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第二章 国境の街リスタ(6)

 何とも表現しがたい表情のリースレイ改め、シェスティリエを置き去りにして歓談していたルドクとイシュラだったが、ふと話題が途切れた。

 すると、やや考え込んだような表情のルドクがシェスティリエに向き直った。


「あ、シェス様。お願いがあるのですが……」

「なんだ?」

「皇国まで、ご一緒させていただきたいのですが、よろしいですか?」


 以前からその傾向はあったが、ルドクの口調はことさら丁寧だった。

 聖職者に対するごく自然な敬意……例え、相手が幼く、成り立てほやほやの聖職者でもそれはかわらないらしい。


「べつにかまわぬ」

「ありがとうございます。ティシリアを抜けてアディラウルまで行こうと思っているんです。あ、一応、いろいろ便利なので聖地巡礼という体裁にはしているんですけど」

「イモでもたべにゆくのか?」

「はい」


 大真面目な顔でルドクはうなづいた。


「別にそれだけというわけではないんですけど、それを一番の目標にしようかと……」

「なんでまた急に?」


 この間考え込んでいたのはそれなのかもしれない、とイシュラは思い出す。


「ずっと、このままじゃいけない気がしてたんです。……けど、どうしていいかわからなかった。紹介状がないから、毎日、賃仕事しかできなくて……ただ生きているだけで精一杯だった」


 けれど……と一息つき、そして続ける。


「お二人に助けていただいて……それまで、自分が不運だと思っていたのが案外そうじゃないかもって思えました。お二人が来てから、良い事がたくさんあったから」

「良い事?」


 イシュラは何かあったか?と記憶を探る。


「ええ。ささいな事なんですけどね。たまたま屋台の片付けを手伝ったら、売れ残りの品物をもらえたとか、手伝った先で作業が丁寧だったからと手間賃を多めにもらえたりとか……でも、それくらいならこれまでもあったんです。ただ、僕がそう思っていなかっただけで……ようは、気持ちの持ちようなんですよね」


 シェスティリエは何も口をはさまない。

 ルドクは別に同意や何らかの意見を必要としているわけではなかったからだ。


「……それで、お二人が出発するっていうお話を聞いた時に、思ったんです。あ、僕も出発しようって」

「どこに?っつーか、何のために?」


 イシュラは思わず突っ込む。

 別にルドクが同行することに反対しているわけではないが、長く根を下ろしていただろう街から旅立ちを決めるにしてはあまりにも軽すぎる。


「僕、商売やりたいんですよ。まだ、何を売るって決めてるわけじゃないんですけど、最終的になりたいものは決まってるんですけど」

「……なにになるのだ?」

「穀物商です。穀物は、人の命を支えるものですから」


 きっぱりとルドクは言った。その顔に、確かな決意が浮かぶ。


「……だから、できるだけいろいろな国を回りたいと考えていたんです。どこで何が作られているのか、どんな風に食べられているのか……イシュラさんと話していて知りました。同じ作物でも、他国ではまったく違う食べ方をしていたりするんですよね。僕は、そういうことがたくさん知りたいです。……だから、とりあえずは、シェス様のおっしゃっていたイモを食べにアディラウルまで行こうと思うんです」


 決して思いつきではないのだと、ルドクは告げる。


「皇国までは楽するために、ちゃんと聖帯をいただいていますし、これはって思うものがあったら行商をしながら旅してもいいかなって……」


(無謀ってほどじゃねえし……旅してりゃあ、ちっとは鍛えられるだろうし……)


