la sankta florfolieto
詩歌は無口な女の子だ。
無口というのは言葉通りの意味で、本当に一言もしゃべらない。
だから、話すときはいつも私が一方的に話しかけて、それに詩歌は頷いたり、首を振ったり、時には身振り手振りで返してくれる。
長い付き合いだから、それだけで詩歌の言いたいことはほとんど分かる。
言葉での表現ができない分、詩歌は他の部分でいろいろなことを表現する。
例えば、詩歌の机の周りはいつも四季折々の花々で飾られている。
今時期だと、真っ赤なポインセチアに、白や薄桃色のシクラメン、それに色とりどりのパンシーやビオラ。
もちろん、教室の机をそんな好き勝手に飾っていいわけがない。
一学期の頃は、担任の先生からよく注意されていた。
けれど、詩歌はいつも笑顔で受け流したり、賄賂のつもりなのかハボタンのポットを差し出したりして一向に注意を聞かないので、夏休み明けには先生も諦めて何も言わなくなった。
それでいいんだろうか……?とは思うけど、私も毎日詩歌の机に癒されているので何も言えない。
学校の花壇でも、詩歌は四季折々、多種多様の花々を育てている。
十二月の初め頃から校門の前にちょこんと座っている寒牡丹も彼女の手によるものだ。
詩歌は、育てた花をよく私にプレゼントしてくれる。
大体、登校すると机の上にポンと花が置いてあって、ある時トリカブトの花が置いてあったときはさすがにドキリとした。
けれど、すぐにその花を持って詩歌のところに行くと、綺麗でしょ?と言わんばかりにすごくニコニコしていたので、本当にそれだけのことだったんだろう。
ちなみにその後、口に入れてから苦しむ真似をして、食べちゃだめだよ、のジェスチャーを送ってきた。
食べるわけないじゃん!
なお、家に帰ってからトリカブトの花言葉を調べてみたら「復讐」「人間嫌い」なんて意味だった。
私は花をもらうたびに、その花の花言葉を調べることにしているのだ。
でも、詩歌が花そのものに花言葉の意味を重ねたりしないのは知っている。
言葉を話さない彼女は、言葉というものに意味を見出したりしない。
十二月も終盤、期末テストを控えて、私はとても憂鬱だった。
「あー、テストなんてなくなればいいのに」
私が愚痴をこぼしても、詩歌はいつも通りお花畑に囲まれて左団扇だ。
「そっか、詩歌は頭良いもんねー、私も詩歌くらいの頭があればなぁ」
すると、詩歌はジェスチャーで「勉強教えるよ」と伝えてきた。
「いいの?助かる!」
そんなわけで、今日からテストまでの一週間、詩歌の家に通い詰めて勉強を見てもらうことになった。のはいいのだが……。
「あー、やる気が続かん」
すぐに燃え尽きてしまった。
詩歌は、そんな私を呆れたような目で見つめながら、時計の針をしきりに指さして「サボってる時間は無い!」と訴えてきた。
分かってはいるけどさー。
「んー、テスト頑張ったらご褒美が欲しいなぁ。ご褒美があれば頑張れる!」
そんなワガママを言ってみたら、詩歌はちょっと考えるそぶりを見せてから、立ち上がって部屋を出ていってしまった。
もしかして呆れられた?と不安になっていたら、ほどなくして一冊の雑誌を手に戻ってきた。
詩歌は、その雑誌のあるページを開いて私に見せた。
そのページは、岩手にある繋温泉という温泉の特集だった。
詩歌は「どうよ?」という目で私に問いかけてくる。
「うん、よし!温泉旅行のために頑張る!」
かくして、冬休みに詩歌と二人で温泉旅行に行くことが決定した。
温泉のためとあって、今回の私はなかなかに頑張った。
詩歌が勉強のお供にとくれたニチニチソウの花も私を励ましてくれた。
おかげで、いつもは五教科のうち三教科くらい赤点だったのが、数学一教科だけに留めるという快挙を達成した。
はしゃぎ回る私を見る詩歌の目が生ぬるい感じだったのはきっと気のせいだ。
期末テストの結果がどうであれ、あとは冬休みを待つだけだ。
そうはいっても、その前にクリスマスがやってくるのでどっしりと構えてばかりもいられない。
私は、毎年マフラーや手袋を編んで詩歌にプレゼントしているのだけど、今年は期末テストの勉強を真面目にやった分ちょっと制作が遅れてしまっているのだ。
