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第二章 国境の街リスタ(3)

「あ~、姫さん、メシ食ったらまた書庫か?」

「もちろんだ。……いろいろとショックなことがあってな……」


 そこで、リースレイは深い深いため息をつく。


「何がだ?」


 イシュラの眼差しに、リースレイが躊躇いがちに口を開く。


「………まえのわたしがしんでから、500ねんもたっているんだ……」

「………………へえ」

「500ねんだぞ!」


 何がそんなにも落ち込む原因なのか不明だが、しょんぼりとしているのが気になった。


「姫さん、なんか問題あんの?」

「………ちしきに500ねんもくうはくがあるのだぞ?いまのわたしは、あまりにもむちだ」

「子供だからいいんじゃねえ?」


 そのリースレイより物を知らない自分はどうすればいいのだろうと思いつつ、イシュラは指摘する。


「…………………ふむ」


 リースレイはその紫の瞳を軽く見開いた。


「知ることがいっぱいあって楽しいんじゃねえの?姫さん」

「…………そうかもしれない」


 素直にこくりとうなづく。知らないことを知るということがリースレイは好きだった。

 だからこそ、かつての彼女にとって『魔術師』は天職であり、やがて、『魔導師』にまでなったのだ。

 その性質は今でもあまり変わっていないらしい。


「じゃあ、それでいいだろ」


 苦笑にも見える笑い。


「………イシュラはたんじゅんだな」


 ふぅと息をつく。そして、言葉を継いだ。


「だが、それこそがしんりをしめす。……おまえは、ときどき、1000ねんをいきるけんじゃのようなことばをくちにする」

「別に、そんなんじゃねえよ」

「……おまえが、わたしのきしになってよかった」


 リースレイはにっこりと笑った。満面の微笑だった。


(反則技だっての……)


 どうしていいかわからなくなって、ぐりぐりとその頭を撫でるとぺしっと容赦なく叩き落とされる。


「わたしは、あたまをなでられるのがだいっきらいだ!」

「……あー、そりゃあ、すいませんでした」


 ふんっと、仁王立ちしている少女はとても可愛らしい。


「わたしは、たしかにからだは5さいじだが、なかみはちがうのだからな」


 それをよく心得ておけ!と女王様然と言い放つ様子もイシュラにとってはたまらなく可愛いく感じられる────もちろん、イシュラに危ない趣味はない。


「……………あのよ。姫さんの精神年齢って何歳なんだ?」


 ふと、イシュラは疑問に思った。


「そんなものないしょにきまってる!おとめごころのわからないおとこだな!」


 氷の眼差しで睨まれた。……なかなかに凄味がある。


「……………………」

(あー……ちっこくても、女だなぁ……)


 思わず生ぬるい笑みを浮かべてしまうのは、イシュラがそれなりに女性とのお付き合いというものを重ね、酸いも甘いも一通り経験したことがあるからだろう。

 ちょっとやそっとの女性特有の理不尽さは、可愛いわがままのうちで処理できる。


「……そもそも、そういうイシュラは、なんさいなのだ」

「あー、オレ?オレはたぶん、次の冬がくれば28だったか……いや、29だったかな?まあ、そこらへんだ」

「ふむ。いい年齢だな」

「……あれ、聞かねえの?どっちなのか」

「1さいや2さいちがったところで、おまえのなかみがかわるわけではない」

「はははは……姫さんらしいや」


 廊下をずんずん歩くリースレイの後を、一歩さがってついていく。そこが、イシュラの定位置だ。


「なぁ、姫さん、あとどんくらいリスタにいる予定?」

「なぜだ?」

「いやぁ、まだ滞在すんなら、また街で新鮮な果物でも買ってこようかと」

「……みっかごにはしゅっぱつするから、そのよていで、かいものをするがよい」

「へいへい」

「へんじはいっかいだといってるのに……」

「へーい」


 ふざけた返事に怒ったリースレイは、イシュラの足を全体重を込めて踏みにじった。





「けっこう、ひとがふえてきたな」


 食堂は、いつも以上に賑やかだ。その半分以上が、巡礼者である。

 巡礼者は、黒の地にティシリア聖教の聖句『イシュトリ・ヴァルダグ・セルダス(未だ生を知らず)』を飾り文字に図案化し、銀糸で縫いとった聖帯をタスキがけにしているから一目で区別がつく。


