第六章 聖都アル・メイダ・オルカダール(2)
たぶん、自分の今の気持ちはアルフィナにはわからないだろうと思い、ルドクは話を変えることにした。
「巡礼船では、三等船室は無料なんですよ」
「え?」
ルドクの披露した豆知識にアルフィナが素直に首を傾げる。
だから、ルドクはそのままたたみかけるように言葉を続けた。
「三等船室の船賃は、一等と二等に乗る人の船賃に上乗せされています。……一等と二等に乗った人の喜捨を受けて、三等の人々は船に乗ることができたっていうことなんです」
「そういう決まりなんですか?」
「まあ、そうですね。……きっと元は優しい気持ちからでたことなんだと思いますけど」
(優しい気持ち?)
「ええ。……信者にとって、聖地巡礼は生涯をかけた夢の一つです。それが、お金がないからと妨げられるのはどうか、と考えた人がいたんですよ」
結構初期の頃のえらい聖職者の人だったんですが、とルドクは笑みを浮かべたまま言葉を継いだ。
「ならば、一人一人が自分のできる限りのことを都合し合えば良い、と。彼の考えが、聖教の『奉仕』という基本理念の基となりました────この場合は、船賃はある人が出せばいい、ということです。彼の素晴らしいところは、それが女神への奉仕へとつながると定めたことです。……それは、船賃を出した人も、出してもらった人も、ある意味、どちらも得するというか……お互い気持ちが良いといううまい方法です。僕は、ティシリア聖教のそういう『奉仕』というのはとても素晴らしいものだと思うんですよ。一方的な関係ではなくどちらにも利があって一方的ではないんです」
本当によくできている良い循環なんです、と、ルドクは心底感心している様子だった。
(…………ねえ、ルドクさん、あれは誰?)
しかし、空気を読まないイリが指差したのは、船首に掲げられたヘッドフィギュアだ。
指さした方向には、鎧を纏い、剣を手にした美しい戦乙女の彫刻がある。
「『真紅の竜姫』号という名前ですからね、きっと火竜ザーリンガムでしょう」
(竜なのに、人間の姿なの?)
「竜は人の姿になれるらしいですよ。いろいろな伝説や、物語ではよく人の姿をした竜のエピソードが出てきますし」
(ふーん)
何かを考えていたらしいアルフィナが、意を決したように顔をあげてルドクを見上げた。
「ルドクさん」
「はい?」
「……ティシリア神聖皇国というのは、どういう国なんでしょう?」
サァッと少し強い風が二人の間を通り過ぎた。
「どういう国、というと?」
アルフィナの問いにルドクは首を傾げる。
ルドクは確かに聖教の信徒であるが、アルフィナもまた同じ様に信徒であるはずだ。
聖書にも慣れ親しんでいるだろうし、何よりも外交を専門とする貴族の家に生まれているとも聞いた。ルドクなどよりよほど詳しいように思えた。
「ティシリア聖教の総本山であるということは承知しています。皇国で一番えらいのが教皇様で、その下に枢機卿が12人いらっしゃって、12ある塔をそれぞれ管理されているということも。でも、よく考えると、ほかの事は全然知らないんです、私」
「僕が知っているのは、教会で聞いたことの他は学校で勉強したことだけですよ?それに私見が混じりますから……」
「ルドクさんから見た皇国のことで良いです。……よろしければ教えてください」
ルドクは目を伏せ、自分の記憶を辿る。
「神聖皇国について知るには、ティシリア聖教という宗教を知らねばならないと思うんですが、アルフィナさんは信徒ですし、イリはそもそも御子ですから……だいたいはご存知だと思うので簡単にまとめますね」
御子であるイリは教会で育っている。なので、一部についてはもちろんルドクよりも詳しい。
だが、同時に、自己防衛の為に自分の殻に閉じこもることが常だったイリには、たくさん知らないことがあった。
アルフィナも同じだ。
屋敷の奥深くで大切に護られていた身でありながら、自分の不幸を嘆き、知ろうともしなかったことがたくさんあった。
「はい」
(うん)
二人はまじめな顔でうなづく。
「ティシリア聖教は古代よりあった女神信仰が母体となっています。すべての母たる女神ティシリアを敬い、その教えを守り、世界を安寧に導くというのが聖教の第一教義です」
「第一教義?」
(第一ってことは、第二もあるの?)
リは心がけてか、口を大きく動かして話すようになった。
そうすると、ルドクやアルフィナもイリの言いたいことがだいぶわかる。
「第二教義というのは、聖教の聖職者だけに明かされるものなので、僕らは知りません。アルフィナさんや、イリはこれから学ぶことになるんだと思いますよ」
「……そうなんですか」
(へえ)
「そして、第三教義は教皇猊下だけが知ることができるそうです。……それらを定めたのが、皇国の建国者にして初代法王たるファラザスです」
「ファラザス……」
「彼は、『剣の法皇』と呼ばれています。武人としての側面を強く持ちながらも、現代にまで続く法術の基礎を築いた魔導師でもあります」
ルドクの声はかすかな熱を帯びている。
ファラザスもまた、ルドクの好きな英雄の一人なのだろう。
「ティシリア聖教は、その成立当初から、神官と武官とが存在していました。彼はそのどちらにおいても類稀な才を発揮したと言われています。
動乱の時代と言われる皇歴前……ファラザスの前に教皇と定められている人々は、ただの集団の指導者でしかありませんでした」
「集団の指導者というのはどういう意味ですか?」
アルフィナにしてみれば『教皇猊下』は大陸中の信徒の頂点に立つ人物だ。集団の指導者と言われてもイメージできない。
「えーとですね、皇暦以前の教皇とされる人々は、故郷を同じくする異能を持つ一氏族の長であった人たちなんですよ。
もちろん、当時は『教皇猊下』と呼ばれてなどいませんでした。ティシリア聖教は今でこそ世界的な……大陸最大の信徒を抱える宗教ですが、当時は一氏族が奉じる……ごく局地的な宗教にすぎませんでしたから」
(イノウって何?)
