【後編】
女性主任は、自分を取り囲む研究員をかき分けるようにして、足早に自分の席に向かった。
伝言用のメモを乱暴に引きちぎり、適当な数列を書きなぐる。さらに、引き出しからナイフを取り出して自分の親指を傷つけた。
一瞬顔をゆがめる女性主任。親指の先に血がにじんだのを確認すると、再び転送装置のところまで来て研究員にスイッチを入れるように指示した。
受信側の転送装置から、無事、女性が出てきた。
ナイフで傷つけた親指を確認する女性。特に変化はない。血がにじんだままだ。小走りで自分の机に駆け寄り、書きなぐったメモを見る。彼女は数列をきちんと覚えていた。
書道の『払い』をしたような血の線が机の天板に付いた。彼女の親指からにじんでいた血であった。
研究員の何名かが女性の様子を心配して背後から話しかけてきた。
その声に振り返り、事情を説明する女性。転送装置を通ってきた以前の自分と全く同じかどうか、不安でならないという。
背後にいた研究員が女性を落ち着かせようとする。「それは構想の初期段階ですでに提起されていた問題で、実験を何度も重ねることによって、問題ないという証明は完了している。しかも主任自ら納得していたのではないか」と。しかし、女性主任の表情は晴れない。
女性研究主任が不安を覚えた原因は、自らが中心になって開発した転送装置の仕組みにあった。
彼女が開発した物質転送装置は、送信側と受信側で構成されている。
送信側に入った物体の構造を素粒子レベルで解析し、受信側にデータを送信。受信側の装置が、その解析データをもとに、物質を組み上げる。同時に送信側に入っていた物体は消去される。
これで、【見かけ上】は物質が転送したのと同じになる。
彼女は、これを『物質の電子化』と名付け、旧世界のファクスやパソコンのデータに例えて持論を展開していた。つまり、文字や画像、音楽データをゼロとイチの二進数に置き換え、転送し、再現する――。
しかし、あくまでも転送は【見かけ上】であって、学者たちの議論に決着はついていなかった。彼女は、いち早くそれを証明したかった。
しかし、いざ自分が被験体になってみると、『今いる自分は本当に自分なのか』という不安に襲われる。
理屈ではない。本能的に不安なのである。『今いる自分はコピーにすぎないのでは』ないかと。しかし、彼女の考えるオリジナルは、もうない。送信装置が消去してしまっている。
(了)
最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。
本作のような掌編ではありませんが、この場をお借りして他の作品も紹介させていただきます。
生体甲殻機 キセナガ
http://ncode.syosetu.com/n6274ce/
ヌエ ~極限状態に生きる人びと~
http://ncode.syosetu.com/n4944ck/
地球外兵装 アルダムラ
http://ncode.syosetu.com/n5807co/
※各URLは『小説家になろう』内の投稿ページに移動します。
拙作で恐縮ですが、少しでもお楽しみいただけましたらうれしく思います。