昨日のタマキは今日のモモ
良くありそうな設定。バーチャルな世界でも現実と同じだとぼやきながら逃げる主人公の姿に笑って欲しい。
加倉賢は、蜜美志商事の主計部員、入社3年目。賢と同じような主計配属の同期に堀木玉希と真山久造がいる。
玉希は、賢とは大学のクラスメートでもある。なかなかの美人で、それでいてツンと澄ましたところは全く見られないので、社内一の人気者となっている。
おそらくデートの誘いも頻繁にあるのだろうけれど、まだ性交した、いや、これはとんでもない誤植、誘いに成功した者はいない、社外に決まった相手がいるのではないか、と言うのが社内でのもっぱらの噂だった。
真山などは、全然誘いに応じないと言われている玉希に、「難攻不落の玉希嬢」とあだ名をつけている。「城」と「嬢」を掛けたダジャレだが、真山本人は生涯で一番の傑作だなどと言って、玉希のいないところで盛んにこれを使っていた。
賢は、真山がこんなあだ名を考えついたのは、おそらく何度誘っても断られ続けた結果なのではないかと推測している。賢自身は玉希に誘いを断られたことはない。誘ってもどうせ断られるだろう、はっきり断られると夢がなくなってしまうと思って、一度も誘ったことがないからである。
実は、賢だけでなく、在学中も入社後も玉希の周囲の男性は、みんな同じように誤解していたのである。あれだけ魅力的なのだから、自分が太刀打ちできそうもない彼氏が既にいるのだろうと勝手に推測して玉希のことを敬遠してきたのである。
玉希もそのことを十分承知していたが、気に入った男性が現れても、玉希のほうから声を掛けることができないでいた。だから、ずっと寂しい日々が続いていた。顔には決して出さなかったけれど、周りに誰もいないときには、自虐的に、私の前を素通りした1000人の男性なんて独り言をつぶやいたりしていたのだった。
そんな玉希も最近になって、このままではいけないとついにある決意をしたばかりだった。
そんな玉希の決意など知らずに、賢もようやく心を決めた。断られてもいい、玉希を一度デートに誘うのだ、と。そのため、入手が困難なバードのコンサートのチケットを必死の思いで2枚入手したのだった。
さて、会社の決算もようやく終わって、それまで死ぬ思いで働いて来た主計部員も、ほっと一息ついた翌日のこと、賢が、社員食堂に入ってみると、不自然に入口付近が混んでいた。さてはと思って奥のほうを眺めると、予想通り尾田野部長が食事をしていた。
尾田野部長は、ゴルフが大好きで、相席すると、食事中ずっとボディターンだのインサイドアウトだのとゴルフの講義を聞かされる羽目になる。
だから、みんな被害予防のため離れた席に座っているのだ。それでも、誰も傍に座らないと、尾田野部長は誰かに声を掛けて犠牲者が生まれることになる。今日の犠牲者は、尾田野部長の前で有難い講義を聞かされている総務の武智密日出課長だった。
賢は、当然のように入口の近くの席に座った。同期の真山と一緒のことが多いのだが、この日はたまたま一人だった。
隣の席に経理の普渡凸矢と折尾礼市が座っている。聞くとはなしに二人の会話が聞こえて来た。賢は、耳だけは良い。いや、耳もよい。
「ところでどうなんだい、うまく行っているのかね?」
折尾が興味深そうに普渡に尋ねた。
「言うことなしですよ。ドアを開ければ『お帰りなさい。』と笑顔で迎えてくれるし、私が帰る時間を見計らってお風呂を沸かして待ってくれています。食事は、体調なんかも考えて、メニューを決めて、それを上手に料理してくれるんですよ。」
普渡は、これ以上はないと言うくらいの笑顔で喜びを隠さずに話している。
賢は、あれっ、普渡さんは結婚したのかなあ、絶対一生独身だと思っていたのに、と驚いたが、さらに二人の会話は続いた。
「あっちのほうはどうなんだい?」
「もう最高ですよ。」
「最高って、君はそんな比較ができるくらいの経験があったのかい?
