16 魔法令嬢、平行世界に侵入しました。③
ずん、という振動は、身体の奥深くまで響くほどだった。
見上げると、そこは闇だった。そして闇の中に一点のみの光があった。と言っても希望の光などではない。
アーモンド状の白のキャンバスに漆黒の円形が一つ。あまりにも大きすぎるがそれは瞳だった。瞳のラインに沿って長いまつ毛が伸びている。それはよく見ると一本一本が鎖のようになっており、瞬きのたびに金属同士がぶつかり合うような不協和音が響いた。
ぎょろぎょろと小刻みに動く虹彩は何かを探しているようにも見える。
「な、なんて長いまつ毛なのかしら……それに、あんな大きい瞳、乾燥しそうですわね……」
「ルリィ、着眼するのはそこでは無いと思いますよ。しかしその余裕、その観察眼、流石ですね」
ほとんど唇を動かさず、静かな声で冷静にルリエルに指摘を入れたエリオットだが、視線は頭上の魔族から離していない。
《おかしいですね、計算上ではこのような地形ではなかったはずなのですが……それに……》
侵入先に、檻のようなものが設置されている。まるで、ルリエル達がこちら側に来ることを予測されていたようだ。
「しかし、幸いなのは、今の所あの魔族にも気が付かれていないようですね」
喉を手で押さえ、軽く咳払いしながらエリオットが小声で言った。
「ただ、明らかに何かを探しているような……ん?」
瞬間、ルリエルは右足に全力を込めて踏み込むと、エリオットを抱え込んで3メートルほど後ろに下がった。
そして、瞬き一つする時間よりも早く、ルリエルとエリオットが立っていた場所に金属のような塊が落ちた。凄まじい破壊音が響く。ルリエル達の世界ではあれば土埃が立つだろう場面だが、土埃の代わりに灰色の靄が湧き上がった。
今のは、明らかに檻の中にいるルリエル達を狙った攻撃だ。
「というか、な、な、なんかバレていません!?」
あくまで小声でだが、ルリエルが掴みかかる勢いでステッキに迫った。ラ行は綺麗な巻き舌だ。
《ふむ、どうやら侵入が探知されたようですね。しかし、我々の位置の特定まではまだできてないようです》
証拠のように檻の中であちらこちらに同様の攻撃が降ってきている。とりあえず、数打てば当たる作戦のようだ。
再度ルリエル達の近くに攻撃が降ってきて、再び攻撃を避ける。それを何度も繰り返す。
金属のようにも見える円柱は、ルリエルが3人集まって腕を伸ばしてもまだ抱えきれないほどの大きさがある。
広いエリアの中ではあるが、確実に逃げられる場所が少なくなってきている。それに、逃げるのにも体力戦だ。
「……これは想定外の事態ということですね。この場合最適なのは一時撤退と再度作戦の練り直しでしょう。いかがでしょうか、ルリィ」
「うーん、そうですわねえ」
ルリエルは指を顎に当てる仕草をして、唸る。
「そういえばなのですが、脱出する時はどこからしますの?」
《……》
「あの?」
《本来であれば、平行世界間で同じ座標から戻れるはずなのです。しかし、こちら側とあちら側で想定していた位置とのずれが発生しているようでして》
「ええっと、つまり?」
《帰還できる位置を見失ってます。さらにお嬢様に分かりやすく要約すると、戻れません》
ルリエルは、目をひん剥いた。
”魔法少女”という名に適度に相応しくない程度に。
「どっ、どっ、どういうことですの!?」
「ルリィ、麗しい声に小節が効きすぎています。……入ってきた位置と、着地した位置が異なるという現状は理解しました。ズレは前提として、現在の門の位置は分かるのですか?」
《門の位置に我々の魔力の残滓は残っています。再計算し、そこを辿れば高確率で戻れると予測しますがが、どうやら我々の周囲を囲っているこの囲いが探知を阻害しているようです。まずは、この檻の撤去が急務かと思います》
ルリエルは、改めて真上の真っ黒な空を見上げる。
「なるほど。この檻をまず抜けないといけないわけですわね」
