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空にほとんど雲も無く、仄かに月が街を照らしている、静かな夜。
俺の目の前に、二つの光源が迫っていた。
それらが大型トラックのヘッドランプだと気が付いたのは、車体が迫ると同時に、大気を劈くような爆音が、鼓膜を揺らしていたからだろう。
自分の身体に、その何倍もの表面積を持った壁が、凄まじい速度で突進して来る光景が、妙にスローに感じられた。
──死んだな、これ。
頭の中で、昔の思い出が、走馬灯のように流れ出す。
幼稚園、小学校、中学校、中退した高校、それからバイトの日々。
一人の時も多かったが、友達とつるむ事もあった。
彼女が居たことはなかったし、苛められたこともあった。でも、よかったことも確かにあって──もう少し生きられれば、幸福と言えたのかもしれない。
「死にたくねぇなぁ……」
ぽつりと呟いた。
けれど目の前には、圧倒的な死が迫っている。避けられない。
「バイバイ」
最後に自身の死を受け入れ、短か過ぎる辞世の句を口にした、その瞬間。
視界が、意識ごと反転した。
***
「……お前、誰だ?」
気付けば、見知らぬ場所に座って居た。
辺りは、雑多な物で溢れていた。箒に鍬、壺がいくつか、それから物干しにでも使うのか、やたらに長い棒など。
そして目の前では、大型トラックの代わりに現れた、額から一対の角を生やした美少女が、俺をまじまじと見ていた。
……これなんてエロゲ?
「……渡里渡鳥。歳は十七、職業は高校中退して、そっからフリーター」
とりあえず自己紹介してみた。
女の子は表情を変える事なく、不思議そうに首をかしげていた。
「ふりーたー……? 知らない仕事だ」
「自由人、とか言う人もいる」
「自由? 何からの自由なんだ?」
「日々伸し掛かってくる業務とか責務から……かな?」
「それはただの怠け者だ」
ぐうの音も出ない。
「そもそも自由って何だ?」
哲学的だった。
「……わかりません、ごめんなさい」
素直に頭を下げた。
女の子は、更に首をかしげていた。
「俺からも聞いていいかな。まず、ここはどこで、君は誰?」
「ここは私の家の倉庫。私はライラだ」
わーい、情報が満載だー。おかげで疑問が全部氷解しねぇよ。
「……君の家は、どこにあるのかな? とりあえず、都道府県から教えてもらえるとすげー嬉しい」
「トドウフケン……? 食べ物の名前か? 美味しいのか?」
今日中に帰るのは無理と見た。
「お前、なんでここにいる?」
「こっちが聞きてーよ!」
ついに声を荒げた。
夜中食糧の買い出しに出て、信号無視したトラックに轢かれそうになったと思ったら、次はこれと来た。
人生がしょっぱ過ぎる。
「とりあえず、ここではなんだ。家に来い、お茶ぐらいは出す」
「お、おう……」
ひょこひょこと立ち上がり、角の生えた女の子──ライラの後を追った。
***
倉庫を出ると、燦々(さんさん)と太陽光が降り注いでいた。
俺の感覚では、ついさっきまで夜だったはずなのに、完全に昼だった。おかしいにもほどがある。
先程まで居た倉庫は案外小さく、木造で、土蔵を連想させた。倉庫の近くには、火事でもあったのか、焼け焦げた土台があった。
周囲を見ると、視界のほとんどが深い木々に覆われており、あちこちに茂みが出来ていた。
近くからは、ちょろちょろと川の流れる音もした。一部、絶壁に近い崖も見受けられたが、岩石の合間からも植物が生えていた。
ライラの家と倉庫を除くと、周囲に建築物はないようだったが、左右を雑草に囲まれた道があった。道の先に視線を遣ると、はるか先の方で、いくつか家が並んでいるようだった。
