家族会議
大学の文芸部で発表したものです。
リビングには巨大なシロアリの死骸が横たわっている。
どのくらい巨大かというと、全長は大体三メートルほど。おおよそシロアリと呼べるものの大きさではない。妖怪や化け物の名にふさわしいが、形がこの上なくシロアリのそれをしている。道行く人々に、三メートル級のシロアリを想像してくださいといえは、ほとんどの人の脳裏に浮かび上がるであろうものが、形をなして今僕の目の前にいる。死んでいる。
いつもどおり一番最初に起きた母がそれに目を剥き、続いて起きてきた父が悲鳴をあげて、それに驚いた僕たち兄弟三人が起きてから天を仰いだ。いったいどうしてこんなものがうちのリビングにあるのだろうか。
今日はこれから家族会議だ。
「どうせタクヤが持って帰ってきたんでしょー」
状況が状況なだけに皆が沈黙を守っている中、口火を切ったのは姉だった。
姉は家で何かしら問題が起こると、とりあえず僕か弟のせいにする。僕が高校に入ってからは、その矛先はもっぱら弟に向きがちだ。キッチンで食器が割れていた時も弟のせい、連続ドラマの最終回のみが録画できていなかった時も弟のせい、後生大事に取っておいた姉のデザートがなくなった時も弟のせい、自分の身長の倍はあろうシロアリの死骸がリビングにある時も当然弟のせい。
たちの悪いことに、姉は仮に自分に非があった場合でも、まず弟に罪をなすりつけようとする。後生大事に取っておいたデザートは、前日の夜に姉が寝ぼけて自分で食べてしまっただけだった。
つまり姉の発言には、真実の所在を明らかにする信憑性は皆無と言っていい。いうなれば、運動会の競技種目前に鳴らされる空砲のようなもの。この発言を以て我が家の家族会議は開始されるのだ。姉の声が大きいので、開始直後は気の小さい父がいつも若干ひるんでしまう。父は恐らく、運動会のかけっこの時にも空砲の音でひるんでいたことだろう。
「はぁ? おれじゃねぇし。ざけんなし。意味わからんし。むしろ姉ちゃんのほうが怪しいだし。はぁだし。はぁ?」
負けじと姉に反論する弟。これもまた言ってしまえばいつものパターンだ。弟は仮に自分に非があった場合でも、姉に対して食ってかかる。キッチンで食器を割ったのは弟だった。
冷静に考えてみて、シロアリを持ち込んだのは恐らく二人のどちらでもないだろう。華奢な姉や幼い弟がこのシロアリを持ち運べるとは思えない。そして、僕もまた違う。こんなものを見たのは今朝が初めてだ。そして昨晩寝る前にはこんなものはリビングになかった。僕が寝ている間にこのシロアリは我が家に来たのだ。
残るは父と母の二人だが、そもそも誰かがこれをうちに持ち込んだとするのがはたして正しいのかどうか。無論自然発生したとも考え難いが、夜な夜なせっせと三メートル級のシロアリの死骸をリビングの運びこむ父あるいは母の姿もまたにわかに想像し難い。今は死骸だが、もともと生きていたものだとしたら、父あるいは母が夜の街でこいつと一戦交えたということにもなりかねない。僕が知らないだけで、両親は巨大生物を狩るハンターだったりするのだろうか。
「とにかく、警察に電話しよう。僕たちじゃ手におえないよぅ」
そう言った父の手にはすでに電話の子機が握られていて、番号が11までプッシュされている。戦々恐々とした様子で目は競泳選手の如く泳いでおり、なんとも臆病な父らしい有り様だ。警察を呼ぶことには賛成だが、いったいなんと伝えるつもりなのだろうか。「朝起きたら、三メートルくらいのシロアリの死骸がリビングにありました。助けてください」
詳しい話を聞いたのちにおそらく駆けつけてはくれるだろうが、急行中のパトカーの中で警官たちがどんな話をするのか想像すると可笑しくて仕方がない。イデアリストな警官Aはシロアリに関してあれこれ想像を語り、リアリストな警官Bはどうせ悪戯だと一蹴する。でもと警官Aは食い下がり、幼いころに家の近くの湖でみたモケーレムベンベの話をしだすのだろう。警官Bは馬鹿な事を言ってないで仕事に集中しろと言い、いざ我が家についてみると本当に三メートルのシロアリの死骸が横たわっている。己の世界観が根底から覆されたショックに、警官Bは辞職を決意し自宅で静かに首をくくる。モケーレムベンベと三メートルのシロアリならばどちらのほうが存在しそうだろうか。
傍らにいた母が、父から子機を取り上げた。
「警察なんてやぁよ。こんなもの、世間に知られたら絶対に大ごとになるじゃない。マスコミが家にきて根掘り葉掘り聞いてくるのよ。そんな面倒くさいのはごめんだわ」
