第一話
それはとある満月の夜。
「そこの貴様、止まれ!」
街明かりからも遠く離れた丘の上。一面に広がる草原には蛍が舞い、虫の演奏と合わせて幻想的な雰囲気を作り出している。
月明かりに照らされた道に人影はふたつ。
「我はルヤイロ王国に仕える騎士、『銀の剣』のジャスティナ・トイスだ!国王の勅命により、民を脅かす狼藉者を成敗する者なり!貴様『幻影の辻斬り』ジャックだな?答えよ!」
白銀の甲冑に身を包んだ麗しき女騎士、金髪碧眼のジャスティナが叫ぶ。
彼女が抜身の両手剣を突きつける先に立つのは深い影。藁を編んだ深い編笠をかぶり、喪服のごとき漆黒に染められた袴の腰に差すは極東の打刀を二つ。
ジャックと呼ばれたその影は騎士を振り返ると、名を名乗ることなく袴の前をはだけた。傷ひとつない色白の肌は暗黒の衣装と対照的でまるで死者の様。
活ける屍、切り裂く亡霊、露出狂……あらゆる悪名を背負った業の者の証に、しかしジャスティナは動じない。
「ふん、言葉を発することなく意味不明の行動をとるという噂は本当のようだな。王国騎士団、その中でも傑出した騎士である『銀の剣』を愚弄するその蛮勇だけは誉めてやろう。だが私は逃げも隠れもしない。王国騎士の名に賭けて、今宵この場所で貴様を討ち取ってやる!さあ、剣を抜け!」
ジャスティナの宣戦布告をまるで聞き流すような自然な所作でジャックが右手を刀柄にかける。
合わせて、女騎士も両手で剣を構えた。
相手の返事がないことは想定通り。敵意を示すその動きだけで、決闘の理由は十分である。
(東洋剣術には踏み込みからの高速抜刀術『居合』がある。ぬかるなよ、ジャスティナ)
女騎士は自分自身にそう語り聞かせ、辻斬りの足元に注目する。どれだけ不意を突こうと、どれだけ素早く動こうと、剣士である以上その動きは足にすべて現れる。騎士団の教えだ。
見合って数分、ジャックはまだ動かない。
『幻影の辻斬り』ジャックは夜道を行く民の前に現れ、立ちふさがって服をはだける。その場で逃げ出せばよし、だが立ち向かうものはみな行方不明になるという。
ジャスティナにその行動意図は全く分からなかったが、王から賜った成敗の勅命、何より騎士として守護すべき民をむやみに恐れさせる輩を許すわけにはいかないのだ。
「そちらから打って出てこい!騎士として、そちらの一撃を受けてやる!」
膠着した状況に業を煮やしたジャスティナはジャックを挑発した。
敵の気に吞まれ、むやみに突撃するのは臆病者のすること。
騎士道精神とは気迫でもって敵を呑みこみ、慧眼をもって技を見切り、勇気をもって敵を一撃のうちに打倒すること。
『銀の剣』の気迫に寝ていた鳥すらも目を覚まし、飛び去って行く。
異変が起こったのはその時だった。
満月に照らされた草原に突如として霧が出てきた。視覚のすべてを奪う煙はあっという間に立ちこめ、騎士も辻斬りも平等に光無き白の漆黒へと誘う。
すると想定外の事態に目を凝らし、月明かりを見出そうとするジャスティナの耳に遠くへと駆けていく足音が聞こえた。ジャックが背を向けて走り出したのである。
「決闘を棄て逃亡を図るとは!無礼者め、逃がさんぞ!」
女騎士はほぼ脊髄反射で足音を追いかける。
甲冑姿から想像する鈍重さはどこにもなく、馬のように力強く疾駆する様はまさに鉄戦車。霧の中、ジャスティナは足音が消えたあたりに思い切り突進、肩で狼藉者を弾き飛ばさんとする。
「何ッ!?」
だがその目論見は失敗した。
足音を追ってきたのにジャックの姿はどこにもない。霧で見えないだけじゃなく、その気配そのものが忽然と姿を消していた。
ジャスティナは周囲を見渡し、深い霧の中では見渡せないことに気づいて舌打ちすると怒りに任せて叫ぶ。
「『幻影の辻斬り』ジャック!おのれ、どこへ消えた!?霧の中を逃げおおせたと思っているだろうがそうはいかんぞ!次に見つけたとき、貴様のその首即刻刎ねて……」
瞬間、大風が吹いた。霧が洗い流され、つかの間、満月が草原を照らす。
女騎士は背後から薙がれ、自分の首へと迫る刃を見た。
「な……」
声の続きはない。
針に糸を通すような精密さで甲冑のわずかな隙間に侵入した刃は、誉れ高き王国騎士の皮を裂き、肉を分け、骨を断つ。
横一文字、一閃。ジャスティナは首のない自分の身体とその背後に立つ編笠の影を見た。
刎ねられ、宙を舞う自分の頭から。
ドッ、と地面に叩きつけられた騎士の生首は満月を見上げて、そこで初めて自身の死を悟った。
見上げた満月を霧が覆い隠していく。
ぐわんぐわんと回転する暗闇の世界で、女騎士は最期に何者かの叫び声を聞いた。
暗転。
見上げれば満月。
仰向けになったジャスティナが目を覚ますと、そこにはいまだ満月が健在であった。
霧はなく、先ほどまでの記憶はまるで夢のよう。首を刎ねられた人間が生きているわけがないのだから、夢を見ていたか、あるいはこれも夢なのか。確かめるべく、ジャスティナは自らの頬をつねる。
「……ん?」
頬をつねれない。腕が動かないのだ。というより首が動かない。
何やら麻痺性の毒でも撃ちこまれたようだったが、ジャスティナは動じない。騎士は毒を盛られたときのために訓練もしており、特に麻痺毒は卑怯者の常套手段であったため対策は万全。
ジャスティナが奥歯に仕込んだ小さな木の実を嚙み潰すと酸っぱい味がする。これで一般的な麻痺毒は解毒できるはずだ。
はず、なのだが……。
まだ身体は動かない。
これはいよいよおかしい。もはや伝説にある石化の呪いだ。蛇の怪物に睨まれた哀れな村娘のように石化している間に何百年も経っていたらどうしよう。まだ読みかけの恋愛小説『情熱のメリュジーヌと禁断の愛』上巻が机に出しっぱなしだ。
そのあまりに肉感的な文体は背徳的だが目が離せないもので、検閲で没収されたそれをひそかに持ち帰って読んでいることは王や他の騎士にも明かしていない。あんなものを読んでいることがバレたら腹を切って死ななければならないような生き恥だ。というか百年たってたら下巻なんかとっくに出ているだろうし残っているかもわからない。
何とかしなくては。
落ち着くべく深呼吸をした秘密の女騎士ジャスティナは現状把握のため目だけで自分の身体を見下ろした。
地面が見える。
「…………ん?」
ちょっと正面の満月を見て、また見下ろす。地面。満月を見る、見下ろす、地面。満月、下、地面、満月下地面満月下地面。
何度往復しても見えるものは変わらない。
彼女の身体は、首から下が無くなっていた。
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乞うご期待。