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第二章 国境の街リスタ(5)

 夜が明けたばかり……まだ朝もやが残る時間帯だった。

 聖堂は朝が早いが、それでも常に比べても更に早かった。


「おはようございます、イシュラさん」


 ルドクの明るい声が響く。

 

「おう。おはよ……なんだ、おまえも出立か?」

「はい。……あの、途中までご一緒させていただいてよろしいですか?」

「あー、それは姫さんに聞かねえとオレの一存では……。ちょっと、待ってろ。今、来るから」


 そこにちょうど、リド司祭とユースタ助祭に囲まれたリースレイがやってくる。


「え、あ、お……な、なんで……?」


 ルドクは目を丸くして、法衣姿のリースレイを見た。

 聖職者だけが着用できるデザインの優美な外套姿……胸元には丁寧な細工のされた銀の十字架がさがっている。


(よく、こんな小さなサイズの法衣やら外套やらが昨日の今日で準備できたよな)


 外套の下の法衣は淡いグレイ。仕立てのよさがわかる美しい仕上がりだった。

 それも、中古品というわけではなく、まっさらの新品だ。

 この他にも、聖職者の正装にあたる純白の聖衣一式。それから年代物の古い聖書一冊がイシュラの背負う葛篭<つづら>に入っている。

 すべてが、リースレイの教父となったリド司祭の心尽くしだった。


 ティシリア聖教における『教父』とは、教団内における保護者であり、かつまた、師であり、後援者である。これが女性であると『教母』と呼ばれる。

 教父ないし教母との絆は強いもので、生涯に渡り固く結ばれるのだという。

 血族の絆を捨てる聖職者にとって、教父や教母との関係こそがそれ以上の……強い絆になるのだ。


「あー、いろいろあって、姫さんが聖職者に……」

「いろいろ……」

「そう、いろいろ」


 イシュラはにやりと笑い、ルドクも笑った。

 きっといろいろの内容をイシュラが知らないことを察したのだろう。ルドクはそのままリースレイに向き直った。


「お祝いを申し上げます、ファナ」


 両手を組み合わせ、軽く目礼。信徒が聖職者に対する時の礼だ。


「ありがとう」


 ファナとは、洗礼後、未だ叙階していない聖職者への敬称だ。

 叙階した聖職者は武官であれば腕章を、文官であれば肩衣でその階位がわかるようになっている。そのどちらともがないので叙階していないということがわかるのだ。


 さすがにフェルシア国民だけあって、ルドクは聖職者に対する礼儀や決まりごとををちゃんと知っている。

 フェルシア王国はティシリア聖教を国教としており、布教活動も熱心に行われている国だ。

 総本山の隣国ということもあってか、高位聖職者を輩出することも多い。


 ルドクのように特に熱心ではないという信者だって、十字架や聖書を必ず持っている。

 フェルシア王国に生まれた子供に対する一番最初の贈り物は金ないし銀製の十字架で、富裕な家では、毎年それを一回り大きなものに交換してゆく。

 ルドクのそれはごく小さなものだ。

 18歳まで父親が毎年大きくしてくれた十字架は、その父親の葬式と墓の費用となった────今もっている銀の十字架は、自分で買ったものなのだ。ルドクはこれを常に身につけている。


「ところで、新しいお名前は、何と言われるんですか?」

「……シェスティリエだ」


 やや含みがありげな様子でリースレイが口を開く。

 その新しい名を聞いた瞬間、ルドクの目がきらりと輝いた。


 聖職者の洗礼を受けた……つまり、聖職の誓いを立てた者は、それまで所有していたすべてを神に捧げる。

 象徴的に『名を捧げる』と表現されることが多いが、実際には、名……家名とそれに伴う身分、その家名につながっていた血族との関わりのすべて、さらには己自身といってもいい個人名とその名が所有していたものを一つをのぞいてすべて神に捧げる。

 そして、代わりに神より新たな名を授けられる……それが、神名だ。

 神名……それは、魂に刻まれている呪だ。

 聖教の聖職者は、その神名を得る事で、法術を操る事ができるようになるという。


「素晴らしいお名前ですね!!」


 ルドクの言葉には不思議な熱があった。


「……そうか?……今後は私のことはシェスとよぶがいい」

「シェスティリエ様というのは、天空の歌姫のお名前です」

「まあ、そうだな。……わるくはない」


 リースレイ……いや、シェスティリエは、いつものそっけなさだった。

 やや憮然としている理由を、イシュラだけが知っている。

 聖職者になることで一番大きな変化は名が変わることなのだが、新しい名であるはずなのに、教父であるリド司祭が彼女に告げた新たな名……シェスティリエという名は、かつての彼女の名そのものだからだ。


(リドじいのちからは、ほんとうにめずらしい)


 魔力を感じる力があると言っていたが、それはすなわち、魔力の源である真名を感じるという事、なるほど読み解く力にも優れているはずだ。


(かこのわたしのなを、よみとるとは……)

