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第五章 襲撃(2)

(空気が変わった……)


 びりっとするような空気が、ふわりと和らぐ……それは、まるでそっと抱きしめられるかのような柔らかさでもってイシュラを包む。

 そして、背伸びをした小さな腕がイシュラの頭を抱き、そっと額に唇が触れた。

 その瞬間、目裏でまばゆい光がはじけた。

 全身を軽く電流が流れるような感覚……ふつふつと何かが湧き上がるような……身体の中の細胞の一つ一つを活性化するようなその感じにむずがゆさを覚える。


「何、したんです?」

「しゅごのじゅつだ」


 答えは簡潔だった。目を見開いたイシュラに、シェスティリエは上機嫌の笑みを向ける。


「それはわかったんですけどね。何かこう、普通の術とは違うような……」

「わたしは、さいきんのじゅつをしらないから、ちがいはわからない」

「えーと、戦場で魔術師がかけるのよりも強力っぽい感じがするっつーか」

「しゅごのじゅつは、かけたにんげんのりきりょうが、そのままはんえいする。よっぽどよわいまじゅつししかしらないのだろう、イシュラ」


 唇だけで笑う。

 それは幼児には不釣合いな艶を感じさせる笑みだったが、シェスティリエにはまったく違和感がなかった。


「……それを言ったらおしまいなんですけどね」


 軍に所属していた魔術師が弱いとは思わない。

 だが、おそらくシェスティリエが特別だ。

 生前の彼女がどれほどの力量を持っていたのかは知らないが、当時は相当に名の知れた魔術師……いや、魔導師だったに違いない。


(……あれ?)


 イシュラの記憶の片隅を何かがかすめる。

 何かがひっかかっている感覚……何か大事なことが、ほんのすぐそこまで迫っているのに思い出せない。


「……どういう術なんで?」


 もどかしさから逃れるように、別のことを問うた。


「わたしよりつよいじゅつしゃでないかぎり、まじゅつてきにはおまえをきずつけることができない。どうじに、わたしのじゅつをきるくらいつよいやいばじゃないかぎり、ぶきでもおまえをきずつけることができない……これを『ぜったいしゅご』という」

「魔術って切れるんですかね?」

「きる、というひょうげんがただしいかはわからぬが、けんのたつじんがそうおうのぶぐをつかえばきれる。……だが、わたしのじゅつをきれたにんげんはかぞえるほどだ」

「……それってほぼ無敵?」

「にんげんがあいてならな」

「なら、姫さんが一人いりゃあ無敵の軍隊ができるってわけだ」

「いや」


 シェスティリエは首を横に振る。


「『ぜったいしゅご』は、ほんらい、『つるぎのせいやく』とついになるじゅつだ。おまえがわたしとせいやくしているからこそ、そこまでのこうかがある」

「へえ」

「それに、そもそも『ぜったいしゅご』は、かなりまりょくをしょうひするじゅつなんだ。たにんにそんなものかけるくらいなら、そのぶん、こうげきまじゅつにしてたたきこんだほうがラクだ」

