上げられたあげく花を踏み潰された。
その度に、フアナは真っ赤になった。本当はすぐに「やめて」と言いたいのに、あがり症なので、どうしてもうまく言葉が出てこないのだ。喉につっかえた抗議を言葉にする前に、ラガルトは顔を歪めて「言いたいことがあるならいえよ」とフアナの肩を押したり、頭を叩いたりした。
そうされると、フアナはますます何も言えなくなって、俯いて唇を噛むしかできなくなるのだ。
フアナはそんな自分が情けなくて情けなくて本当に嫌だったから、学校で文字を教わってからは、嫌なことは嫌と伝えるべく、ラガルトへ手紙を書いた。
こういうことをされるのは嫌だからやめてください、と認めて、勇気を出して手渡したら、ラガルトの周りにいた男の子や女の子たちが「えー! なにそれ恋文!?」「やだー! 真っ赤ちゃんのくせに」「きもーい」と笑い出して、ラガルト本人もしごく嫌そうに手紙を摘み上げ、ビリビリに破いて捨ててしまった。
「うっざ」
床にばら撒かれた散り散りになった手紙を見て、ラガルトは「ちゃんと捨てとけよ」と言って、みんなを連れて出て行った。
きっと、ラガルトはフアナのことが嫌いなんだろう。一体何をしてしまったのか、知らないが、フアナだって、ラガルトが大嫌いだ。
早く、早く大人になって、この村を出て行きたかった。ラガルトのいない場所ならもうどこでもいい。とにかく、離れたかった。
なのに。
「お前も来るんだよ」
村を出て行くラガルトは当然のように宣った。
ラガルトは、フアナも連れて行くという。みんなの前でそんなことを言われて、あがり症のフアナは真っ赤になった。本当に本当に嫌だったから、一生懸命声を出して「いや」と言ったのに、誰も聞いてくれなかった。
両親でさえ「男の子は、好きな子のことをいじめちゃうもんなの」「女の子は愛されるほうがいいのよ」なんて、まるでラガルトがフアナのことを好きでいるかのように思い込んで、一緒に村を出て行くことを喜んだ。
フアナを抜きにして、村はお祭り騒ぎだ。
村長がラガルトのために剣を用意した。
それを見ようとみんなが集まっている。
フアナは来たくなかったが、ご機嫌な両親に「めでたい日だから」と飾り立てられて無理やり引っ張ってこられた。
みんなの中心でラガルトは得意げだ。
意地悪な瞳が、フアナを見つけて、笑う。
「なんだよ、お前も見に来たのか? 特別に触らせてやるよ」
差し出された剣を虚ろに見て、フアナの頭にふとした考えが浮かんだ。
これはきっと最後のチャンスだ。
「ありがとう」
覚悟を決めてしまったせいなのか、いつもみたいに真っ赤になることもなく、ごく自然と微笑んで、静かに礼を言うこともできた。
驚いたように目も口も丸くしているラガルトから剣を受け取って、鞘を払う。
磨き抜かれた刀身は鏡のようにフアナの顔を映した。
なんて、綺麗なんだろうか。
フアナはラガルトを見た。
「誰も私の話なんか聞いてくれないけど・・・・・・ これで、最後。――あなたなんかに連れていかれるくらいならここで死んだほうがまし」
躊躇いはなかった。
首に当てた刃を思いっきり引く。
誰かが叫び、誰かが走り、誰かが腰を抜かした。
フアナは剣を持ったまま倒れ込む。
しかし、鉄臭く濡れる自身に駆け寄ってきた人物を目にして、力の限り叫んだ。
「触るな!!」
喉から血が吹き出しても、フアナはやめなかった。
「あなただけには、もう二度と触られたくない。名前も呼ばないで。耳が汚れる」
目は閉じなかった。
見えなくなる瞬間まで、フアナは真っ白な顔をしたラガルトを睨んでいた。
***
フアナの最期は多くの村人が見ていた。
遺体は葬儀屋がどんなに頑張っても瞼を下ろせず、布をかけることで顔を隠すことになった。
フアナの両親もラガルトの両親も村人たちもみんな突然の死を悲しんだが、それ以上に理解ができなかった。
なぜ、フアナが死を選んだのか。
彼女は幸せだったはずなのに。
だって、ラガルトは、村で一番の美男子だ。明るく人を導く才能があり、いつだって同年代の子どもたちの中心にいた。
頭もよく剣の腕も立つ。将来は名のある冒険者になるだろうと期待されて、その通りにギルドから声がかかり剣士としてギルドに登録することになった。こんな田舎の村では名誉なことだ。
みんながお祝いした。
そして、彼がフアナを連れて行くと言った時は、やっとプロポーズするのかと笑った。
昔から、ラガルトがフアナのことを好きなのはみんな知っていた。
引っ込み思案で、恥ずかしがり屋なフアナは滅多に人前に出てこないが、ラガルトが構いに行くと必ず顔を赤くする。涙目になって「やめて」と小さな声で言う姿が初々しいと評判だった。
ラガルトがそんな彼女にぞっこんであることももちろん周知の事実だった。
友人たちは、たびたび「素直になれよ」と彼を揶揄ったものだった。
なのに。
彼女は。
みんなの前で。
ラガルトの前で。
命を絶った。
『触るな!!』
あれほど大きな声を彼女が上げたのを村人は初めて聞いた。
顔も身体も真っ赤に染めたその姿は全身全霊でラガルトを拒絶していた。
ラガルトは、憔悴している。
家族が付き添っているが、棺を覗き込むことさえできない様子だった。
フアナの母親は泣き、父親は呆然としていたが、誰も声などかけられなかった。
やがて、葬儀も終わり、半年が経った頃、フアナの母親はようやく、フアナの部屋を片付ける気になった。
そこで、彼女はノートを見つけてしまう。
何気なくページを広げて、フアナの母は泣き崩れた。
ノートに書き連ねてあったのは、フアナの叫びだった。
『「いや」って言ってるのに、どうして誰も聞いてくれないの?』
ごめんなさい。照れているのだと思ったの。自信がないだけだと思い込んでいたの。
『ラガルトなんか大嫌い。あんな意地悪な人いない』
ごめんなさい。ラガルトがあなたの事を愛していたのは確かなの。彼はギルドに頼んであなたと暮らすための家も用意していて、フアナに苦労はかけさせないと私たちに挨拶にも来て約束してくれたの。だから、私たちはあなたが幸せになれるとそう思って。
『こんなことされたら嫌だって手紙をかいたのに、恋文と勘違いされて破られた。違うのに。破くなら中身を読んでから破いてよ』
『私が悪いの? 我慢しなきゃいけないの? いつまで?』
『もう、つかれたわ』
それが最後だった。
了