第三章 王都ルティウス(1)
フェルシアの王都ルティウスは、別名を宝石の都という。
王都の内とその周辺に七つの湖があり、それらの湖が異なる美しい色彩をしているためだ。
その中でも最大の面積を誇るのが、王都の入り口……関所の前にある翡翠湖で、その名のとおり美しい翠をしている。
「悪いな、姫さん。遠回りさせちまって」
「かまわない。……おうとにもきょうみがある」
「あー、そう言っていただけると助かるけどよ。……ルドクも、良かったのか?最短で行くなら、ブラウツェンベルグに出て、ブラウツェンベルグの国内を突っ切った方が早かったんだぜ?」
リスタからティシリア神聖皇国の聖都に行き着くためには、大きく分けて三つのルートがある。
一つ目が、ブラウツェンベルグ公国に出て、その国内を縦断するルート。
二つ目が、ローラッド帝国に出て、国境近くの港町エルバから海路をとるルート
三つ目が、リスタから王都ルティウスを経由し隣国アルネラバに出て海路をとるルートだ。
彼らが選んだのはこの三つ目で、一番遠回りになってしまうルートだった。
「言ったじゃないですか、いろいろな国が見たいって。最終的にたどり着ければルートにはこだわってませんし……あ、イシュラさん、荷物、僕が持ちますよ」
ルドクの荷物は、肩掛けしている布製の大きなバッグだけ。シェスティリエとイシュラの荷物は、イシュラが背負っている葛篭に入っている。
ルサザ竹という丈夫な竹を編んだこの葛篭は、軽い上に丈夫、しかも通気性が良いために商人に好まれている。
イシュラが背負っているのは、その籠を更に漆で塗った品だ。
リスタ滞在中に、シェスティリエの命でイシュラが塗った。
少々の水も弾くしカビ防止にもなるそうだ。
「いや、大丈夫だ。ま、いつものようなことがあったら、また頼む」
「はい。……でも、そんなにいつもあってもらっても困るんですけど」
ルドクは苦笑した。
リスタを出て既に6日が過ぎている。途中、乗り合い馬車を使ったりもしたが、基本は徒歩だ。山道では、追いはぎにあったり、町のはずれではチンピラに絡まれたりもした。
そういった時、荷物の死守はルドクの役目だ。退治するのは当然イシュラで、シェスティリエはイシュラの背にかばわれているか、守られている。
「まあ、仕方ねえだろ。ああいうのが出るってのは、国に問題があるんだよ。……食い詰めたヤツがすることだからな。国が正常に機能してれば、ああいうのはなかなか出にくい。例え出てもすぐに退治される」
「なるほど……すごく納得できました。……でも、僕が言うのも何ですが、あんまり強くありませんでしたね」
イシュラの強さは圧倒的だった。
1対十数人ということもあったのに、イシュラが弱いものいじめをしているようにしか見えなかった。
「イシュラがつよすぎるだけだ」
「姫さんの聖従者ですから」
自慢げに言ってみたものの、つい半月前まで正規の軍人として最前線で生き抜いてきたイシュラだ。食い詰めた傭兵くずれや、ちょっとした力自慢の乱暴者などに負ける気はさらさらない。
そもそも、あの手の輩はすぐにシェスティリエを質にとろうとするところが赦せない。
「イシュラさん、シェスさまを狙ったヤツは念入りでボコるよね」
「当然だろ」
「おんなこどもをねらおうとするやからなど、てかげんするひつようはない」
「勿論ですとも」
シェスティリエの答えに、我が意を得たりとばかりにうなづく。
(いや、イシュラさんの場合、そういう話じゃないですから)
「イシュラ、あれがひすいこなのだな?」
「そうです。……姫さんは知らないんで?」
いかにも珍しいというような口調でイシュラが言う。
ルドクはそれが不思議だった。
彼の見たところ、シェスティリエは身体がかなり小さいものの10歳前後だろう。
しゃべり方がたどたどしいので、もしかしたらルドクが思うよりずっと幼いのかもしれない。
何にせよ、その幼い見た目に反して信じられないくらいに色々なことを知っているし相当頭も良いが、知らないことがあってもおかしくはない。
「ひすいこをはじめとするななつのみずうみは、380ねんまえのかざんのふんかでできたのだ、と、ほんでよんだ」
「あー、なるほど。空白の時代なんですね」
「そう」
「空白の時代ってなんです?」
「わたしのべんきょうが、まだあまりすすんでいないじだいだ」
今ちょうど勉強しているのだ、とシェスティリエは言う。
「そうなんですか」
「うん」
うなづくシェスティリエは、とても可愛らしい。
すれ違う人達がよく振り返るのはきっとそのあまりの幼さとそれでもわかる美しさゆえだろう。
イシュラという屈強な供を連れているのでなければ、とうの昔に攫われていてもおかしくない。
道中、どこかに立ち寄るたびに、シェスティリエはいろいろな人々からさまざまな喜捨を受けていた。
こんなにも幼く可愛らしい聖職者が旅をしているのは、とても健気に見えるのだろう。見た目が可愛らしいというのはとても得だと、ルドクはつくづく思ったものだ。
(シェスさまの場合、性格は、なかなかイイんだけどね)
なまじな男では絶対に太刀打ちできない。
ちなみにルドクはまったく自分では無理だと判断している。イシュラはメロメロなので論外だ。
一週間、この主従と一緒に旅をしてわかったが、彼らの関係はとても不思議なものだった。
(親子というわけでもなく、兄と妹というのも違う……)
共に暮らした者だけが持つ遠慮のなさや、血のつながりがもつ重苦しい親密さというものはない。
(主とその騎士っていうのは皆こんな感じなんだろうか?)