「そうなんですか?」

「そうとも。……さいじょうきゅうのしゅごのじゅつだぞ。ふつうのまじゅつしならば、じゅつとしてはつどうしない。かろうじてはつどうしてもまりょくをすいとられて……」

「……姫さん?」


 途中まで聞いたところで、そんな危険な術を行使したのかとイシュラの目がつりあがる。


「あんずるな。わたしのばあいはたいしたもんだいではない。おさないせいで、まりょくをためないとつかえないじゅつなだけで」


 ぱらりとシェスティリエが地面に落としたのは、くすんだ灰色に色を変えた金属片だ。


「魔力板ですか?」

「そうだ。ぎんのさいじょうきゅうのいただったが、これはもうやくにたたないな」


 懐の隠しに手をいれて、新しい魔力板を取り出す。


「それに魔力を貯めていた?」

「そうだ。ぎんのいたをつかうと、かなりこうりつよくためられることがわかったのだ」


 だから危ないことなんてまったくない、とシェスティリエは言う。


「なら、いいですがね」

「わたしがまりょくぎれのような、しょしんしゃじみたヘマをするか」


 ふん、とあごを軽くあげて睨みつける姿はとても傲慢で、ごく自然に自信家で、そしてひどく魅力的だった。

 これでこそシェスティリエだという気がする。


「……姫さんは、聖職者っつーより、どこの女王様だよって感じだな」

「へんたいはおことわりだ」

「あー、姫さん、意外に下世話なこと知ってんな」


 普通だったらこの年齢の幼い子供にイシュラの言う女王様の意味はわからないし、わかってほしくもない。


「なかみはせいじんをとっくにすぎてるからな」

「昔っからそんな感じだった?」

「ひつようならば、いくらでもおひめさまぶりっこできる。が、わたしをそだてたのはへんくつなろうじんで、そのせいでついぶっきらぼうになる。それがエラそうにきこえるらしい」

「……なるほど」


 彼らがのんびりとそんな会話を交わしている間にも周囲の気配は徐々にその距離を縮めてくる。

 だが、イシュラは不思議なくらい気持ちが静かだった。

 戦の前の昂ぶり────戦場に立つ前の気持ちの昂揚というものはなく、ただただ平静な己だけが居る。


「よのなか、バカばっかりだな」


 シェスティリエにいたっては昂揚などは影もなく、呆れた顔で溜息をつくほど。


「普通、待ってるなんて思いませんって」

「まあ、いい。どうやらあちらにひくきはないようだ。イシュラ、えんりょはいらぬ」


 すべて殺せ、と幼い声は言った。


「……いいんですか?」

「いい。にどとあれをねらおうとかんがえぬくらい、てっていてきにやれ」


 シェスティリエとて、殺せと命じることに躊躇わないわけではない。

 だが、躊躇うのはほんの一瞬だけだ。

 その一瞬でどうするかの計算がたってしまうのだ。


(どちらがより良いか……)


 この場合、より良いとは、最終的に被害が少ないことだ。

 そして、シェスティリエの決断は、『これ以上の被害を出さぬよう。また、後に多くを殺さない為に、ここでそれ以下であるだろう犠牲を出す』こと。勿論、この場合の犠牲というのは襲撃者たちをさす。


「ちゅうとはんぱは、ひがいをおおきくするだけだ。ひとりものこすなよ」


 単に、生き残ったものは更にまた襲撃してくるだろうから殺す、というだけではない。

 襲撃は回数を重ねるごとに規模を大きくするだろう。襲撃者の数とて、撃退するたびに増えていくのが道理だ。

 そうなった時、いつか襲撃が成功してしまうかもしれないし、そうでなかったとしても、周囲の人間だって巻き込まれる。

 自分たちはまだいい。アルフィナの事情を知っているから心の準備もしている。だが、まったく無関係な人間に被害が出る可能性だってある。


(何よりも、このさきは私が守ってやれるわけではないのだし……)


 皇国に着けば、それぞれ道が分かれる。

 イリはともかくとして、ルドクは旅を続けるし、アルフィナは洗礼を受け、教父あるいは教母となった者に導かれ自身の道を探すことになるだろう。

 アルフィナの美貌、そして、その生い立ちゆえの価値から、おそらく彼女には聖堂から守護騎士がつけられるに違いない。

 だが、彼らの腕のほどをシェスティリエは知らないし、守りきれるかもわからない。

 だとするならば、今、出来る限りのことをしておくべきだった。


「一人くらい残さないと、どうなったかを知る人間がいないんじゃねえ?」

「こういうしごとには、みとどけやくやつなぎやくがいるはずだ。それに、だれひとりとしてかえってこなければ、しっぱいしたことはわかるだろう?」

「まあ、そうですね」


 徹底的にやってみせつけることで、アルフィナの命を狙うことを諦めればよし、そうでなくとも、それだけやっておけばしばらくは他国へ襲撃者を送り込むこともできまい。

 シェスティリエはそう判断し、この一行を率いる者として最も安全な道を選んだ。そして、選んだからには迷いを見せるべきではない。


(……主の迷いは剣を鈍らせる)


 それは、相手が付け入る隙になる。


「おじょーちゃんは非難するでしょうね」

「かまわない。……まもりたいとおもうのなんて、しょせん、わたしのじこまんぞくだ。それよりも、なんどもしゅうげきされるほうがきけんだ。しくじるなよ、イシュラ」

「もちろんです。姫」


 イシュラが恭しく一礼してみせると、シェスティリエは当たり前だというようにうなづいた。


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