4 魔法令嬢、パーティに行きます。
ルリエル・ディフロンションが魔法令嬢として魔族と戦っていたという事実を知るのは、彼女の執事であるルーモスただ一人である。
初めての戦いを終えたその日、夜明け前にいそいそと壁をよじ登っていたところをうっかり見つけてしまったのだ。それはもう、驚いた。主人である伯爵家ご令嬢が奇怪な姿で蜘蛛よろしく壁にひっついていたのだ。彼はその時、人生で初めて白目を剥くという体験をした。
どういうことなのかと詳しく話を聞けば、魔族と戦うことになったとルリエルはあっさりと語った。全く意味がわからなかったが、その後の説明役はステッキが引き継いだため、ルーモスはことの成り行きを理解することができた。
そして話し合い、このことは他言無用にするということで話はまとまった。この事実は、毒にも薬にもなる。外交法令違反を犯しているということはもちろんだが、魔法の力はこの国では得難いものだ。悪用しようとする者が出ないとも限らない。が、同時に、国を守る高貴な令嬢という称号も得ることができる。やり方さえうまくすれば、であるが。やはりリスクの方が大きいということで、誰にも言わずに使命を全うするということとなった。
ルーモスは心配であった。ルリエルは、どちらかといえばのほほんとしている性格。運動能力は高いほうではあるが武道の経験も無いため戦いに適しているとは到底思えないし、それにこれまで大切に育てられてきたご令嬢なのだ。ともすれば死もありうる責務を続けて欲しいとはどうしても思えなかった。だが、国のためにと立った彼女を止めることは出来なかった。
だから、ルーモスはその責務が早く終わるように祈りながら、裏方で彼女を支え続け、長い二年を過ごした。
しかし、ルリエルが怪我をして帰ってくるたびに胸を痛め、卒倒した。そしてそろそろ心臓が持たない、というタイミングで、任務を終えたわ、と晴れやかな顔のルリエルから報告を受けたのであった。
しばらくは休養を、と言うルリエルに賛同し、その通りになるように行動した。
が、二ヶ月を過ぎた頃、流石にルーモスは焦った。「いや、ちょっと休暇が長すぎるんじゃ?」と。庭で日向ぼっこをしながらお茶をすする彼女は、うら若き乙女というよりも、最早現役を退いたご隠居のようであった。
周囲のご令嬢たちは、例えば王立学園に入って婚約者と新たな男性の狭間で心を悩ませたり、幼馴染とパーティで再会して淡い恋心を互いに抱くようになったり……と、甘酸っぱい時間を過ごしていると聞く。それと比べて、とは言わないが、ルリエルはあまりにも恋愛要素が欠けてしまっている。もっと、麗かなな令嬢としての時間を楽しんで欲しいと、そう思うのは仕方のないことであった。
ルーモスはそっと息を吐き、庭で笑っている主人に視線を送った。
そして当の本人は、女友達と庭園でお茶会を開いていた。
相手はパラフォン伯爵令嬢のマリーメイ。ルリエルと同じ16歳で、幼い頃から付き合いのある友人である。顔のパーツが全体として柔らかな曲線によって成り立っているルリエルとは異なり、はっきりとした美人顏のご令嬢である。パラフォン伯爵領はシルクの名産地ということもあり、ドレスも装飾品も最先端の一級物を身に着けている。
「ルリィ、こんなこと言いたくないけれど、少し太った?」
「……あら、そうかしら」
「腰のラインに甘えが見えてよ?」
「……あら、そうかしら」
ぷっくりとした唇を尖らせてマリーメイはティーカップを置いた。
「もう何日かしたらデビュタントでしょう。どちらでの夜会だったかしら?」
「確か王家と……アイリス侯爵家が共に開催されるものだったかしら」
「アイリス家はリージュ様の家ね。はい、問題です。アイリス侯爵家について説明しなさい」