クリスマスはもう明日に迫っている。
今晩中に完成させようとすると徹夜かな?と思いながら、編みかけのセーターを手に取ったところで、スマートフォンが震えた。
見ると、詩歌から「急がなくていいよ。温泉旅行のときにプレゼント交換しよ」というメッセージが届いていた。
狙ったかのようなタイミングに苦笑しながら「もしかして私の心読んだ!?笑」「でも助かる。これで徹夜しなくて済んだ」と返す。
温泉旅行の前日。
私の目の前には、まだ半分も形になっていないセーターが転がっていた。
せっかくもらった猶予期間だったのに、作業はまるで進まなかった。
とにかく完成させなければ。
そう思うのだけれど、いっこうに手が動かない。
原因は、セーターに入れる柄が決まらないことだった。
私は、毎年詩歌に手編みのプレゼントをしてきた。
手袋、マフラー、帽子、ポーチ……。
それらには、どれも花柄のパターンを入れてきた。
詩歌が育てている花々を思い出して、それらの中から何となく選んだものをモチーフにパターンを編みこんできたのだ。
だが、今年に限ってはどうもモチーフの花が思い浮かばない。
いつもなら深く考えずに「これ」と決めてしまえるのに、今年はなぜかどれもしっくり来ないのだ。
思い悩んでいるうちに、時間だけが過ぎていく。
私は、観念して布団に入ることにした。
いくらなんでも、明日という日を寝不足で迎えるわけにはいかない。
……のだが、なかなか眠りにつくことはできず、結局寝不足のまま旅行当日の朝を迎えた。
家にいても落ち着かなくて無駄に早く出たもんだから、駅に着いたのは待ち合わせの三十分も前だった。
目の前のロータリーを、年末セールに引き寄せられた買い物客が慌ただしく行き交う。
駅前の総合スーパーでは飽き足らない人たちが、大型アウトレットモール直行バスの乗り場に長い列を作っている。
一瞬、あの人たちに混じって詩歌に代わりに渡すプレゼントを買ってしまおうかという考えがよぎり、それじゃいけないと慌てて弱い心を振り払った。
空港行きシャトルバス乗り場の方でも、里帰りの家族連れで長い列ができている。
詩歌はその列の陰になる方角からやってきたので、私は彼女が目の前に来るまで気づかなかった。
詩歌は、毛糸の帽子に手袋、それにマフラーと毛糸三昧のコーディネートだった。
どれも私が以前にクリスマスにプレゼントしたものだ。
ごめんなさい、今日は渡せるものがないの。
私は心の中で手を合わせる。
詩歌は、待たせてごめんなさい、とペコペコ繰り返し頭を下げた。
でも、実はまだまだ待ち合わせの十五分前。
とはいえ、待たされたのは事実なのでとりあえず
「十五分も待ったよー」
と言っておく。
こういう時、デートなら「今来たところだよ」なんて言うのがお約束なんだろうけど、私と詩歌の間にはそんなお約束なんていらない。
盛岡行きの新幹線は、里帰りの人たちでデッキまで溢れていた。
自由席券しか買えなかった私たちも、仕方なく狭いデッキに身を寄せ合って縮こまる。
仙台からはようやく空席が出て、棒になりかけていた足をやっと休めることができた。
古川、くりこま高原、一ノ関といちいち止まるおかげで盛岡まではずいぶん長くかかった。
ようやく昼過ぎに着いて、お昼ご飯にしようということになった。
盛岡といえば冷麺……だけど、この時期ではいくらなんでも寒い。
他の名物を探していると、駅前にじゃじゃ麺という食べ物のお店があった。
うどんみたいな太い麺に肉味噌が乗っていて、一緒に絡めて食べるものらしい。
初めて食べたけど、なかなかに美味しかった。
詩歌も大満足のようで、とてもニコニコしている。
繋温泉までは、駅前から岩手県交通のバスが出ている。
バスで少し行ったところで、正面に真っ白な山が大きくそびえるのが見えた。
雲一つない真っ青な空とのコントラストも相まって息を呑む光景だ。
詩歌は、その山にミラーレスカメラのレンズを向けた。
きれいな山で気になるけど、名前が分からない。
困っていたら、詩歌がカバンからガイドブックを取り出した。
ちゃんと持ってきていたんだ、ナイス!