 

 だが、わかったことがある。

 彼女の魂には、ちゃんと過去の己が刻印されているということだ。

 それは、今ここにいる彼女と過去の彼女がつながっているということだ。


(まあ、まったくなじみのないなまえよりはよかったかもしれない……)


 リースレイと呼ばれようが、シェスティリエと呼ばれようが、己は己である。まったく変わりがない。

 ……いや、正直なところ、かつての名で呼ばれることは、何だか少しむずがゆい。

 だが、彼女は良かったかもしれないと思ったことをやや後悔することになった。


「わるくはない、じゃないですよ!素晴らしいお名前です!」


 何かに猛烈に感動しているルドクの様子は見たことがないものだった。

 シェスティリエは理解のできないものを見るような眼差しでルドクを見た。

 ルドクのその熱意が何によるものなのかまったくわからない。


「そっか、シェスティリエって天空の歌姫の名でもあったな……」


 イシュラがのんきな顔でそんなことを呟いているのが何だか恨めしく思える。


「そうですよ、イシュラさん。シェスティリエ=ヴィヴェリア=ディゼル=アズール……シェスティリエというのが元々のお名前で、ヴィヴェリアというのが魔術師としてのお名前、ディゼルが光の竜王と交換した名で、アズールが闇の竜王と交換したお名前です」

「くっわしいなー」


 イシュラは感心していた。

 天空の歌姫はイシュラだって知っている。

 彼女ののこしたさまざまな逸話は、吟遊詩人達に歌い継がれ、女性の間では彼女が竜王達と出会う『二頭の竜王の歌』が、男性の間では伝説の天空の城を冒険する『ノーラッドの天空城の歌』が、今でも一、二を争う人気の楽曲なのだ。

 伝説に残る魔導師は何人かいるが、天空の歌姫……あるいは、光と闇の導き手、世界の守護者などと複数の異名で呼ばれるほどの大魔導師は他にいない。


「ファンなんです!」


 その瞬間のシェスティリエの心情は、50%の羞恥と39%の絶望、残る10%強が悲しみと哀しみとで構成され、喜びにも似た何かは1%にはるかに満たなかった。


「天空の歌姫は、光と闇を従えし、世界の守護者ですよ!あの『大崩壊』の時に、一人でそれを食い止めた大魔導師なんですよ!そのお名前なんですから、最高に良いお名前ですよ!」


 ルドクは、シェスティリエの手を握り、力説する。


「そ、そうか……」


 シェスティリエは後ずさった。ルドクのその勢いがこわい。


(……どうして、そのなにしたんだ、リドじい)


 他にも浮かんでくる名はあったはずだ、と自分の名がちょっとだけ疎ましく思える。


「はは、すごいぞ、ルドク。姫さんが気圧されてら……」


 イシュラが、心底おかしいという顔でばしばしとルドクの肩を叩いた。


「あ、すいません。つい……」


 はにかんで手を離すルドクに、シェスティリエはかろうじて、ひきつった笑いを返す。


(……これは、いったい、なんのしゅうちプレイだ……)


「でも、天空の歌姫の名と一緒ってのは、聖職者にもいいんじゃねえの?何たって世界の守護者だぜ。すごいだろう?」


(……イシュラめ、よけいなことを!)


「そうです!すごいですよね、神名が天空の歌姫と一緒だなんて」

「昨夜は満月。きっと、満月の素晴らしい祝福に違いないですのじゃ」


 満足げなリド司祭までもが口を挟んでくる。


「そうですよ。神名がかの大魔導師と一緒だということは、あなたは、かの大魔導師の遺した魔術、遺した魔導を使えるかもしれないのです!何てうらやましい」


 いつも無口なユータス助祭ですら、ぼそぼそっと羨望を口にした。


「…………………」


(がまんだ、わたし。これは、にんたいりょくを、ためされているんだ)


 シェスティリエは、今にも逃げ出したくなるのを必死で我慢していた。


「うわぁ、じゃあ、天空城とかにも入れるんじゃないんですか?!そうですよね?」


(………あんなところ、もういきたくないから!)


 すごいなぁ、シェスさま、とルドクはさかんに感心してる。


「ルドク、そこまでファンかよ」

「はいっ。素晴らしい方です!僕、特に『大崩壊』を食い止めるとき、命を削ると制止する光の竜王に命じる時の言葉が好きなんです」

「何て言ったんだ?」

「『例え我が命果て、我が身が消えうせても、世界が残ろう。私は、私一人が残る世界よりも、私以外のすべてが残る世界を選ぶ』です!」


(いってない!そんなこと、いってないから!!なんだ、これ……なんのばつゲームだ!)


 シェスティリエは、もはや、涙目だった。


「……姫さん?どうかした?」

「…………………………なきたい」

「は?」


 たとえ、誰よりも忠実な彼女の騎士といえども、その言葉の意味はわからなかった。



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