「いや、すみません。実は恥ずかしながら初めてなんです。でも本当に天国に行ったような気分になれるんです。」
「そうか、そいつは羨ましいな。今度遊びに行こうかな。」
「えっ、勘弁してくださいよ。しばらく二人だけにして下さい、お願いですから。」
「わかってるよ、冗談だよ。」
賢は、やっぱり、普渡さんは本当に結婚していたんだ、しかも、みんなに黙ってこっそりと、と思った。同時に、普渡と結婚してもいいと思った女性は、一体どんな人なんだろうか、一度見てみたいとも思った。
気が付くと、賢の席を挟んで普渡らとは反対側に堀木玉希と桐生麻也子が座っていた。
「ねえ、教えて。どうなの?」
桐生が興味深々といった顔で尋ねる。
「いいわよ。最高。変なところに寄り道したりしないで、笑顔でただいまって帰って来てくれるし。お風呂や食事なんかもね、私のことを第一に考えて準備してくれるの。」
「羨ましいわね。うちの人に聞かせたいわ。それで、あれ、つまり、夜のことだけれど、あれはどうなの?」
ストレートに聞かれて、玉希は驚きの表情を見せたが、少し間を置いて、恥ずかしそうに下をむいたまま、
「いいわよ、とっても。」
とだけ答えた。
賢の驚きようったらなかった。玉希が結婚した、あるいは、同棲している!ああ、この世はもう終わりだ、なんて僕は馬鹿なんだ不戦敗なんて、どうして声を掛けなかったんだ7年間も傍にいたのに、そう思うと今にも気絶しそうであった。
翌日、賢は、真山に普渡と玉希の双方の話をした。真山は笑いながら言った。
「普渡さんは結婚なんかしてないぞ。あれだよ、あれ。」
「何だよ、あれって。」
「VHS、つまり、ヴァーチャルハッピーシステムだよ。部屋のあちこちにセンサーが装備されていて、小さな装置を付けると、今の話にあったような、完璧な結婚生活が味わえるんだそうだ。しかも、現実の結婚生活のような煩わしさがないという大きなメリットもあるので、若い人の間では密かに流行っているらしいよ。」
「普渡さんは夜の話もしていたけれど。」
「ああ、それも南極28号というちょっとした追加装備で味わえるらしい。僕も興味を持っていたんだ。賢もどう、一緒に試してみないか。今の話だと難攻不落の玉希嬢もついに陥落しちゃったみたいじゃないか、もうあきらめろよ。」
翌日の土曜日、二人でVHSを扱っている営業所を訪ねた。
まずは、真山の番である。
「どのような女性がお好みですか?」
「あなたのような人がいいです。」
「皆様そうおっしゃいますね。」
「え、そうなんですか。みんな目が悪いか、口がうまいかのどちらかだな。」
「何かおっしゃいました?」
「なんでもありません。あの、この7番の写真のタイプでお願いします。」
「7番は人気があるんですよ。やっぱり、ラッキーナンバーですからね。名前はどうされますか。」
「名前はモモでお願いします。」
「かしこまりました。そちら様はどうなさいますか。ご希望の女性の写真をお持ちいただいていればそっくりにできますけれど。」
賢は係員に玉希の写真を渡し、名前もそのままタマキにしてくれと注文した。
体験希望者用に設備が整えられた建物に二人は案内され、必要な装置を装着して、ドアを開いた。
翌朝、兼と真山は、感想を述べあったが、二人とも夢のようだったと一致した。賢は、玉希への想いが叶わないのなら、少し高額だけれどもこのシステムの会員になろうかと気持ちが傾きかけていた。
「賢、ものは相談だけれども、交換してみないか、今日の夜。」
真山が部屋の交換を持ち掛けて来た。
「そんなことできるの。」
「いいんじゃないか。体験なんだから。」
そんなやり取りがあって、その日、仕事を終えた二人は、相手方を交換し、賢はモモが待つ部屋へ、真山はタマキが待つ部屋に入って行った。
賢は、前日とは違う喜びを味わった後、夜遅くになってから、タマキの待つ部屋に戻った。廊下で真山とすれ違ったが、真山も満足したようだった。
ところが、部屋のドアを開けた賢を待ち受けていたのは、頭から2本の角を出したタマキだった。予想外の成り行きに賢は冷静さを失った。
「今までどこに行ってたの。」
「いや、真山と一緒に残業していたんだよ。」
「そんな見え透いた嘘をついてもだまされないわよ。」
「うそじゃないよ。何だったら真山に聞いてくれよ。」
「その真山さんは、さっきまで、この部屋にいたのよ。」
「あっ、そうだった。うっかりした。えっ、じゃあタマキは真山の相手をしたの?」
「そうよ。私たちは抵抗できないようにできてるの。それにしても2日目にもう浮気なんて絶対許せないわ。」
怒ったタマキは、ほうきを振り回して賢を追いかけ始めた。なんだ、これじゃ、人間の場合と同じじゃないか、そう思いながら賢が廊下を走って逃げていると向こうから真山も逃げて来た。二人は正面衝突して賢は気絶した。
「加倉くん、加倉くん。起きて、加倉くん。ねえ、もう起きてよ。」
賢は、玉希の顔を見ても、まだ頭がぼやけていて、長い夢を見ていただけだったことが理解できずに、ごめんなさいを連発した。
玉希は、賢が社員食堂でぐっすり寝込んでしまったことを謝っているのだと誤解した。
「加倉くん、相当疲れていたのね。食堂のおばさんの話だと、席に着くなり、いきなり眠りだしたんだって。決算で残業が続いたものね。本当によく頑張ったよね、加倉くん。頑張ったから、私からプレゼント!」
「えっ、堀木さんから僕にプレゼント?」
「そうよ。はいっ、バードのコンサートのチケット。二人で聴きに行こう。賢!」
登場人物の名前はほとんどが著名芸能人のパロディです。