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第一章 ラシュガーク城塞陥落(3)

 夜の中で目にする灯火には、不思議と心を暖める作用がある。

 人は本能的に闇を畏れるため、それを払う炎に安堵するのだ。


(まあ、それも、ていどもんだいだが……)


 七日前の夜……ラシュガーク城砦を灰燼に帰した炎を、闇以上におそろしく感じた者は多かったはずだ。


「……姫さん、あとどのくらいで抜けられると思う?」


 イシュラの読みでは、あと三日というところだろうか……思っていた以上に早い。

 それというのも、リースレイが足手まといのお荷物どころか、その豊富な知識でもってイシュラを先導するからだ。

 しかも、この道なき森の道を知っているらしく、リースレイの指示には迷いがない。


「……3、4か、というところだな」


 小枝を使って火の中から真っ黒な塊を幾つか取り出す。

 中身は、大きな葉に包んだ木の根やら魚だ。蒸し焼きにしてある。

 これが、明日の朝と昼の食べ物になる。

 森の中で次々と遭遇する物言わぬ人々から譲り受けた品々で、今のイシュラ達はそれなりの装備を整えていた。

 特に便利なのは、古王国様式の甲冑の兜だ。

 おそらく貴族の所有物であったに違いない鉄に銀象嵌を施した見事なもので、売ればおそろしいほどの高値がつくだろうとイシュラは思ったのだが、リースレイはこれを鍋がわりにしている。

 鍋が手に入った事により、煮沸消毒ができるし、薬草茶やスープといった温かなものも口にすることができるようになっている。

 それは、彼らの逃亡生活の質の向上に大いに役立っていた。なので、イシュラにはまったく文句はなかった。

 だいたい、武具というのは使ってなんぼだ。

 美術品と並べて飾られている時点で、それはもう武具としての命を失ったも同然だ。そんな風に飾られるくらいなら鍋として使われたほうがまだマシだろう────少なくとも、それはリースレイとイシュラの生命を救う一助となっている。


「妥当な線だな。……この速さで森を抜けられるとはあちらも思わないだろうし」

「おもっていたいじょうに、そうびもじゅうじつしたしな」


 森に入る前、イシュラとリースレイの所持品は、「身につけていた装飾品とポケットの中に入っていたもの」だけだった。

 具体的に言えば、イシュラは「甲冑(兜なし)、抜けない剣と刃こぼれした短剣……二の腕にしていた腕輪と財布」。

 リースレイは「紫水晶のピアス・金と銀の細い細工物の腕輪が二つずつ。銀のロケット・守り刀と呼ばれる宝飾品の短剣・そして外套の隠しに入っていた氷砂糖」だ。

 一番嬉しかったのは、何といってもリースレイがもっていた氷砂糖だ。

 森に入ってだいぶ経つまでそれに気付いていなかったのだが、気付いた時は二人で思わず笑みをこぼしたものだ。

 甘いものが心を和ませるというのは本当だ。

 二人でそれを分ける時、柄にもなくイシュラはワクワクした気分になったものだ。

 七つあった氷砂糖を、リースレイはイシュラに四つくれた。

 遠慮するイシュラにリースレイは真面目な顔で、イシュラの方が身体が大きいから余分に必要だと言って四つの塊をその手に握らせた。

 甘いものなど特に好まないイシュラだったが、あの氷砂糖の味は一生忘れないだろう。


「ははははは……姫さんにはかなわねーよ」


 重い甲冑は早々に捨てたし、剣や短剣も代替品が見つかった場所で捨てた。

 迷い込んでしまった人間や、今の彼らのような逃亡者はいざしらず、まがりなりにも森に踏み込もうという旅人はそれなりの支度を整えていた。

 百年以上前の食料などは当然口にできるはずもなかったが、彼らの持っていた火付け道具やら替えの服やらはばっちりいただいたし、魔術を帯びた外套なども有効利用させてもらっている。

