最後の始まり 修正済み
全てを持って生まれたが故に、何も手に入れることの出来なかった彼は、貪欲に無限にも思える時を戦った。
永く、細い線を重ね合わせて、でもその太い線ですら何も手に入れる事はできず。
白く塗り消した。
そして真っ白になった紙に彼はまた線を書き始める。
今度はもう、辛くないように。私が君の線を書こう。
でもその線を誰が書こうとも
これは霧崎優真の優真譚である。
「お前!何故人間を殺す!」
そんな俺の声も虚しく、巨大な海蛇のような姿をしたリヴァイアサンは海岸にいる人間をオモチャのように潰していく。
すると、その様子を薄ら笑いで眺めていた悪魔は空中で声を荒げた。
「ハッ!あれほど神気取りだった人間様もリヴァイアサンには歯が立たないか!………殺れぇ!!」
悪魔の声に反応したリヴァイアサンは一度海に潜ると、浮上する時の勢いを使って、ビル1つほどある巨体を地上へと乗り上げさせる。
「クソ!!いくぞ!!」
そう叫ぶと、後ろに並んだ仲間が声を上げた。
それはこのバケモノへの恐怖でも、無謀にも見える戦いへの絶望でもない。
この恐怖と絶望を跡形もなく消してやるという、怒りと殺気の込められた叫びだった。
・海星学園 高等部 2年A組
うるさい……。
休み時間は地獄だ。
周りの奴らはイヤホン越しでも聞こえるほど無駄に大声で騒ぎ、俺の平穏を邪魔してくる。
こいつらは騒いでいて楽しいのか?
そんな奴らに対して俺は人生を楽しんでいた。
1人でゲームをする。何と自由なのだろうか。誰とも関係を持たず、つまらない話の話題を作ることも、思ってもいない世辞を言う必要も何も無い。
俺は自由だ。
まあそんな事を考えるよりも今はラスボスのリヴァイアサンを倒さなければならない。
このゲームは表現の仕方が小説みたいで悪くないな。
「いやいや!やっぱり真弓ちゃんだろ!」
「いやいやいや!真弓は可愛いけど時代は美人!ここは茜だな!」
………。
「あー!そのシュシュ可愛い!」
「えー?そう?これテレビで見て作って見たんだけど、失敗しちゃって~!」
「ううん!全然かわいい!私なんて何やっても失敗するからぁ!」
………。
よし、こいつら泣かす。
「霧崎 優真君はいる?」
俺の平穏を邪魔した罪で説教を決意して立ち上がるとほぼ同時に、そんな女の声が聞こえた。
その次の瞬間、さっきまで騒がしかったクラスは突如として静まり返った。
まあ結果的に静かになったのならいい。
「うそ!」
「マジで!?」
椅子に座り直してゲームを再開すると、そんな声がコソコソと聞こえてくる。
ゲームからは目をそらさずに周囲に耳を傾けると、廊下からも何十人もの声が聞こえていた。
なぜ別のクラスの奴が?
……まぁ関係無いか。
「……霧崎優真君、だよね?………あれ?おーいユウマくーん?ユウマさーん!?」
まったく……静かになったと思えばまた面倒事だ。
霧崎 優真。
それは俺の名前だ。
「なんの用で、」
名前を呼ばれたのなら仕方がない。ゲームを置いてイヤホンを外し、目に少しかかった白い髪を揺らしながら声のする右を向いた瞬間。目の前が暗闇に包まれた。
するとその暗闇が理由か、それとも偶然か、教室廊下がまた騒ぎ始めたのだ。しかし今度はいつもとは違い、怒った様な声や悲鳴の様な声を出す者が多かった。
弾力の無いその柔らかさの奥からは低い音が聞こえていた。トクトクと一定のリズムを刻むその音は、音ともに小さな振動も伝えている。
これは鼓動。鼓動?心臓……胸?