植物に見慣れたモノは一つもなく、ここが自分の住処から遥かに離れた場所にあることを、暗示していた。
「どうぞ」
家の中(こちらも木造)に入ると、ライラがコップを差し出して来た。
密封された真っ白い筒を切り取ったような、シンプルなデザインのコップだった。
「頂きます」
俺は、見た事のない文様のカーペットに正座しつつ、コップを受け取った。
口を付けると、紅茶と日本茶の中間のような、不思議な味がした。
「さて。改めて聞くが、お前、なんでここにいる?」
「だから知らんっちゅうに。気付いたら、あんたの家の倉庫に居たんだよ」
「ふむ……たぶん──いや、どう考えてもあれのせいか……」
ライラは顎に手を当て、考えるような仕草を見せた。
「あれって?」
「なんでもない。それより、行く宛てはあるのか?」
「いんや、全然」
言葉だけは通じているようだが、逆に言えば、それ以外は何もわからないのだ。
スマホは家に置いてきたので、GPSや地図アプリも使えないし。
まぁ、ケータイがあった所で、電波が届いていないだろうけど。
「それなら、ここにいるか? 働くなら飯と寝床はやる」
「え、マジで? いいの?」
願ってもない話ではある。
ここがどこかもわからない以上、帰る方法はない。
なら、とりあえずでも、生活を安定させる必要があるのだ。
「ありがたいけど、家族とか文句言うんじゃね?」
「私は一人暮らしだ。結婚もしてないし、親は五年ほど前に、流行病で他界した」
「……失礼」
「気にするな、大丈夫だ」
ライラは特に表情を変えることもなく、お茶をすすっていた。
「けどさ。それにしたって、一人暮らしの若い女の家に男が住み出すって、問題なんじゃねーの?」
ライラの家は狭い。四畳半程度の部屋に、竈やらの台所設備があるだけた。
倉庫には寝るスペースなど無さそうだし、俺が住むとなると、同じ部屋で寝泊まりする事になりそうだが──。
「それも大丈夫だ。見てみろ」
言ってライラは、窓の外を指差した。
立ちあがって覗いてみると、家のすぐ近くに、人一人が入る程度の面積の床に、俺の腰程度の高さを持った簡易的な壁を取り付け、最後に天井として屋根を置いた、シンプルな建築物があった。
正面には入口らしき穴が空いており、どうやら出入りはそこからするらしい。
「つかぬことを伺いますが、あれはひょっとして、動物の部屋では?」
っていうか、どう見ても犬小屋だった。
「うん。昔飼っていた動物の住居だ。広めに作ったから、男一人位余裕で寝られるだろう。好きに使ってくれればいい」
「貴女はひょっとして、女神様……?」
とりあえず生き伸びる事が最重要と判断した。
「いや、鬼だ」
「はい?」
ライラは、自身の額から生えている、角らしきものを指差した。
なぜなのか、その角には、包帯が巻かれていた。
「鬼を知らないのか? 呪術を使い、ヒトから恐れられている存在だ。……ヒトは皆、鬼を知っていると思ってた」
「ジュジュツ?」
今度はこっちの番だ。なにそれおいしいの?
「こういうのだ」
言って、ライラは手の平を上に向けた
「……目前の空に語る。空を占める大気、世界に遍在せし燃える風に。風は火を灯し、火、重なりて炎を為す」
見る間に、ライラの手から火が出て来て、次第に燃え盛る火球となった。
火球は燃え続けながらも、その場にあり続ける。物理法則は完全に無視されていた。
「わかったか?」
「ああ……わけわかんねーことがわかった」
どうやらここは、魔法のような力のあるファンタジー世界で、目の前の美少女はその世界の住人──鬼らしい。
で、俺はそこに超自然的な力で飛ばされており、帰還の方法はわかっておらず、更には彼女と寝食を共にする(ただし寝るのは犬小屋)と来た。
先程の台詞を、もう一度繰り返そう。
……これなんてエロゲ?