 器用なリースレイは、手に入れた裁縫道具を使って、それらをイシュラや自分に合うように仕立てなおしてしまった。

 今のリースレイとイシュラは戦場から落ち延びた貴族の姫と騎士というよりは、長旅をしている田舎の行商人の親子といった風情だ。


「わたしはじぶんがいちばんだいじなのだ。ゆえに、いきるためにひつようとあらば、ししゃからさいふをごうだつすることもいとわない」


 ふふん、と胸を張る。

 実際に財布やら荷物にならない金目の宝飾品やらもばっちりいただいているので実に説得力がある。


「姫さん、姫さん、……それ、まるっきり悪役のセリフだから」

「せいぎのみかたとしてしぬより、あくやくとしていきのびるのがわたしのりそうだ」

「……さいですか」


 思わず頭を下げたくなる。ここまで言われるといっそ清々しい。


「さて、そろそろきょうのちりょうをしようか」

「あー、おねがいします」


 イシュラの足の怪我を、リースレイは毎日寝る前に少しづつ治療する。

 リースレイは驚くほど医術にも長けていて薬草の知識も豊富だ。

 治癒の術を使うからには、医術にも通じている必要がある為だという。


「いててててて……」

「おおげさにいたがるな、おとこであろう」

「痛みに男と女は関係ねえっ!もちっと優しく剥がしてくれ」


 リースレイの見立てでは、イシュラの怪我はそのままにしておいたら太腿から下を切断するほどのものだった。

 骨を傷つけていただけではなく、筋と腱をも傷つけていた。

 歩けていたのが不思議なくらいの重傷だったのだ────それが致命傷となって死んでいてもおかしくないほどの。

 だから、こうして自分の足が今も両方とも健在であることに、イシュラは心の中で感謝を捧げる。

 それは、信じてなどいない神にではなく、目の前の小さな主に対してだ。


「いたいというのは、なおってきているというたしかなあかしだ。よろこぶがいい」

「それは、そうなんだけどよ……」


 傷口を注意深く観察し、その小さな手を傷口の上にかざす。

 その唇が不思議な響きの音を連ねると、リースレイの掌に青白い光が宿った。

 その光が骨を再生し、筋や腱をつなげてくれた…………今は、深く抉れていた傷口がわずかにもりあがり、薄いピンク色の肌が形成されはじめている。

 真剣な眼差し……額に小さな汗の粒が浮かぶ。

 5分くらいそうしていただろうか……光が輝きを失い、ふぅ、とリースレイが汗を拭った。

 それが、治療の終わりの合図だった。


「ありがとな、姫さん」

「うむ。……わたしが、ちゆのじゅつをえとくしていたことをかんしゃするがよい」


 治療がおわると、幾つかの薬草を組み合わせて擂り潰したものを塗りこみ、新しい布をあてる。少ししみるが効能は確かだ。


(傷口が腐らねえし……)


 消毒薬も代わりとなる酒もなかったが、傷口は腐る事も膿むこともなかった。

 見た目は悪いが、薬草もなかなか侮れない。


「あー、でも、贅沢言うけどよ。毎日こんなちまちまじゃなくて、ぱぱっと治せないもんなのか?」

「できるかできないかのにたくでいうのならば、できる」

「やらないっていうことは理由があるんだよな?」

「そうだ。……すこしはかしこくなってきたな、イシュラ」


 文句を言いたかったのだが、その心底嬉しそうな笑顔に口をつぐんだ。

 つくづくイシュラは、リースレイに弱い。


「まじゅつはばんのうではない。「む」から「ゆう」をうみだすことはできない。おまえのけがをなおすのもそのほうそくにもとづいている」

「………治す為に何かを費やしている?」

「せいかいだ。このちりょうで、わたしがつかっているのは、わたしのまりょくとおまえのせいめいりょくだ」

「………………………なんか、今、さらっと怖い事言わなかったか?」

「そうか?……あのな、『ちゆ』というのは、まじゅつのなかでもいちにをあらそう、とってもきけんなじゅつなのだ」

「……教会のじじい達の得意技だぜ?っていうか、教会の人間って、ほとんどそれと魔力板の販売で食ってるようなもんだろ?なのに、そんなに危険なのか?」

「ああ」


 こくりとうなづき、言葉を継ぐ。


「ちゆのじゅつというのは、おおまかにふたつのさようによってなりたっている」


 小さな指が『2』と示す。


「まず、ケガをしたぶぶんにちりょうにひつようなちからをつっこむ。つぎに、ケガをしたぶぶんのじかんをはやまわしにすすめる。このふたつ」

「………それの何が危険なのか、オレにはさっぱりわからん」

「まず、なおすためのちからがひつようになる。いまは、さっきもいったとおり、おまえのせいめいりょくをつかっている。ただし、よくじつにかいふくするていどのぶんりょうだけな」

「もしかして、寝る前に治療するのはその為なのか?」

「そう」


 こくりとうなづいて続ける。


「……たとえば、このけがをまるまるぜんぶきれいにちりょうするようなじゅつをかける。そうすると、じゅつにせいめいりょくをすいとられて、おまえはおだぶつだ」

「……おい」


 魔術だとか魔法だとかそういったものに馴染みがないせいで、必要以上に恐ろしく聞こえる。


「……で、じかんにかんしょうするというのは、ものすごくまりょくをしょうひすることだ。わたしのこのからだのせんざいてきなまりょくはかなりのものなのだが、なんといってもこどものからだだ、ついやせるまりょくにもげんどがある」


 下手に魔力を注ぎ込みすぎると、術が破綻して魔力が暴走することもある。そうなれば、人間の身体などもろいものだ。治療とかそういった話ではなくなることだろう。


「姫さん、無理してないだろうな?」

「あんずるな。わたしもよくじつにえいきょうがないていどにしか、ついやしていない。こんなおさないからだで、ほんかくてきなじゅつをつかおうものなら、そくざにたおれる」


