第五章 襲撃(7)
「あれ、アルフィナさん、イリ、目が覚めたんですね」
「ルドクさん……」
おはようございます、とのんびりした様子でやってきたのはルドクだった。
「どうぞ、朝食ですよ」
紙袋を抱えて戻ってきたルドクは、にこやかに笑う。
「買い物に行っていたんですか?」
「ええ」
こんな時でも、しっかりと朝食を調達してきたらしい。
手渡されたビスケットは焼き立てなのかほのかなぬくもりをもっていた。香ばしい香りが食欲をそそり、おなかの虫が控えめに空腹を知らせる。
(やだ。恥ずかしい……)
思っていた以上に自分がおなかがすいていたことにアルフィナは気づいた。同時に、誰にもその音が聞こえてないか恥ずかしくなる。
「よろしければ、聖騎士さまもどうぞ」
「ありがたくいただくわ」
フィシスは嬉しそうに受け取り、そのまま遠慮ない様子で口に運んだ。
ティシリア聖教においては、こういった些細なことも奉仕の一環として考えられている。
そして、基本、聖職者は奉仕を断ることはない。それを受け、奉仕者に徳を積ませてやることも聖職者の役目の一つだからだ。
アルフィナも同じ様にビスケットに噛り付く。
素朴な小麦とバターの味が口の中に広がった。
(おいしい……)
屋敷にいたころであれば、きっと、こんなシンプルなビスケットを口にすることはなかっただろう。ましてや、こんな風に外で立ち食いなんてありえなかった。
けれども、旅の空では別に珍しくない。
屋敷の奥深くで礼儀作法は厳しくしつけられてきたアルフィナは未だに気後れするのだが、テーブルマナーに悩まされることもなく、シンプルでおいしいものをおいしいうちに食べることができるのはとても嬉しかった。
「はい。ミルクもありますよ」
ルドクは大きな皮袋から、ブリキのカップにミルクを注いでくれる。
アルフィナは慌ててそれを手伝い、フィシスにもミルクのカップを渡した。
イリはビスケットを齧りながらもどこか上の空だった。
最も、上の空でなかったとしても手伝ってくれたかどうかは怪しい。最近はそれでも随分マシになったのだが、基本的にイリはシェスティリエにしか関心がない。
「どこまで行ってきたんですか?」
「ちょっとそこまで、ですよ。門の中から行商の人がちゃんと来てましたから。……まあ、みんなそれどころじゃないようなので今日は商売にならないってボヤいてましたが」
「どうして?」
「今回のこの事件のせいです。……アルネラバは港町ですからあちらこちらに船を出していますが、最大のお客様はティシリア皇国への……聖都への巡礼です。その聖都へ向かうティシリアの聖職者を浚おうとした賊がいたことは、アルネラバという都市の治安問題となるんです」
「門の外でも?」
「大陸法では、ここは中と同じとみなされるんですよ。だから、ここで事件があれば都市と同じ法律で裁かれます」
「……ルドクさん、詳しいんですね」
「その法律ができた原因が、行商人が被害にあった事件で……王都にいた時にいろいろ話を聞いたことがあったんです。たまたまですけどね」
ルドクはニコニコと笑って教えてくれる。元穀物商の息子だと聞いた。王都で奉公していたのだとも。
だが、きっとそれだけではない。ルドクはかなり高い教育を受けているのではないかと思われる節がある。
(ルドクさんは、大学とか行ってたんじゃないかしら)
大陸法なんて、一般人があまり聞くことのない単語だ。
「……ラナ、少々お伺いしてもよろしいですか?」
「かまわないわよ。何?」
「……どうしてこんなにたくさんの聖騎士の方や聖職者の方がいらっしゃるんですか?聖都に向かう途中のファナが一人拐かされそうになったというだけでは、ここまで大事になるとは思えないのですが」
ルドクは、フィシスにラナと呼びかける。ラナとは司祭のことだ。
ティシリア聖教の聖職者は、聖神官であれば肩衣で、聖騎士であれば腕章でその階級がわかるようになっている。他にも、かけている聖帯や剣帯の色などにも細かな規定があるらしい。
マントの下の腕章は見えないのに、ルドクは彼女が武司祭であるとわかったらしい。
いかにも商人らしい如才なさだった。おっとりしているようでルドクはきちんと押さえるところは押さえている。
「確かにファナが誘拐されかかったというだけではそうね。……でも、そのファナを狙ったのが三十人以上から成る正体不明の……明らかに訓練を受けている賊で、更には、その賊が一人残らず返り討ちにあったとあれば、聖都が興味を示すのも当然じゃない?」
「それはおかしいです。これが明日ならばわかりますけれど……まだ、昼になってないですよ?情報がそんなに早く伝わるとは思えません。……そこまでのことはこちらに来られてからお知りになられたのでは?」
「……ええ。実はそう」
少し困ったなというような表情でフィシスは笑う。
「いろいろ理由をつけてるけれど、ほんとのところは単なる偶然なのよ」
「偶然、ですか?」
「ええ。……たまたま、聖都のさる高位の御方がアルネラバに滞在していらっしゃったの。私たちはその護衛なの」
(さる高位の御方……?)