 やや危うさを感じないわけでもないが、希望と熱意に満ちている。

 その熱意に水を差すことはあるまいとイシュラは考えた。


「……では、せいちまでは、とくべつにわたしのじしゃとしてやろう」


 巡礼者はさまざまな便宜を受けられる。

 だが、旅をする聖職者は、更にそれを上回る便宜を受けられるものだ。当然、聖従者や侍者と呼ばれる使用人もそれに準ずる。


「シェスさま……ありがとうございます!」

「れいは、アディラウルの『あまいも』でよい」

「……必ず」


 ルドクはしっかりとうなづいた。





 陽の光が、聖堂の尖塔の十字架をきらめかせる。ニワトリの声が裏庭の方から聞こえていた。

 雑居坊の巡礼の団体が目覚めたのだろう。人の声もきれぎれに聞こえてくる。


「……名残は惜しいんですが、そろそろ出立しませんと……」


 イシュラは、シェスティリエを促した。

 丁寧な口調なのは、一応、聖職者となったシェスティリエの立場を慮ってのことだ。


「そうだな。……では、そろそろまいろうか」


 リド司祭もそれにうなづく。


「シェスティリエさま、よろしいですかな。……本山に参りましたら受付においてこの書類を提出して下さい。わしは一介の修道司祭なれど、わしの教え子の中には、大司教になった者が数名おりますのじゃ。その中で最も頼りになる者に、御身のことは頼んでありますからな」


 リド司祭は、愛しげに目を細めた。


「わかった。リドじい……いや、リドしさいさま」

「じいで結構でございますよ。シェスさまがこのじいなど及びもつかない魔力をお持ちである事は、洗礼時によくわかりもうした。その御名も表層を読み取っただけ。その表層ですら天空の歌姫と同じ御名なのです。シェス様はいずれ、幾つもの神名を得ることになるでしょう」


 魂に刻まれた名は一つではない。高位聖職者になればなるほど多くの神名を持つと言われている。


「ことほぎにかんしゃする」


 リド司祭はいつものクセで利き手で何度か髭をのばし、それから、姿勢を正した。


「あなた様の行く道が光輝くものでありますように」


 左手を胸にあて、右手の指が空に聖印を描く。それはシェスやイシュラ、そして、ルドクの頭上に光を振りまいて消えゆく。


「わがちちにして、わがしよ。そなたのうえにさいわいがありますように」


 小さな白い指が呪文を描き出す。その呪を、リド司祭は知らない。

 だが、それが祈りであることはわかった。降り注ぐ光の優しさの意味を間違えるはずも無い。


「イシュラ殿、シェスティリエ様のこと、どうかくれぐれも……」

「リド司祭、ご安心を。オ……私は、どこまでもご一緒いたしますから」


 いつもとは違うイシュラの言葉遣いにルドクは小さく笑った。

 普段のイシュラの態度からするとかなり違和感があるからだ。


「そんなの、じいがたのむまでもない。イシュラは、わがきしにして、わがせいじゅうしゃなのだからな」

「申し訳ございませぬ。心配でございましてな。そう。イシュラ殿は聖従者でございますものな」


 聖職者に対して剣を捧げている騎士を特別に『聖従者』と称する。

 リド司祭は、イシュラにも洗礼を受けることを薦めたのだが、イシュラは自身の剣を神に捧げる気は無いと一言の元に拒絶した。例え方便だとしても……例え対象が神であったとしても、イシュラは他のものに剣を捧げる気はさらさらないのだ。


「そうだ。……だからあんずるな」


 その声が、わずかに自慢げだと思うのは、イシュラの願望のせいかもしれない。


「はい」


 リド司祭は深くうなづく。


「ルドク、母なる神の導きによって旅する子よ。そなたの旅の無事を祈っておるぞ」

「ありがとうございます、司祭様」


 ルドクも笑みを浮かべる。


「道中、ご無事で」

 いつも陰気なユータス助祭だが、今日は若干だが晴れやかな表情をしているように見える。


「ありがとう」

「ありがとう。いろいろと世話になりました」

「ありがとうございます。助祭様もお元気で」


 ルドクは何度も振り返った。

 二つの影はいつまでもそこに立ち続け……そして、やがて見えなくなった。





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