聞きなれない言葉に、イリが首を傾げる。
「異能というのは、一般の人が持たない力です。
彼らは、その異能と女神への信仰ゆえに故郷を失い、迫害を受け、そして、流浪する間に同じ様に異能を持ち迫害されてきた多くの人々をその集団の中に受け入れるようになりました」
皇国の民には異能を持っていた民の血が流れています。だから、皇国の民には魔力を持つ者が多いといわれています、とルドクは優しく教える。
(僕もイノウ?)
「さあ、それはわかりません。でも、イリには強い魔力があるのだとシェス様はおっしゃっていました。
魔力もまた今の世では異能とされるのかもしれません。……皇国ではこの上なく尊ばれる力であるようですが」
(あのバカ君が言ってたもんね)
イリが思いっきり顔をしかめる。
「あー、イリ、イシュラさんの真似はやめておいたほうがいいです。きっとシェス様もそう言います」
(でも、あいつ、嫌い)
シェス様を狙ってる!とイリは口を尖らせる。
「あー、確かに狙ってます。狙ってますけど、相手にされてませんから」
(でも、ベタベタしようとする)
「どうせイシュラさんに阻まれます」
(嫌いなものは嫌いなの!)
イリがこんなにも頑固に意思を示すことがあるのかと感心したくなる反面、厄介なことになりそうでルドクは軽い頭痛を覚える。
「あのですね、イリ。あの人はシェス様にまったく相手にされてない可哀想な人ですから、僕らはもう少し慈愛の気持ちで接してあげなきゃダメですよ」
哀想な人なんです、とルドクは言い諭す。だが、そういうルドクの表情もにこやかな笑顔だ。
ルドクはいつも笑みを浮かべていることが多いのだが、何というか……晴れやかなのだ。
「……ルドクさん、表情が裏切ってます」
「いや~、だってほら、僕だっていくら大司教様とはいえ、シェスさまに邪な思いを抱いているような方は気に入りませんから」
ざまーみろと思うんですよ。ルドクは、ニヤリとイシュラに影響されたような人をくったような笑みを重ねた。
「まあ、そう思う反面、小心なので少し機嫌をとっておかなきゃいけないかなとか思って日和見な行動をとったりするんですがね。
……僕は、シェス様の将来がすごく不安にもなります。イシュラさんにあそこまで徹底的に阻まれたら、シェス様の周囲にはどんな虫もいっさい入り込めませんよ」
「…………そうですね」
「適度に虫は必要だと思うんですよね。ほら、言葉は悪いですが、シェス様には顎で使える下僕だって必要だと思うんですよね」
それには少しくらい隙がないとうまくできないと思うんですよね、と溜め息をつく。
「……下僕だなんて、言葉が悪すぎます、ルドクさん」
「あー、失礼。言い直しますね」
こほん、とルドクは咳払いを一つして、真面目な顔で言い直す。
「シェス様には、崇拝者くらいいてもいいと思うんですよ。むしろ、シェス様だったらそういうのをうまくあしらってちゃんと思い通りに扱うというか……」
「……ルドクさんの言う意味だと、ちょっと嫌な感じがします」
潔癖な年頃の少女らしく、アルフィナは顔をしかめた。
「でも、あの美貌は武器だと思いますよ。『幼いこと』と『美しいこと』、この二つは、今のシェス様の最強の武器です」
もちろん、それはシェス様のあの中身があってこそですが。とルドクは言い、そして、親身な様子でアルフィナに言った。
「だから、アルフィナさんは充分注意するんですよ」
アルフィナは軽く目を見開く。
「私、ですか?」
「ええ。アルフィナさんはとても美しい年頃の少女です。その上、シェス様のように自分の身を守る力もありません」
「……はい」
自分が無力であることならば、アルフィナはよく知っている。
これまでの旅の間でだってさんざん思い知ったのだから。
「それを知ってるということは大事です。アルフィナさんにとって、その美貌とちょうどいい年頃であるということは武器にもなります」
「はい」
アルフィナにあるのは、この身だけだ。知識豊かとはいえぬし、お嬢様育ちでできることも少ない。
でも、国を捨てた今、この身一つが、アルフィナの全てだ。
「だが、同時に狙われやすくもある。いいですか、何かあったら誰かに助けてもらうことを躊躇ってはだめですよ。頼りすぎてもいけませんけど、頼らなすぎることもダメです」
「どこらへんが境界かよくわからないです」
「……具体的に言うと、貞操や命がかかってるときに躊躇ったらダメです」
「わかりました」
「そういう時はなりふりなんてかまわなくていい、とにかく逃げなさい。逃げて誰かに助けを求めるんです。美しい女の子に頼られて嬉しくない男なんていません。あなたが必死で縋れば、大概の男が喜んで助けてくれます」
「……ほんとですか?」
アルフィナは疑わしげな視線を向ける。
「ええ」
ルドクはうなづいた。
アルフィナは、本当に美しい少女なのだ。傍らにシェスティリエという強烈な光がなければ、もっとずっと人目を惹く事だろう。
「……でも、イリとイシュラさんを除く、ですよね」
「アルフィナさん、それを大概の男の中に入れてはいけません」
ルドクは首を横に振り、嘆かわしげに言った。




