遭遇
いよいよ入学式である。
マシェリア学院の入学式はお祭りのような様相を極めており、両親に伴われて学院入りするのが習わしである。
「緊張してるのかな? うちのお姫様は」
何時もならば賑やかなダリアが無言で窓の外だけを見つめている為、ディーノは敢えて「お姫様」と呼んだ。
婚約が決まる前までダリアはディーノに「お姫様」と呼ばれていたのだが、婚約が決まると「もう子供ではないのですからお姫様と呼ぶのはやめてください!」と言われてしまった為に呼ばなくなっていた。
心の中では何時までも可愛いお姫様なのだが、子の成長もまた楽しいものであった為に呼ぶのをやめたのだ。
だが「お姫様」と呼ばれた事にも気付かないままダリアはじっと外の景色を眺めていた。
『あぁ、もうすぐ学院に着いてしまう。そうしたら絶対ジェラス様に会ってしまう。どんな顔をして会えば不自然にならないのかしら? これはあれよね? 前世の姉が言っていた「元彼と顔を合わせた」時と同じ気持ちよね、多分、経験ないけど。まだ前世の姉みたいにバッタリと鉢合わせちゃうよりはマシ...…多分。ジェラス様に会ったら「もう私は大丈夫ですからお気になさらず、お幸せになって下さい」って伝わるような笑顔を...…ってそんな笑顔ってどんな笑顔なの!? 知らないわよ、そんな高等技術!! どうしよう、どうする私!?』
景色は無情にも流れて行き、マシェリア学院はもうすっかりとその全貌を顕にしている。
赤レンガとは違うテラコッタのような色味の薄いレンガで外壁を飾るマシェリア学院は王城を思わせる程に大きな建物である。
等間隔に並ぶ白枠のアーチ窓、近くでよく見ると外壁の一部には彫りレンガが使用されている。
卒業制作の一環で三年間コースの女子達が彫り上げる彫りレンガは見応えのある芸術作品のようになっており、学院を訪れる人達の目を楽しませている。
屋根は銅に付く青錆のような色の緑青。青みがかった緑色だ。
緑の屋根とレンガの外壁で思い浮かぶのは前世の深谷駅。
東京駅と言いたい所だが深谷駅の方にとてもよく似ている。
『似てるわね、深谷駅に...…大きさもその位? 学院の方が少し大きいかな? 赤レンガじゃないから何となくぼんやりした感じだけど...…はぁ、今日からここに通うのね』
前に見た時は大きくて立派で、それでいて歴史を感じる風貌に心躍ったものだったが、今は魔王城のような圧迫感と威圧感を感じる。
馬車が学院の門の前で停車した。
基本的に馬車は学院の門の中には入れない決まりになっており、門の前で降りたら歩いて校舎まで向かわなければならないのだが、正門から校舎までの距離はそこそこある。
校舎の前には綺麗な前庭が整備されており、そこを抜けると漸く校舎へと辿り着くのだが、前庭が無駄に広く(噴水や彫像まである公園のような広さを有する)、体力のない人には中々に厳しいかもしれない。
綺麗に舗装された校舎へと続く石畳の道を歩いているとジェラスの姿を見付けた。
ジェラスは腕に腕章を着けており、入学生の案内係をしているようだった。
ジェラスはまだダリアには気付いておらず、ダリアは気付かれないように両親の腕を引きジェラスから離れようと道を逸れようとしたのだが、その瞬間にバッチリとジェラスと目が合ってしまった。
すかさずこちらへと向かってくるジェラスにダリアは逃げるように両親を置き去りにして走り出した。
*
入学式、案内係を命じられたジェラスはまだ入学生がやって来るよりも早い時間に学院へと登校していた。
腕章を受け取り、案内係としての注意事項等を口頭で伝えられ、各自の持ち場へと向かった。
ジェラスは馬車を降りて校舎へと向かう新入生とその家族を迎える担当になっており、校門付近が割り当てられた。
新入生達がやって来る時間になるとジェラスはソワソワとして落ち着かない気分になるのを必死で抑えていた。
ダリアが乗ってくるであろう伯爵家の馬車は何度も見ている為に覚えている。
一見すると黒塗りのシンプルな馬車ではあるが、控えめな家紋と夫人が好きな百合の花が小さく描かれたもので、赤い内装の馬車が多い中、百合の柄の白と葉の黄緑の目に優しい内装となっている。
何人もの案内をしながらダリアの姿を無意識で探していたジェラスはふと視線を感じてそちらを見た時ダリアを見付けた。
その瞬間胸がドキンと跳ねたのだが、何故跳ねたのか考える間もなく走り出したダリアを追い掛ける事となった。
「何で逃げるんだ!? 僕が怖いのか!?」
泣き出しそうな顔をして突然走り出したダリアを追い掛けながらジェラスは多大なる不安とちょっとの不満を感じていた。
どうして逃げるんだ! 暴力的な男だと思われて嫌われて怯えられているのだろうか? 顔も見たくない程に幻滅されてしまったのか? だからって逃げる事はないだろう!