「あー、団体がいるみたいだからな」


 今は、緑月のはじめ……暑くもなく、寒くもない。旅には適した季節だったから、巡礼の数も多いのだろう。


「だんたい?」

「巡礼団だよ。聖地巡礼なんざ、半ば娯楽も兼ねてたりするんだが、個人で行くより団体で行った方がいろいろ便利だし、旅費も安くあがる」

「ふむ。こじんはいないのか?」

「いや。んなこともねーけど……何?姫さん、巡礼しようとか考えてる?」

「うん」


 こくりとうなづく。


「……なんでまたそんな物好きな」

「しんじつじゅんれいしゃになるわけではない。ただ、いろいろとしさいたちにはなしをきいたのだが、あのおびはいろいろとべんりだ」


 聖帯は、聖堂にて巡礼の誓願をたて幾ばくかの喜捨をすることでもらえる。


「……ただメシが食えるからか?」



 帯を持つ巡礼者は、各地の聖堂においていろいろな便宜をはかってもらえる。

 例えば、雑居房に宿泊させてもらう際の喜捨も、巡礼者は奉仕活動で代用することができるし、食堂では朝夕に巡礼者用の簡単な食事が無料で振舞われている。

 聖堂ばかりではない。巡礼者は、ティシリア聖教の信徒からのさまざまな奉仕を受けられる。

 『奉仕』――――― それこそが、ティシリア聖教の根幹をなす精神だ。

 信者は、巡礼者に自分達のできる範囲で便宜をはかる。それはささやかなことでいいのだと司祭は説く。

 例えば、道行く巡礼に収穫したリンゴを一つ差し出す事、あるいは、足にマメができて困っている巡礼に薬草を教えてやる事……そんなことでいい。そういった奉仕を重ねる事で、人は自身の徳を高める。

 巡礼者は聖堂でなくとも、信者の家に一夜の宿を求める事ができるし、食事の喜捨を願うこともできる。


「それだけではないぞ。……イシュラ、あれは、みぶんしょうめいになるのだ」

「………………なるほど」


 イシュラはすぐにリースレイの言いたい事がわかった。

 旅人は、旅券を持って旅するのが普通だ。旅券というのは、出身地の役所で発行してもらう身分証明書のことで、国境では必ず、旅券の改めがある。

 当然のことだが、イシュラとリースレイはその旅券を持たない。

 リスタへの入国は関所のない場所だったから良いのだが、この先、毎回それというわけにもいかないだろう。関所破りというのは、どこの国でもそれなりの罪になる。


 だが………旅券がなくても許される旅人がいる。

 それが、巡礼だ。

 ティシリア神聖皇国の皇都アル・メイダ・オルカダールへの巡礼は、ティシリア聖教の信者にとってある種の神聖な義務であるとされている。その神聖な義務に対し、役所の許可など必要ないというのが、聖堂の言い分だ。

 事実、ティシリア聖教を国教とする国々では、巡礼の聖帯を持つ者に対する旅券の改めがない。国教としない国であっても、大陸最大の宗教に対する気遣いから、旅券がなくとも巡礼であることが証明できれば通行を許される。


「リドじいが、わたしがせいちにきょうみをもっているといったら、よろこんであのおびをくれるといっていた。それから、ほんざんのしりびとにしょうかいじょうもかいてくれるそうだ」

「……すっかり、リド司祭を誑しこんだよな、姫さん」

「たらしこんだなどとは、ひとぎきがわるい。ただ、なかよしになっただけだ」

「……あー、物は言いようだよな」


 ちょっと言葉遣いにさえ気をつければ、リースレイは天使のように可愛らしいお子様である。

 七十を越えるワイン好きの司祭には、理想の孫か何かに見えているのだろう。

 リースレイの歓心を買うために、お菓子やら果物やらをもってよく書庫にやってきていた。

 生憎、リースレイはいつも通りでまったく愛想はないのだが、それがいいらしい。


「それに、わたしにはしらねばならぬことがある」


 リースレイがわずかに目を伏せる。

 『知りたいこと』ではなく、『知らねばならぬこと』……それは、過去に絡む何かなのだとイシュラには確信がある。

 痛みに耐えるようなリースレイの表情に、イシュラはそれ以上問う言葉を持たない。

 怒らせるのを覚悟の上で、頭に手を伸ばそうとしたその時に、上から声がした。


「イシュラさん、リース様……隣、良いですか?」


 ルドクだった。イシュラはほっと肩の力を抜く。

 久しぶりにルドクの声を聞いた気がした。

 ちらちらと姿を見かけてはいたが、イシュラ達はほとんど書庫に詰めっきりだったし、ルドクはルドクで忙しそうだったのだ。

 外での仕事が多かったのだろう。肌はこんがりと小麦色に焼け、とても健康的だ。。


「かまわない」


 リースレイのうなづきに、イシュラもうなづいた。


「久しぶりだな。五日ぶりか?ずいぶん、日焼けしてんな」

「街道工事の人足の仕事をさせてもらっていたので……」

「なるほど」


 混雑し始めた食堂では、相席は基本だ。ぽつぽつと空いていた席は次々と埋まってゆく。


「これ、橋のところの屋台で売れ残りをもらったんです。よければどうぞ。イモ揚げです」

「お、ありがたく」


 売り物にならない小さなジャガイモを丸いままからっと揚げて、塩をふっただけの素朴なイモ揚げは、このあたりでは一般的な屋台食だ。おやつにするだけでなく、軽食として利用する者も多い。