アルフィナは首を傾げたが、ルドクには心当たりがあるらしい。
「では、あのシェス様にいろいろ問いただしていらっしゃった方が、ラナが警護してらっしゃる方なんですね」
「そうよ。あの方が、幼いファナが攫われかかったというのをお聞きになり、事件の解明の為とアルネラバの安全の為にご自身の護衛と部下を派遣されたの」
ルドクは、彼らの隊長である司教位にある武官が殊更丁寧に接していた男を思い出す。
年はイシュラとそう変わらないくらいだろうか。法衣を纏っていなかったし名乗りもしなかったが高位の聖職者なのだろうことは一目でわかった。
淡い色合いの金の髪に紅茶色の瞳をした男は、独特の雰囲気を持ち、どこか命令することになれきっている様子だった。
(たぶん、元は貴族……あるいは、王族か何かが聖職者になったパターンだろうな)
ティシリア神聖皇国において、聖職者はその出自を問われない。洗礼を受けた者は等しくティシリアの民であるとされる。
ゆえに、他国の出身であっても才覚次第で高位を得ることが可能だ。
その為、皇国においては、他国の大貴族や王族の子供が、普通にたいした身分でもない聖職者としてそのあたりに存在していたりもする。
大司教以上の高位聖職者のうち、ティシリアで生まれた者の割合は約半数程度であると言われている。ティシリアで生まれた者は、生まれたときからごく自然に女神の恩恵に触れ、ごく自然にティシリア教と接してきている為に、あえて聖職の道を選ぶ者が少ないらしい。
聖教の頂点に立つ教皇ですらここ3代は他国の出身者が続いているほどだったが、皇国の民は特にそれにこだわりを持たなかった。
むしろ、教皇の出身国の方がそれを気にする風潮が強い。
暗黙の了解であったが、ティシリア生まれではない者が教皇位についた時、自国から教皇を出した国は就任祝いとして教皇領を寄進することになっている。
それだけではない。皇国のさまざまな祭事のたびに莫大な寄進を行うのが慣例となっていて、同じ国から二代続けて教皇を出すと国家予算が破綻するという笑い話がささやかれるほどだった。
「この時期に外にいらっしゃったのには、何か理由でも?」
新年を迎えようとするこの時期、皇国では大きな儀式が幾つもある。高位聖職者になればなるほど、聖都を出ることはあまりしないものだ。
「ご生母が危篤ということで、生国にお帰りになっていたのよ……お名前は許してね。本来、この時期にこんなところにいていい方ではないから」
「大丈夫です。別に詮索するつもりはあまりないです」
これ以上、シェス様に関わりさえしなければ名前を知ることもないと思います、と心の中でルドクはつぶやく。
「……あの、あの方が何か?」
フィシスが何かを懸念するような表情で問いかける。
だが、ルドクが口を開く前に、アルフィナが控えめな声で呼びかけた。
「……あの、ルドクさん」
「何?」
振り返ったルドクに、アルフィナは躊躇いがちに告げた。
「……イリが、いません」
真剣に話していた二人の邪魔をしないよう話を聞いていたアルフィナだったが、ふと気づくといつの間にか隣に居たはずのイリの姿がなくなっていた。
「……………」
「……………」
声を持たぬ少年は、伝言を残すとか、断ってから移動するとかという発想がない。あれこれ言葉を尽くす前にさっさと行動に移す無言実行の体現者だ。
二人は顔を見合わせ、そして慌てるよりも先に、同時によく似た表情で溜息をついた。