ルリエルは次の瞬間、最も少ない呼吸かつ最速で走り、考えられる最端に向かった。確かに辺りには檻のようなものが前面を囲い、かつルリエル達を封じ込めているように見える。
かつ格子に見えるひとつひとつの感覚は狭く、細身のルリエルでも通るのは難しいだろう。
とりあえずステッキの先で触れると、きん、とした高音が静かに響いた。高速で振動している金属同士がぶつかり合うとそのような音がするはずだ。
《……その躊躇いのない試行は流石と言うべきものですが、これは高度の闇魔法が施された檻のようですね》
ステッキの最上部に鎮座した鳥の羽の先をうっすらと焦がし、ステッキは答えた。
「しかし、不用意に行動して、あの魔族に気が付かれるのもまたまずいでしょうね」
エリオットは、頭上にある大きな目玉を一瞥した。
上の魔族さえいなければ、一本一本の格子を切っていけれさえすればいい。もちろん、細剣で魔族の生成物を着ることができるかすら不明だが、それを試してできなかった時の反応が未知数で試すこともできない。
その瞬間、ルリエルとステッキに雷撃が落ちたような衝撃が走った。
視線が合ったという言葉ではドラマティックすぎるかもしれない。だが、比喩的表現ではなく頭上の瞳が初めてきちんとルリエル達を捉えている、ような気がした。
「どうかしましたか?ルリィ」
「今、こちらを……見てる気がしましたわ」
《認識阻害魔法の効能時間も想定とズレているのかもしれません。一刻も早く撤退すべきです》
ルリエルは綺麗なアーチ状の眉を八の字に曲げた。
「エリオット様、心なしか顔色が悪くありません?」
「……やや喉の調子が悪いようですね」
再び喉を抑えるエリオットは明らかに顔色が悪い。艶やかな肌が、周囲の色に近い灰色に近くなってきている。喉の調子が悪いのか声も掠れている。
「ちょ、ステッキさん!殿下が死んでしまいそうじゃありませんの!?」
「……ルリィ、心配はありがたいですが、そんなすぐに死にませんよ」
《この靄が人体に悪影響を及ぼしている可能性があります。この靄も解析に回します。……しかし、時間がありませんね。このまま行くとエリオット殿下への影響が計算できません》
外交法に違反した上で第一王太子殿下を連れて並行世界に連れ出し、さらにそのお身体を危険に晒す……またお家取り壊しへの明確なステップが進んだ。
「と、とりあえず、出られれば良いのでしょう?」
《ええ、そうですね》
「それで、あの魔族から一旦逃れれば良いのでしょう?」
《え、ええ。そうですね》
考え事をするルリエルを見て、つうっと、ステッキに見えない冷や汗が流れた。大体こう言った目が座った時のルリエルの対処方法は力任せになる傾向地が高い。
それは、2年間で大いに学んでいた。
「檻なら、開ければ良いのでしょう」
《はあ》
「ちょっと手先のみ防御魔法を掛けることはできるかしら?イメージはこう、グローブを厚くするような形で」
《部分的に可能です》
「分かりましたわ。エリオット様、待機を」
「承知しました、レディ」
エリオットは何も問わずに、ぴたりとルリエルの後ろに立った。
「では、とりあえず。……水精球!」
ルリエルは、手のひらに魔力を捻出して頭の大きさ程度の水の塊を生成した。
そのまままっすぐと上部に放ち、きょろきょろとしている瞳にぶつけた。その名の通り、魔法で生成した真水だ。瞳に入れば激痛である。
[ア。アアアアアア]
悶える声のようなものが地に響いた。
「次!扉を開けますわ!」
ルリエルは、数本目の前の格子を手で掴むと扉を持ち上げるように押し上げた。ごりごりと骨を削り取るような耳障りの悪い音が頭に響き、ルリエルは眉を顰めた。しかし、手を止めるわけにはいかない。
「パワー!ですわ!」
まるで籠の扉が開くように空間が開いた。モノクロワントーンの世界に、ルリエルの真っ白なスカートがひらめく。真っ暗な絶望の中で瞬く天使の羽のように。
檻は開けるもので、お化粧中に目に水が入ると痛むものですから。