どうやら岩手山という山らしい。
標高が2000メートルを超える県内一高い山とのことだ。
バスは、その岩手山を右手に見ながらしばらく走り、やがてイオンモール盛岡に到着した。
他のお客さんはみんなそこで降りてしまい、車内は私たちだけになった。
やがて、左手に澄んだ湖が見えてきた。
御所湖というダム湖で、秋には真っ赤な紅葉が湖面に映し出されるという。
バスは湖の中腹に架かる橋を渡り、繋温泉に着いた。
まだ三時半だけれど、早くも日が傾き始めていた。
「暗くなる前に温泉神社に行っちゃおっか」
そう言って歩き出そうとすると、ふかふかしたものがちょこんと手に触れた。
毛糸の手袋を着けた詩歌の手だった。
手を繋いで歩くなんていつ以来だろう。
詩歌にはそんなつもりはないだろうけど、久々に手を繋いだ場所が繋温泉というのはなんだか洒落が利いているな、なんて考えてしまった。
温泉神社でお参りをした後、源泉公園の足湯で温まるうちにすっかり暗くなってしまった。
私たちは、手を繋いで来た道を戻り、湖に沿って走る道路まで出た。
泊まる予定のホテルは道路からよく見えていて、地図で調べるまでもなく簡単に辿り着いた。
係の若い女性に案内され、8畳ほどの和室に通された。
部屋は予め暖房で暖まっていたし、茶菓子もあってゆったり寛げそうだったけれど、ここに来るまでの間にもう身体はすっかり冷えきってしまっていた。
詩歌は、もう浴衣に着替え終わり、バスタオルを持って構えている。
考えることは二人一緒だった。
ホテルの温泉は、大窓からの展望が楽しめる広い内風呂と、源泉掛け流しが自慢の露天風呂に分かれていた。
いきなり夜風に当たる勇気もなく、まずは内風呂で温まることにした。
湯舟に浸かった瞬間、冷えた身体にほどよい温度の湯がしみた。
詩歌は私のすぐ隣の位置を占め、目をトロンとさせた。
普段の私なら、こんな詩歌を見たらイタズラをしてしまうに違いない。
なにしろ、詩歌は胸の発育が結構いい方で、なかなかに揉みごたえがあるのだ。
でも今日はちょっとそんな気分にはなれなかった。
どうしたらセーターを完成させられるか、考えは一向にまとまらない。
温泉から上がると、詩歌はスタスタとどこかへ歩き出してしまった。
慌てて後を追ったら、卓球台のあるフリースペースに着いた。
なるほど、確かに温泉宿といえば卓球、というイメージはあるけれど、詩歌がこの手のステレオタイプを好むのが意外だ。
とはいえ、私としても身体を動かすのはやぶさかではないし、進んで付き合うことにした。
やり始めると、詩歌はやはりこの手の遊びにはあまり慣れていないのか、すぐにラリーが途切れてしまう。
なるべく緩やかに打ちやすいコースを狙っているのだが、それでも空振りしたり、あさってな方向に弾いてしまったり、ネットにぶつけたりとなかなか上手く行かない。
とはいえ、詩歌はニコニコ笑って、とても楽しそうだった。
私としては今一つ手ごたえが足りないけれど、詩歌の笑顔が見れるなら十分だ。
体を動かして丁度良くお腹が空いたところで夕食の時間になった。
地場野菜の煮物に天ぷら、三陸の幸を贅沢に盛り合わせたお造り、地元中津川を遡上してきた鮭の塩焼き、そして何よりも前沢牛のステーキが最高だった。
締めくくりにはわんこそばと、デザートは小岩井牛乳で作ったアイスクリーム。
お腹いっぱいの岩手を堪能して、部屋に戻るとすぐに布団に飛び込んだ。
詩歌の咎めるような目は「食べてすぐにゴロゴロしてると太るよ」と言いたげだ。
分かってるけどさそんなこと!