ふむ<女>か。
「殺す。」
野太い男の声が聞こえた。
おい何だ?男は他の男が女を触ると嫉妬するのか?自分勝手なやつだ。今俺が胸から顔を離せばどうなると思う。真っ先にビンタだ。頭の位置的には膝蹴りかもしれない。お前らの嫉妬よりも俺の方がよっぽど危険だ。
こういう時はどうすればいい。
にげる?ダメだ、今の状況で逃げればマイナスにしか働かない。
いや、こいつらの勘違いはいい。正直殴られるのも蹴られるのも避ける事もできるし、食らっても痛くもなんとも無い。だがそれによって教員からの信用を失えば俺の学園生活が終わる。
頭を引いてビンタを食らう前に守り、説明する。そして相手の動き次第では人目のないところまで行ってから説明する。これが最善だろう。
そう決めた俺はまずは頭を引いた。
あとは飛んでくる手、もしくは足を見てから防御するだけだ。
「………。」
おかしい。
いかなる攻撃にも対処できるようにと構えていたが、いくら待とうと一向に攻撃されることが無かったのだ。
俺はイスに座ったまま、俺の前に立つ女の顔を見る。
赤い髪にどこかあどけなさの残った顔。俺が顔を埋めていた胸はこの女のだとすぐに分かる豊満な胸。
しかしその女はおかしかった。胸を触られたにもかかわらず、一般的な女のような怒りや恥ずかしがる様子を見せなかったのだ
読めないな………。
「あの……。」
「私の胸は気持ちよかった?」
攻撃しないのなら説明しようとした瞬間に言い放たれたその女の言葉に、いつもは聞こえない時計の針の音が教室に響く。
女の付けているネクタイは赤色。「3年か。」などと考えながら俺は女に声をかける。
「あのー、なにか御用でしょうか?」
優しい笑みを浮かべ、優しい声を出す。
まったく。なぜ同年代に接待モードにならないといけないんだ。
だが今は相手の気を逸らさせる事が優先。
あんな行為、何とか乗り越えなければ本当に俺の生活に平穏が無くなる。
まさか子供の頃、寮母に気に入られるために施設で覚えた接待モードがこんな時に使う事になるとはな。
「………。」
しかし、普段使わない顔の筋肉をいくら使っても返事はなかった。
やはり話をそらしたのはまずかったか?
そんな事を考えていると突然女の顔つきが変わる。
見ようによっては怒りにも見え、ただ威圧する表情で……。
次こそはくるか?と、攻撃に備えていると女は自分のスカートのポケットからクシャクシャになった紙くずを出し、俺の机の上へと転がした。
………嫌がらせか。
よし泣か……いや、さっきの事もあるし下手に出るしかない。
「あのー、これは?」
そう問いかけると女は俺に背を向け、さっき聞いた声とは正反対の無駄に低い声を出した。
「放課後、そこに来っ!ゴホッ!ガハッ!……オェ!」
女は、無理に低い声を出したからか、言葉の途中で激しく咳き込んだ。
一般的な女のする咳じゃない……。
とにかく今は機嫌を悪くさせないために俺は、しゃがみこんで苦しむ女の背中を撫る。
「大丈夫ですか?無理に低い声を出すからですよ。」
すると女は何事も無かったかのように突然立ち上がると、モデルのような澄ました立ち方になった。
そして今度は低い声ではなく初めに聞いた声で「放課後、そこに来て。」と言うと女はまたカッコつけようとでもしているのか、澄ました歩きで教室の扉へと歩いて行き………途中で足がもつれ、床に顔を打ち付けた。
その瞬間。それを見ていた全員がまるで練習していたかのように見て見ぬ振りをした。
「………。」
そして俺もまた、女が立ち上がる前に窓の外に視線を移したのだった。
女が額を撫でながら教室を出た後。
机の上の紙くずを広げるとそこやなは<理かだい2じゅんび室>と書かれていた。
後でクラスの奴らが話しているのを盗み聞いた話だと。あの女は学園一の美人として人気だが、バカとしても有名らしい。