「ええっと……『騎士』のアイリス家で、歴代の当主の御方は何人も騎士団長をされていらっしゃって……次期当主のリージュ様は確か18歳で学園にいらっしゃる……?」
「あら、ルリィにしては分かっているじゃないの。随分おばさまに仕込まれたのね?」
「自分でも調べているわ」
「あのアイリス家を知っているだけでそんな自慢げになっても駄目よ。ルリィ、リージュ様狙いなら厳しいわよ。学園の中でも女の子達から物凄く人気があるんだから。殿下と幼馴染でいらっしゃるし、そっち狙いの令嬢もいるのよ」
「まあそうなの」
「ルリィも学園に入れば良かったのに。今は夜会よりも学園で相手を見つけるのが主流になってきているのよ。ねえ、学園も結構楽しいんだから、今からでも入学したらどう?」
「そうねえ〜」
「んもう、煮え切らない返事ねえ」
『学園』は、16歳以上の貴族の子が入学できる学びの場である。マナー、歴史、剣術、裁縫、スポーツ等々、貴族として必要な勉強を一通り習得できるカリキュラムが用意されており、子息子女の間では社交を学ぶ場としても人気が高い。
ルリエルも基本的には一般的な貴族のご令嬢であるため、入学の資格もそして若干の憧れもあったのだが、寮生活が必要になるため入学を諦めたのであった。夜間に抜け出すのも困難であるし、集団生活を送る中で完全に秘密を隠し通すほどの自信がなかったからである。
しかし、考えていたよりも早くにお役目を終えることができたのであるから、確かにそれも悪くない、と思った。
「マリーと同じ学校に通えるならきっと楽しいわよね。うん、お父様とお母様に相談してみるわ」
「……ま、まあそうね。ルリィがそうしたいなら相談してみたら良いんじゃないの」
「それに、学園専属の菓子職人はとっても腕が良いって評判って聞いたもの〜。ぜひ頂いてみたいわ」
「そういうところ、ブレないわね?」
マリーメイはもう一度カップを傾けて、
「今の学園の3年生には殿下もいらっしゃるわけだし。殿下とリージュさまがご一緒されている時なんてもう、眼福の極みなのよ」
と、紅茶を含んで、ふーっと深くため息を吐いた。
「マリーは殿下の婚約者の座を狙っていないの?」
「そんな恐れ多いこと考えたことないわ。パラフォン家では、家柄としてぎりぎり圏内に入るぐらいかもしれないけど……殿下の周りは他の上級貴族のお姉様方に固められているし、とても近づける隙も無いんだから。少しでもそんな素振りを見せようものなら…………」
「見せようものなら?」
「体育館裏お姉様集会に呼び出しよ」
「……なあに、それ」
「ルリィはまだ知らなくて良いのよ。もし、学園に入学することになったらまた教えてあげる。まあ、それが無かったとしても私は王妃の座なんて考えたこと無いわ。殿下とリージュさまのお話しされているところを遠目で見ているだけで幸せだもの」
うっとりと庭園に輝く薔薇の花を眺めるマリーメイに、ルリエルは首を傾げつつ、
「そういえばマリー、日が傾き始めたらすぐに家の方がが迎えに来るって言っていなかったかしら?」
「あら、そうだったわね。今夜中には寮に戻らなくちゃいけないのよ。それじゃあ、ルリィ、アイリス侯爵家の夜会だったら私も参加するから、またその時に会いましょう。あんまり食べ過ぎると当日コルセットが辛いことになるわよ」
「うっ、気をつけるわ」
最後にぴっと指を伸ばして言い放ち、そして去っていく友の姿を眺めながら、
「学園の件、よく考えてみなくちゃね」
と、うんうんと頷いた。
学園には、普段の社交界では会うことが出来ない、遠方の地の貴族子息もいると聞く。確かに、出会いの場としても有用ではないのかな、と思いつつ。
2021.8誤字修正をしました。