6 魔法令嬢、社交会デビューします。②
しばらくの間馬車揺られ、森が開けた先にあったアイリス侯爵邸は、「格式高い」「歴史深い」という言葉が相応しい邸宅であった。
広大な敷地であるが、豪奢という印象はない。必要なものを必要なだけ設置したらこのような広さとなった、という様子である。質実剛健を謳う騎士の家らしいといえばらしい。
あまりの広さに圧倒され、「端から端まで走ったらどのくらいかかるのかしら」などと思っていると、
「ほら、ルリィ。そんなところに立ったままだと邪魔になるよ。こっちに」
ヴィンセントが手招きをして、慣れた様子で足を進めた。
「兄様、こちらにいらしたことあるの?」
「ああ、あれは二年前だったかな。そうそう、その時はご婚姻のお祝いだったんだ」
今回のアイリス侯爵家と王家の主催する夜会は、現国王陛下の年の離れた妹姫・エリザベス嬢とアイリス侯爵家の長子の間に第一子息が誕生したことを祝うものであった。二年前も、同じように婚姻を祝っていたのだろう。
国王陛下がエリザベス嬢を可愛がっているという話は昔から有名であり、今回の出産祝いも国王直々に企画した者ではないかと噂されているほどであった。そのため、あやかろうと考えて出席する貴族も多く、邸宅の周りは既に随分と賑わっていた。
ディフロンション家の場合は、アマーリエの取り扱う衣服を昔からいたくエリザベス嬢が気に入っており、個人的にお茶会を開くほどの仲であったため、その関係で招待されたのだ。
デビュダントの場としては、かなり贅沢であろう。
「後でルリィもエリザベス様にご挨拶に上がりましょうね。さあ、この先がホールよ」
扉を開けたその先は、ルリエルの知らない世界だった。
広いホールを彩る人々、細かな細工を施されたシャンデリア、そして食指をそそる香り。屋敷の質素な見た目とは異なり、会場は華やかな様子であった。その眩い世界に、「まあ」と思わず声を発した。
魔法令嬢をしていた頃、空から地上を見た際に、一際明るい一角が見えたことがあったのだが、きっとその時もこのような夜会を開いていたのだろう。
夜会の始まる時間よりはまだ早いはずであったが、ホールは十分に賑わっていた。デビュダントの格好をしているためか、歩いているだけで何人かからの視線を感じた。
「私は、事業の知り合いの方を見つけたから挨拶をしてくるわ。ヴィンセント、ルリィのエスコートをお願いね。始まったらまた集まりましょう」
「分かったよ。ルリィ、おいで。パラフォン伯爵家の方々があちらにいるから、挨拶に行こう」
アマーリエもヴィンセントも場慣れをしているから、行動に無駄がない。お上りさんのようにわたわたとしているルリエルを手際よく誘導し、パラフォン伯爵家の元へと辿り着いた。
ちなみに、途中で視界に入った料理は素通りされていった。「騎士の身体は食事から」と、アイリス侯爵家は有能な料理人を幾人も抱えていると聞く。とても名残惜しく、首を曲げられるだけ曲げながらじっと料理の方を見ていたが、「ルリィ」とヴィンセントにたしなめられた。
「御機嫌よう、ロバートおじさま、シャーロットおばさま、マリー」
アマーリエにみっちりと仕込まれた仕草で本日最初の挨拶をした。
「ああ、ルリィか。今日がデビュダントなんだね、おめでとう」
「よく似合っているわよ」
パラフォン伯爵家の人間は、皆揃って目尻が上がっているためか少し近寄りがたい印象があるが、実際のところかなり穏やかな方々である。一通り褒めちぎられた後は、ヴィンセントが領地の近況について話を引き取った。
マリーメイは、今日は鮮やかなスカイブルーのドレスを纏っていた。腰元のカーブを強調するような、きゅっと締まったドレススタイルだ。マリーメイは先日デビュダントを迎えている。