「……さめても、おいしいいもだな」

「そうなんです。このあたりのイモは、あまみがあるっていわれてます。さめると甘さが増す気がするんですよね」

「あぶらっぽくないのがいいな」

「おばちゃんのこだわりで、ナダっていう植物の油を使ってるそうです。それ使うとカラッと揚がるそうです」

「ふ~ん」


 リースレイは二つ目をつまんだ。


「……僕の故郷のイモ揚げは、揚げた後、塩じゃなくてバターをかけて食べるんですよ」

「へえ、それもうまそうだな」

「ええ。揚げたては格別です」

「北の……ザールの方では、揚げたイモにチーズをかけて食べるんだぜ」

「それも、おいしそうですねぇ」


 互いに食いしん坊を自認するルドクとイシュラの話は、いつも互いに食べた事のあるものの話になる。

 今食べているのは薄いスープが一皿とバムが一枚、それと少々のイモだったが、うまい食べ物の話をしていると何となく心が慰められる。


「このたいりくに、イモは500しゅるいいじょうある。そのうち、たべられるのは300ていど。いっぱんてきに、みなみのちいきほどあまいものができる。アディラウル……いや、いまは、アディルこうこくだな。アディルこうこくには、りんごよりもあまいイモがある」

「へえ~」

「それは、食べてみたいですね」

「だよな」

「……しかし、ざんねんだが、アディルはとおらない」

「あー、ティシリアはその手前か」


 残念そうなイシュラに、ルドクが怪訝そうな眼差しを向けた。


「…………もしかして、出発が決まったんですか?」

「ああ。姫さんが、聖地巡礼をするって言うんでな」

「アル・メイダ・オルカダールへ?」

「そう」

「……失礼ですが、お二人はローラッドの方でしたよね?」

「ああ、そうだ」

「なのに、聖地巡礼ですか?」


 ルドクが不思議そうなのは、ローラッド帝国はティシリア聖教を国教としていない国だからだ。

 迫害こそないが、どちらかというと避けられているかもしれない。だから、ローラッドに聖教徒はあまりいないのだ。


「わたしのもくてきは、『としょかん』と『とう』と『しと』だ。アル・メイダ・オルカダールは、たいりくでゆいいつ、ほろんだことのないとしだからな」

「『永遠不滅の円環皇都』ですね」


 リースレイの言葉に、ルドクは笑いながら言った。


「そうだ」

「なんだ?その永遠不滅の円環皇都って」

「アル・メイダ・オルカダールの別名です」


 ティシリア聖教の本山にして、ティシリア神聖皇国の皇都……それが、聖地アル・メイダ・オルカダールだ。


「アル・メイダ・オルカダールは、ティシリア神聖皇国の皇都となる以前、小さなオアシス都市でした……ですが、そのはるか以前は、古代の魔導王国の都であったとも言われています。魔導王国については、どんな記録も残されていませんが、その名残が、アル・メイダ・オルカダールの十二の塔です。この十二の塔には、かつて魔導王国の王によって封じられた十二の精霊がいて、彼らを十二使徒と呼びます。十二使徒が存在する限り、十二の塔をぐるりと結んだ円環の内側……つまり、アル・メイダ・オルカダールは戦火に焼かれることがないそうです」

「へえー。……詳しいな、ルドク」


 イシュラは、心底感心した。ルドクは、かつてかなりの高等教育を受けた事があるのかもしれない。


「イシュラさん、知らないんですか?レクターナの歌。その中に出てきますよ。吟遊詩人達の定番だと思うんですけど」

「レクターナの歌?」

「レクターナは、しょだいローラッドこうていアスガールのきさきのなだ」

「ああ……大地の女神の娘だったっていう」

「え、レクターナは、十二使徒と契約した最初の法皇ファラザスの妹ですよね?」


 二人の疑問に、リースレイは答えない。代わりに、ルドクが当たり前のように知っていることを、イシュラがなぜ知らないかを教えてくれる。


「ローラッドでは、レクターナのうたをうたうことはきんしされている。レクターナがなにものであるかは、もうだれもわからないだろう。1000ねんいじょうもまえのはなしだからな」

「そうなんですか」

「ああ」


(……何か知ってるな、姫さん)


 リースレイは二つの記憶をもつからこそ、慎重だった。


(……昔の姫さんが生きてた時代に重なってるのかも……)


 そういったことは、リースレイから話してくれることを待つべきだろう。


(しかし……こいつもどうしたんだか……)


 ルドクの何かをかなり深く考え込んでいる様子が、イシュラは少しだけ気になっていた。


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