さりとて、ルドクの知る主従関係ともまったく違っている。
「そろそろ疲れてきたんじゃないんですか?」
「まだ、あるく。────わたしは、たいりょくをつけねばならないからな」
(それでいて、恋人とか伴侶っていうのとも全然違う……)
恋人や伴侶といった関係にありがちなベタベタとした甘さも無い。だからといって甘さが全然ないかといえば、そうでもない。
騎士でないルドクには一生判らない感覚なのかもしれない、と思うと少しだけ口惜しいような気がする。
「シェスさまは、神官様になられるんですよね?体力なんて必要なんですか?」
ティシリア聖教の聖職者は、文官と武官とに分かれている。文官は『神官』と呼ばれ、武官は『聖騎士』とも呼ばれる。
総対比から言うと文官が6割、武官が4割。ただし、文官が武官を、武官が文官を兼ねる場合もある為、一概に文官が多いとは言えない。
「まじゅつ……いや、このばあいは、ほうじゅつだな。ほうじゅつをつかうにはたいりょくがいる」
この小さな身体では使える術など限られている、と口惜しげに言う。
「リドじいのあのくちぶりだと、ほうじゅつは、こうりつがいいらしいから、きたいしているのだ」
わたしは魔術は知っているが、法術はほとんど知らないからな、と言う。
「あれ?あの治癒は?」
「ちがう。あれは、ただのまじゅつ。まじゅつというのはひとによってちがう。てでいんをむすぶものもいれば、じゅもんをえがきだすもの、かみやほうせきなどにふうじるもの……けいとうは、さまざまだ」
だが、それらは基本的には個人のものだ。
大概は、その術を編み出した本人が死ぬと失われる、とシェスティリエは淡々と説明する。
ルドクにはちょっとわからない主従だけの会話も混じっているが、そういう時はおとなしく聞いている事にしていた。いちいち突っ込んでいたら、話が進まない。
「弟子とかいねえの?」
「でしでは、すべてをつたえきれない。まりょくの『たか』────おおいすくないや『しつ』といったもので、つかえるじゅつというのは、かなりさゆうされる」
師より三代後の弟子には、最初の師の術はほとんど残らないだろう、とシェスティリエは言う。
「では、魔術書というのは何なんですか?術を使う方法が書かれているのでは?」
「『まじゅつしょ』として、いまにのこされているのは、かんがえかたのきほんや、りろんがほとんどだ」
魔術には、法則性あるいは規則性といったルールがある。それを発見し、組み立て、あるいは組み合わせ、術を発動させる。
「ルールをこうちくするためのりろんをまなぶことで、そのまじゅつをみいだすみちすじをしる、というところだろうか」
「よくわかんねーよ、姫さん」
「たとえていうなら、まじゅつしょには、『かいとう』がかいてあるわけじゃない。『もんだいのときかた』がのってるだけだ」
「なるほど」
「そのてん、ほうじゅつは、『ティシリアせいきょうきょうだん』という、そしきにつたえられた。そのことが、げんざいまで『ファラザスのじゅつ』を、げんけいにちかいかたちでつたえている、いちばんおおきなよういんだ」
「ああ……そうですよね、ファラザスの術になるんですね」
(かみなきせかいにのこされたじゅつ……)
かつて、彼女は術を遺すということをまったく考えなかった。
それでも、術を教えたものは何人もいたし、ユータス助祭の口ぶりでは、今でも残っているものはあるのだろう。
だが、それは彼女の意図したことではない。
しかし、ファラザスは、確実に『後世に残す』ことを意図していたのだろうと思う。
(……ファラザスは、なにをおもってほうじゅつをのこしたのだろうか……)
シェスティリエは、それを知りたいと思っていた。