構わず横になっていたら、詩歌が隣に来て私に何かを差し出した。
そのままの姿勢で手だけ差し出して受け取ると、エリカの花をリース状に束ねた首飾りだった。
「わあ、クリスマスプレゼント!?」
詩歌はニコニコと頷いた。
「詩歌の手作りだよね。嬉しい!ありがとうね!でも……」
私からは渡せるものがない、その事実を伝えようとしたとき、私の手にもう一つワスレナグサの花束が乗せられた。
「これもくれるの?」
もちろん!とばかりに詩歌が頷く。
「ホントに嬉しい。でも、ごめんね、私からは……」
その瞬間、詩歌の唇が私の言葉を塞いだ。
突然のことに頭が真っ白になる。
詩歌は、そのまま私を押し倒すように覆いかぶさった。
浴衣がめくれてはみ出た詩歌の太ももが、私の両足のすき間に割り込む。
そのまま、詩歌は自分の手の指を私の手の指に絡めてきた。
至近距離から伝わってくる熱にクラクラして、何も考えられない。
その気になれば、詩歌の華奢な体なら簡単にはねのけられただろうけど、そうする気は起きなかった。
詩歌になら何をされても良い。
そんな風に思えるくらい詩歌のことが好きだったのだと、私は自分自身の気持ちを初めて知った。
真夜中の露天風呂は、私と詩歌の貸切状態だった。
星のない空に真っ白な雪が舞っていた。
気だるさの残る身体に、源泉そのままの成分がじんわりと染みる。
詩歌は、私のすぐ隣でじっと寒空を見上げていた。
灯籠の光を反射して煌めく雪が、音もなく詩歌の瞳にはらはらと舞い落ちる。
御所湖に夜桜が舞ったら、ちょうどこんな風に見えるのだろうか。
今度は春に詩歌とここに来よう、そう思った。
遅く起きた朝、窓の外には一面の銀世界が広がっていた。
慌てて荷造りをして宿を出る時、女将さんがお弁当を持たせてくれた。
私たちが起きて来ないので、朝食にするはずだったメニューを詰めてくれたのだという。
帰り道、盛岡駅を過ぎても詩歌はバスを降りなかった。
バスは北上川を渡り、盛岡城址公園の横を過ぎて、もう一つ小さな川を渡った。
看板を見ると「中津川」と書いてあった。
昨夜の食事に出てきた鮭はこの川で摂れたものだったのかと納得する。
川向うに建つレンガ造りの建物は、詩歌のガイドブックでも紹介されていた岩手銀行の旧本店。
そして、バスは終点の盛岡バスセンターに到着した。
こんな寒い日でも賑やかなアーケード街の一角に、閉店して久しい総合スーパーのビルがひっそりと佇んでいる。
まるで、そのビルだけ時が止まっているかのようだ。
詩歌と二人で入ったら、私たちの時も一緒に止まるのだろうか。
それも案外悪くないかも知れない……。
そんなどうでも良い思いつきに気を取られていたわずかの間に、詩歌がいなくなっていた。
「詩歌!?」
慌てて周囲を見回す。
いない!どうして!?
がむしゃらに岩手銀行の方に向かって駆け出す。
そのとき、一台のバスが私を追い抜いて行った。
そのバスの窓際の席に座っているのが見えた。
見間違えようもない、詩歌だった。
それも一瞬、次の瞬間にはもうバスの後ろ姿しか見えなくなっていた。
松園バスターミナル、その行先だけを必死で頭に刻み込んだ。
正月、一日からは少し遅れて詩歌から年賀状が届いた。
住所は岩手県盛岡市西松園、新居の庭に咲いたクリスマスローズの写真が載っている。
クリスマスローズは、その名前とは裏腹にクリスマスの時期にはまだ開花しない。
新年になってようやっと咲いたものを写真にしてくれたのだろう。
本当は、詩歌は「メリークリスマス」と伝えたかったのだ。
言葉を話さない詩歌は、言葉というものに意味を見出したりしないのだと思っていた。
けれど、こうして詩歌と別れた今、繋温泉に行き、エリカの首飾りをもらって、ワスレナグサの花束を受け取ったことの意味は違って見えてくる。
エリカの花言葉は「良い言葉」。
詩歌は、どんな状況で、どんな相手に発せられたとしてもその相手を幸せにできるような、そんな真に美しい言葉だけを愛して、でもその純粋で崇高な思いゆえに彼女は口を閉ざすしかなかった。
それでも、私との別れを前に、彼女は一つの選択をした。
例え全ての言葉に欠点があるのだとしても、その言葉を受け取る相手もまた美しい言葉を愛するならば、言葉の純粋な部分だけを伝えることができるから。
だから、詩歌はエリカの首飾りに「本当に美しい言葉を愛して欲しい」という願いを込めた。
そうすることで初めて、詩歌はワスレナグサの花束に「私を忘れないで」の意味を込めることができたし、「繋」温泉という言葉に私たちの繋がりを結びつけることが出来たのだ。
どうせなら、いなくなる前に「さよなら」の一言くらい欲しかった。
でも、そんな悲しいだけの言葉を伝えるなんて詩歌に出来るはずがないのも分かる。
「私を忘れないで」が詩歌の中での精一杯だったのだ。
私は、もう二週間以上手をつけていなかったセーターの編み物を再開した。
模様として編み込む花はトケイソウと決まっていた。
その名の通り、トケイソウの花はまるで時計の盤面そっくりで、針みたいに見える柱頭の部分は動かないから時が止まっているみたいに見える。
盛岡バスセンターで見た、あの時を止めたような総合スーパーに二人で飛び込んでみたい、そんな荒唐無稽な願いさえ、この花なら叶えてくれそうだった。