第五話
そんな騒動から一時間後。
「実にいい温泉だったな!」
「ソウデスネ……」
温泉を上がったジャスティナは身体が清潔になったこととその他の要因で実に上機嫌だった。
一方、身体担当のハウディの表情は暗い。顔はないので代わりに肩を落としトボトボ歩いている。外から見れば顔の表情と身体の動きが一致していない一見して不気味な状態になっていた。
「村の若人たちの鍛え上げられた肉体、あれなら立派な騎士になれるだろう!元の身体に戻ったら王に進言しなくてはな。騎士の若い者と組み手をさせるのもいいかもしれない。特に一番背の高かったあの男、メリュジーヌが相手している領主様はあのような体格なのかもしれないな?」
「ソウデスネ」
「どうした元気がないなハウディよ。貴様もそこそこ鍛えていたではないか、我は少し見直したぞ。だがやはり特別小さい例ではあったようだがな」
「みんなの方が特別大きかったんだ!そうに決まっている!さっきまで男のアレが怖い~ってピーピー泣いてたくせに一気に興味津々になりやがってこのエロ騎士!女があんなことしたら普通犯罪行為だぞ!?一緒に観察させられた俺の身にもなりやがれ!」
「何を言う、今の我は男の身体。悪しきことは何もしていない。貴様も此度の観察で得た知見を活かし、頭を取り戻したらしっかり鍛錬に励むといい。我が指導してやろう」
「頭を取り戻したら真っ先にオサラバしてやるからなチクショウ……」
完全に攻守が逆転した二人だったが、なにも裸体観察のために温泉に漬かっていたわけではない。
顔担当ジャスティナは表情を真剣そのものに切り替えて言う。
「ヤツの居所もつかめたのは幸運だったな。ともすればもうひとつ村を渡らなくてはならないかと覚悟していたが」
「ああ、あの目撃情報なら間違いねえ」
行商から帰ってきた若者たちによれば村から大きな街へ向かう街道の途中、丘の上の赤い果物のなる樹のそばに編笠を被り袴を着た怪しい男がいたという。男は何やら刀を使って果物を取ろうとしており、行商が声をかけると例にもよって服をはだけた後、背の高い一人が果物を取ってやるとペコペコと礼をしたとも。
「間違いないだろうけど、だいぶオレたちの印象とはズレているよな」
「まあ……だが油断はできん。行商も一歩間違えていれば首無しになっていただろう。民の安全のためにも我らで成敗するぞ。さあさっそく行くぞ」
ジャスティナが首を村の外へ向けるが身体が動かない。胴のハウディが動かしていないのだ。首がいくら前に進もうとしても、その足は地面に吸い付いたように動かない。
「どうした?今更怖気づいたのか」
「その、情けない話なんだが、腹も空いたし正直眠くてたまらん。少し休まないと、戦いになっても十全に動けないと思う」
「なんと情けない……その間にヤツに逃げられたらどうする」
「それは大丈夫だと思う。オレが賞金稼ぎの情報筋で知っている限り、ヤツは同じ場所に一日は滞在するんだ。ヤツは今日の明け方に移動したんだから、今日の夜までは動かないはずだ」
「しかしそれでは夜になってしまう。あの霧がヤツの魔術なら、みすみす敵の術中に飛び込むことになるぞ」
「それも、任せてほしい」
ハウディは残った体力でビッと親指を立てた。
「我に秘策アリさ」
空に月が浮かんでいる。昨日と同一に見えて、少し欠けた満月。
「出てこい『幻影の辻斬り』ジャック!我は貴様の技を受けて生きて戻ったぞ!」
村のはずれ、少し丘になっている道沿いの頂上付近にある赤い果実を実らせた樹のそばでジャスティナが叫ぶと、袴の男は樹の陰からあっさりと姿を現した。その姿を見て、ローブに身を包む女騎士は不敵に笑う。
「驚いたか?首を刎ねたところで無駄なことだ。我はルヤイロ王国騎士団、『銀の剣』のジャスティナ・トイス!地獄の底から狼藉者を成敗しに来た。貴様の卑怯な技はもう見切っている!観念するんだな」