マリーメイはじっとルリエルの腰元と顔を見つめ、「まあ、及第点かしら」と呟いた。そしてそっと周りを警戒するように視線を走らせた後、手招きをした。
「ルリィ、今日の夜会には王子殿下もいらっしゃるって言う話よ」
「まあ、エリオット殿下が?」
「私も小耳に挟んだだけなのだけれど……。エリザベス様が降嫁された訳だから、王族の関係者がいらっしゃるのはまだ分かるけれど、王子殿下がいらっしゃるのはつい直前に決まったらしくって。昨年のシーズンから、殿下は招待受けた夜会には良く挨拶に行っていらっしゃるようだから、婚約者候補を直接探していらっしゃるんじゃないかって話、もしかして本当なのかしら」
一介の伯爵令嬢が、どうしてそこまでの情報を握っているのかは不明だが、しかし言われてみれば参加している令嬢たちが色めき立っている……気もした。ちらちらと周囲に目を配っている……気もした。
「同じ学園に通っていても、三年生とは棟も区切られているから御姿は私もほとんど見たことないのよ。ルリィはエリザベス様にご挨拶に伺うのでしょう?お近くに行けるかもしれないわよ」
「うーん、そうなのかしら」
ルリエルはおとぼけた性格はしているが、夢見がちなところはない。次期国王に為られる人間に、やすやすと近づけるかと考えれば望み薄、というところだろう。
「まあ、そうでなくても今日の夜会にはリージュ様と、それからヴィンセント様もいらっしゃっているのだから、皆様色めき立つのも当然よね」
「兄様?」
「ヴィンセント様は今、令嬢たちからの人気を集めるお方のお一人なのよ。学園では伯爵家初の生徒会長をされていらっしゃって、今は王宮で文官をされていらっしゃるでしょう。それにお顔も素敵だし。それなのに婚約者がいらっしゃらないって話題なのよ」
確かに、兄ヴィンセントは同じ親から生まれたとは思えないほど涼しげな顔立ちをしている自慢の兄であるが、そのような人気を集めているというのは知らなかった。
「……何だか、私知らないことだらけのようだわ。この間から、マリーに教えてもらってばかりな気がするの」
「気がする、じゃないわ。ルリィったら、ここちょっと前からどこから誘われてもお茶会にも出なくなったでしょう。ここ2ヶ月ぐらいはお茶会どころじゃなくって、王都にも出ないで領地にこもりっきりだったし。社交界は日々移り変わるのよ?そんな無知な状態で社交界に出たら潰されちゃうわよ。もうちょっと勉強なさい」
ルリエルは同じ16歳であるマリーメイに叱られっぱなしである。ルリエルが無知なのか、マリーメイが大人びているのか。多分どちらも、だろう。
「ファーストダンスはヴィンセント様とするのでしょう。妹ってことを知らせるために、とりあえず挨拶回りしてきなさい。誤解は少ない方が良いわ」
「そんなに恐ろしい場所なの、ここは」
マリーメイは黙って頷き、そして美しく微笑んだ。
「ヴィンセント様、ルリィのお披露目のご挨拶に行かれるのですよね。長くお借りしてしまって申し訳ございませんわ」
「いや、ルリィが緊張していたようだったから。マリーメイ嬢と話せて落ち着いたみたいだ、ありがとう。……じゃあ、行こうか、ルリィ」
「はい、兄様」
しばらくの間、ルリエルはヴィンセントに連れ添って挨拶回りをした。ヴィンセントと同じく王宮で文官をしているランスロット伯爵、ラルーシ侯爵、その夫人エメリア様、学園時代の友人ドミニク様、その婚約者ルーシー様……と、続々と続く。
ヴィンセントとはたった3つしか違わないというのに、顔の広さにも立ち振る舞いにも驚かされるばかりだ。
夜会が始まるぎりぎりの時間までそういったことを続け、そしてついに主催者が現れた。
2021.8誤字修正をしました。