漸く追いつきダリアの腕を掴んだものの、ダリアはジェラスを見ようとしない。
「ダリア...…その、殴ってしまって申し訳なかった...…不慮とはいえとんでもない事をしてしまって、本当に申し訳ない...…直ぐに謝罪に行けなかった事も、本当に申し訳なかった!」
口の中がカラカラに乾きながらも謝罪の言葉を述べたのに、ダリアは一向にこちらを向かず声すら発しない。
「ダリア...…こちらを向いてはくれないのか? それ程までに僕を許せないか? それとも僕が怖い?」
無言を貫きジェラスを見ようとしないダリア。
自分の方を向かせようと掴んだ腕を引き寄せ抱き締めるような形になった時、ダリアの顔が漸く見えた。
真っ赤な顔をしながらも零れ落ちそうな涙を目を湛えたダリアの顔が目に飛び込んできて、ジェラスの胸はまたドキンと跳ねた。
こちらを向いてくれたが自分を見ないように目を逸らしているダリア。
「ダリア? 怒っているんだね。当然だよな。本当に申し訳なかった。婚約者として僕は君に誠実ではなかった。本当にすまなかった」
「婚約者」と言う言葉にダリアの体が小さく揺れた。
至近距離で向き合うような、遠目から見たらさも抱擁か口付けを交わしている二人に見えてしまいそうな距離で向かい合うダリアとジェラスだったが、二人の間には高い壁がそびえ立っているようにジェラスは感じていた。
「...…オルティニア様...…手を離してくださいませんか? 私達はもう婚約者ではありませんので、ダリアと名前で呼ぶのも相応しくありません」
「なっ!? え? オルティニア様!?」
「今まで気持ちを押し付けてばかりで申し訳ございませんでした。これからはオルティニア様の御心のままに、どうかお幸せになってくださいまし」
ポロリとダリアの大きな夕焼け色の瞳から大粒の涙が零れた。
「え? それってどういう!?」
全てを言い切らないうちにスルリとジェラスの腕から抜け出したダリアは脱兎の如き速さでその場から走り去っていった。
「婚約者ではない? どうして?」
ジェラスが拒否した事で婚約は継続されている。ダリアはまだジェラスの婚約者だ。それは紛う事なき事実である。
「何が、どうなっているんだ?」
それまでの猪突猛進なダリアからは考えられない程に儚げでいたいけな姿に見えたダリア。
零れ落ちた涙は思わず手を伸ばして拭ってあげたいと思う程いじらしく可憐に見えた。
ダリアが発した言葉はジェラスの耳の奥で何度も繰り返し再生されて消えて行かない。
「幸せになってくださいましってなんだよ!」
走り去って姿も見えなくなったダリアに向かってジェラスは弱々しくそう呟いていた。