 倒れるくらいならまだいい。術に失敗すれば即死もありうるし、暴走させでもしたら最悪だ。


「そうなのか?」

「ああ。かつてのわたしであれば、さまざまなリスクをかいひつつ、ぱぱっとなおすこともできたのだが……こどもというのはふじゆうなものだ」


 口惜しそうな顔。


「おとなになれば、できるようになるのか?」

「それはわからぬ。ただ、おそらく、いちばんさいしょのぜんていじょうけんだけは、クリアできているとおもわれる。たゆまぬどりょくをつづけ、まんしんすることなくけんさんをつめば、なれないことはないだろう」


 知識だけがあっても、今の状態ではそのほとんどが役に立たない。特に魔術関係はかなり割り引かれる。使える術なんて1割にも満たない。

 魔力を体内にはりめぐらす魔術回路も構築できていなければ、魔力の源ともいうべき自身の真名も知らない。

 どれほど潜在的な魔力が大きかろうと、これでは、たいした術は使えない。


(5さいじだし……)


 身体も鍛えていないから体力もないし、イシュラがいなければきっとこの森を抜けることさえできないで死ぬだろう。

 知識だけあったところでどうにもならないことがたくさんある。


(5さいじだし……)


 子供というのは不自由なものだ。いろいろなことがままならない。


「あー、姫さんは、また魔導師になんの?」

「いや。まどうしはなろうとおもってなれるものでもないからな……」

「魔導師って、結局のところ何なんだ?名前だけならオレも知ってるぜ、暁の騎士に砂漠の魔人、黄昏の娘に緑の魔女に……それから、天空の歌姫に滄海の龍王。……姫さん?どうした?」


 イシュラは、リースレイが奇妙な表情をしていることに気付く。


「……いや。よくしったなまえばかりだったのでおどろいた」

「御伽噺みたいなもんだぜ?だって、人間業じゃねえだろ。竜殺しとか、砂漠に森を作るとか、ゆびならしただけで雨降らすとか、都市一つを丸々火の海に叩き込むとか……」


 聞き分けのない子供に、悪い事ばかりしていると砂漠の魔人が攫いにくるぞ、と親が脅かすのはどこの家庭でも見られる光景だ。


「……それがまどうしだ。まどうしというのは、せかいをゆりうごかすちからをもつものをいう。まじゅつしがそうなることがおおいのでごかいされがちだが、まじゅつしとはべつものだ。おそらく、もう、まどうしというそんざいがうまれることはないだろう」


 リースレイは息を深く吸った。幼い子供の口調はとてもたどたどしく、ちょっと長く話すとすぐに舌を噛みそうになる。


「なぜだ?」

「このせかいに、かみがいないからだ」

「姫さんの前世とやらの時代には、まだ、神ってのがいたのか?」

「……かろうじて」


 神というものがどういうものか、それを知るリースレイとて説明する事は難しい。

 だが、確かにそれは存在していた。

 世界には、『神』と名付けられた存在があったのだ。


「まどうしとは、かみからなをもらうか、うばうか……あるいは、かみをころしたものをいう」

「……神?」

「そう。せかいをうごかすには、かみのなをひつようとする」

「姫さん、忘れちまったの?その名前」

「……………おぼえている。だが、おぼえていればいいというものではない。「な」とは「「じゅ」であり、それそのものがちからだ。だが、すでにかみはこのせかいになく、そのちからもこのせかいにはほとんどのこっていない」


 マナ……神の息吹と呼ばれるその力こそが、魔導や魔術といったものの源だ。マナがないからこそ代わりとなるエネルギー……生命力や魔力を転換したものを使って術を行使したのだ。


「まあ、もともと、わたしはまどうしになりたくてなったわけではないのだ。まじゅつしになったのだってなりゆきだったしな」

「魔術師って成り行きでなれんもん?」

「いまのじだいはしらぬが、かつてのわたしがいきていたじだいは、まじゅつしというのはべつにそれほどとくべつなしょくぎょうではなかった」


 リースレイの場合は、年老いた魔術師が豊富な魔力を持つ彼女を弟子として引き取ったから魔術師になっただけだ。


「へえ~」

「………ふむ。いまのわたしはなににでもなれるのだな」


 ふと、何かに気付いたというようにリースレイが呟く。


「そりゃあ、姫さんはまだ子供だし……」


 オレは、今更、剣を手にしない人生なんて無理だけどな、とイシュラは笑う。


「……そうだな。こどもでよかったかもしれない。これだけおさなければ、いまからなににでもなれるじゃないか」


 しかも、リースレイには八百数十年+五年の知識と経験値がある。


「……あの~……姫さん?」


 ふふふふふ……とリースレイは笑った。


「もしもーし、姫さん?オレの声、聞こえてっか?」


 あやしく笑うリースレイは、やはりどこからどう見ても悪役にしか見えなかった。


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