ド正論
婚約が白紙に戻されたと思い込んでいるダリアはジェラスを未だに想いながらも平穏に過ごしていた。
前世の記憶を思い出してから少し前世寄りの、以前のダリアよりは大人しい性格にはなったものの、周囲には落ち込んでいる為だと思われた。
ディーノはジェラス君に嫌われているのであれば何れ婚約は白紙に戻されるだろうと考え、ダリアの母であり妻のアルスにはとりあえず様子見となったとは伝えたものの、婚約が継続になったと喜ばせておいてやはり白紙にとなるとあの子が可哀想だと夫婦で話し合いダリアには黙っている事にした。
一方、婚約が継続(様子見だが)される事となったとは知らないダリアは身の振り方を考えていた。
ダリアには五歳年上の兄と三歳年上の姉がおり、兄は家を継ぐ事が既に決まっている。
姉は三ヶ月前に相思相愛の婚約者の元へと元気に嫁いで行った。
ディーノはずっと家にいていいと本心から常々言う程に家族大好き人間なのだが、ダリアはそれを真に受けてはおらず、新しい婚約者を見付けるか家を出て職を持って働くかを本気で考え始めていた。
職業寡婦なる知識や手に職を持った女性が社会に進出し始めてはいるが、実際はまだまだ女性が一人で働いて生きていくには厳しい世界。
前世のようにキャリアを積み、女性でもバリバリと働ける社会にはないこの世界でダリアが出来る事は限られる。
マナー等を教える家庭教師の職はそれなりに年齢を重ねた女性が求められるし、勉学を教える家庭教師は豊富な知識を求められる。
ダリアはそれなりに勉強は出来る方ではあるが、家庭教師を務められる程の知識量はなく、まだ人に教わる立場である。
手に職を付けようにも何をすればいいのか分からない。
だったら新しい婚約者を、と思うのだが、ジェラス程に好きになれる人が現れるとは思えないし、添い遂げるならばやはり好きな相手と添い遂げたいと思う。
少し前までは貴族であれば家の為に政略結婚をするのが当たり前な情勢だったが、今は例え政略結婚であっても愛のある関係が好ましいとされて恋愛結婚が推奨されている。
仲の良い両親を見て育ったダリアが「私も結婚したら両親のような素敵な夫婦になりたい」と考えるのは当然である。
通常貴族は十代中頃までには婚約者が決まっており、十八から二十歳までには結婚をする。
現在ダリアは十六歳。婚約者を探すのには少々出遅れている。
子爵家より下の貴族の令息であれば婚約者の決まっていない者達は多いのだが、家族大好き人間のディーノが苦労が目に見えている下級貴族の元へとダリアを嫁がせる可能性は低い。
男爵家や準男爵、騎士爵を賜っている者達の中でも有望な者達は早々に婚約者が宛てがわれているのが常である。
未だに婚約者のいない者達は家督を継げない者や素行に問題の多い者、将来性の望めない者が大半だ。
「はぁ...…もしかして詰んだ?」
溜息しか出ない。
*
ジェラスは焦っていた。見舞いに行きたくても謹慎中の身である。
ではせめてお詫びの手紙だけでもと思っても「今はそっとしておいてほしい」と突き返されるばかり。
毎日突進してきて正直辟易していたはずなのに、全く姿が見えないとなると何故か落ち着かない。
「何なんだよ...…クソッ!」
そんなジェラスの元へヘミリーが訪ねてきたのはダリアを殴って十日程が過ぎた頃だった。
部屋を訪ねて来たへミリーはジェラスを見るなり「最低!」と怒鳴りつけた。
「どんな理由があっても女の子を殴るなんて本当に最低っ!」
好きな女の子に「最低」と言われるのは心が抉られるものである。
ジェラスはへミリーの言葉で頭を強打され心臓を切り付けられたような痛みを覚えた。
そんなジェラスにお構いなしにヘミリーは更に言葉を続ける。
「どうしてこんな所にいるの!? 謹慎!? そんなの関係ないでしょ!? 何で謝りに行かないの!? 謹慎だろうが何だろうが行こうと思えば行けるじゃない! 行かないのは行こうとしてないからよね!? それで謝罪したいなんてどの口が言うの!?」
ぐうの音も出ない。その通りである。
謹慎といえど別に監視されている訳でも監禁されている訳でもない。外に出ようと思えば何時でも出られる状況だった。
「ジェラスのそういう所、本当に嫌い! 昔っからそうよね!? 格好付けてるのか何なのか知らないけど、口では良さげな事を言っといて行動には移さない! 煮え切らない所がムカムカする! 婚約者なんでしょ!? 殴るつもりがなくても殴っちゃって怪我させちゃったんでしょ!? だったら何で動かないの!? 馬鹿なの!? 悲劇の主人公にでもなったつもり!? 今本当に辛いのはダリア様じゃないの!?」
正論という名の言葉の刃がジェラスの心にグサグサと突き刺さる。
反論する言葉すら見付けられない程のド正論を叩き付けられ、身動ぎすら出来ない。
「ジェラスになんてダリア様は勿体ないわ!」
言うだけ言って部屋を出て行ったヘミリーを追う事も出来ず、ジェラスは打ちひしがれたようにただ呆然と座っていた。
少しすると胸に沸き起こるのは自分への不甲斐なさばかり。
だけど体は鉛のように重く、動かない。
大好きな女の子に「本当に嫌い!」と言われた傷と自分自身への苛立ちと情けなさで涙が出そうになっていた。