首を刎ねたはずの騎士が戻ってきたと聞き、袴の辻斬りジャックは自然と足を一歩後ろに引いた。
編笠に隠されたその表情は見えず、相変わらず一言も発しないが歴戦の騎士たるジャスティナにはそれだけで動揺が手に取るようにわかる。騎士は手にした両手剣を昨日と同じく片手でジャックに突きつけた。
もっとも、元の両手剣そのものは紛失したため今構えているそれは村で借りたものだ。
それを知ってか知らずか、編笠の影は昨日と全く同じ動作で腰の打刀に手をかける。それを確認した白銀の騎士、今やその名を示す鎧はないが、その矜持をもって改めて両手剣を構えなおした。
居合か、霧か。互いの間合いを計るようなにらみ合いがまたも始まる。
「フッ、手の内が分かっていればこの睨み合いもぬるま湯のごとく退屈だな。言っておくが、一度斬られたとて我の信念は変わらない。我は騎士として、貴様の最初の一手を受けてやる!今度は逃げるなよ、正々堂々でなくとも、我をもう一度殺すつもりで打ってくるがいい!我はそれを見切り、貴様を倒して武勲を国に持ち帰る!蘇りし不死の騎士として!」
首を再生した不死身の騎士がその威をもって寡黙たる浪人を呑みこもうとした時だった。
月が急速に欠けていく。見晴らしがいいはずの丘の上を、一歩先すら見えないような深い霧が侵略していく。瞬く間に不死の騎士と漆黒の辻斬りを抱き込んだ白き闇の中で、騎士は耳をすませていた。
互いに視界が見えないとなれば、それを仕掛けてきた相手は敵を目以外の方法で捕捉する方法を持っているはず。普通に考えれば聴覚に頼ることになるだろう。
だがそれは騎士の側も同じ。霧に紛れた袴姿の死神の音を聞くべく、ジャスティナは息を止めた。
身じろぎひとつない静寂。霧の流れる音すら聞こえるようなしじまの中で、ただ一つ騎士の心臓のみがうるさく鼓動していた。風が草を薙ぐ音、蛍の羽音、虫の声は聴覚が無意識に除外し、残りたるは自らの鼓動と霧。
そして限界まで研ぎ澄ました聴覚の切っ先が、騎士の後ろに踏み込む音を捉えた。
「そこだっ!」
騎士は振り向きざまに両手剣を振り下ろし、抜刀された死神の刀が折れ飛ぶ。漆黒の辻斬りは刀を失い、素早く後ろに一歩下がった。
だが、それは撤退の合図ではない。
風を薙ぐ音が霧を払う。
『幻影の辻斬り』、その本懐。二本目の打刀は『居合』術により素早く抜刀された。
暗闇に煌めいた刃がまるで水でも切るかのように、不死の騎士、その首を何の抵抗もなく刎ね飛ばした。
「見事だ……」
胴と切り離された騎士の首は月夜に舞い、敵の技量を認めると目を閉じる。
そして、その口角を大きく持ち上げて笑った。
「見事にかかってくれたな!このクソ野郎!」
不死身の騎士、その胴体役のハウディ・タンバーンは叫ぶと騎士道からは程遠い拳を辻斬りの下腹部に叩きこんだ。その身体がくの字に折れ曲がったところで肩を掴みさらに拳を二、三と胸部に命中させる。
よろけつつも刀を構えなおそうとする辻斬りだが、そこに時間を与えるほど賞金稼ぎのアウトローはお人好しではなかった。
「見えねえから顔を殴れねえ、だからこれはオレからの特別プレゼントだ!受け取りなァ!」
ハウディは首のない身体を操り右脚を素早く後ろに引くと、そのまま前へ。
限界まで力いっぱい、辻斬りの股間を蹴り上げた。
「ヒョオ」
辻斬りは控えめな断末魔と共に股を抑えて前かがみになると、そのままガクンと膝を折り、地面に倒れ伏した。顔はないが、それを見下ろすハウディは腹で発生するくぐもった声で言う。
「ようやく声が出たな!さ、洗いざらい吐いてもらうぜ!」
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