テレビカメラや胡散臭い雑誌記者がこぞって家に押し入ってきた中を荒らしまくる。家族全員が取材を受け、全国に顔をさらされてしまう。テレビに映った時にお姉ちゃんの顔が可愛いとかってインターネット上でおかしな人気を博して、それをきっかけにタレントデビューしてしまったり。普段づきあいのない近所の人たちがここぞとばかりに話しかけてきてはみんながシロアリの話を聞きたがったり。道行く小学生たちは我が家を指差し『シロアリ一家』と揶揄し、商魂たくましい企業連は巨大シロアリグッズを大量生産するが、我々のもとには一銭も入ってこなかったり。そんな状況が果たして容認できるのかと母に詰め寄られ、父はすっかり委縮してしまった。姉のタレントデビューは別に良いことなんじゃないのか。
母の言には姉も弟も異を唱えないため、警察は呼ばない方向で固まりそうだ。正直言いたいことは山ほどあるが、母と張り合うのはそれこそ面倒くさいので僕も黙っていることにした。
「て言うかさー、お腹空いたんだけど。今何時よ」
七時半である。確かに普段ならば家族全員で食卓を囲んでいる時間だが、それどころじゃないだろう。しかし不平を洩らした姉に同調し「それもそうね」と言いながら母はキッチンへ向かおうとしている。女性とは斯くも豪胆なものか。
「お、おいおい。このままにしておくつもりか」
さらに狼狽する父。「そうだしそうだし!」と弟。キッチンに立つ母。食卓に着く姉。静観する僕。なんだこの家族は。会議にすらなっていない。
「うるさいわね。要はこんなもの、最初からなかったことにすればいい話でしょ」
母は包丁を携えて再びリビングに戻ってきた。刃に反射した光に一瞬たじろぐ父。
最初からなかったことにする。このシロアリを見たのが僕たち家族だけである以上、ものさえなくなってしまえばあとは口外しないだけでその存在はなかったことにできるかもしれない。仮に口外したところで、実物を見ない者が三メートル級のシロアリなど信じるわけもない。だがしかし、現にあるから今こうして困っているわけで。
すると母は、おもむろに包丁をシロアリの胴部分に突き立てた。そしてゆっくりと刃を滑らせていき、手頃な大きさの肉塊を切り出した。出血はない。包丁がすんなりと入っていったことから、外殻はそれほど硬くないらしい。むしろ、外殻と呼べるほどのものを纏っていなかったのかもしれない。肉はきれいなピンク色をしていて程よくサシも入っている。ぱっと見は上質な牛肉のようで、不覚にも少しおいしそうだと思ってしまった。ここにきてこいつが大きさだけでなく、中身までシロアリなのかどうか怪しくなってきた。
「あら、案外イケそうじゃない」
母は今度はそれを何枚かにおろしはじめた。父と弟は母の暴挙をただ呆然と見ている。姉はスマートフォンを弄っている。
フライパンにバターを引き、シロアリ肉に塩胡椒をふる。トースターに食パンを入れつつ食器を用意し、シロアリ肉をフライパンに投入した。慣れた手つきで母は朝食の準備を進めていく。扱われている食材以外は、いつもの朝の光景だ。
肉の焼ける芳醇な香りが部屋いっぱいに広がる。朝から嗅ぐには些かオモい気もするが、育ち盛りの僕や弟は垂涎を余儀なくされる。
「ほら、できたわよ」
食卓にならんだのは人数分のバタートースト、サラダ、スクランブルエッグ、ホットミルク、そしてシロアリのステーキ。脂のたっぷり乗ったシロアリ肉がてらてらと輝き、香ばしい湯気を立てている。見た目は完全に牛ロースだ。個人的にはポン酢でいただきたい。
しかし背後には一部解体されたこの肉のソースたるシロアリの死骸が仰臥している。箸をつける気になんてとてもじゃないがなれない。屠殺場の映像を見てお肉が食べられなくなるのとはわけが違う。肉質はどうであれ、元は虫、虫なんだ。
「いただきまーす」
迷わずかぶりついたのは姉。続く母。つくづく我が家の女性陣は剛毅なようだ。父と弟は露骨に引いてる。僕も引いてる。
「ん~、なにこれおいしー。すっごくジューシー。こんなお肉初めて!」
「まぁ、ほんとね。おいしいわ。いくらでも食べちゃいそう。幸い材料自体はいくらでもあるしね」
「やだー、太っちゃうー」
あっという間に二人はシロアリのステーキを平らげてしまった。さらに母はあろうことかキッチンで二枚目を焼き始めたのだ。シロアリをおかわりするのもどうかと思うし、こんなカロリーの高そうな肉を朝から二枚も食べるというのはどうなんだ。
「どうかしてるし。正気じゃねぇし。母ちゃんも姉ちゃんもおかしいし」
「なによタクヤー。なにがおかしいっていうのよ」
「だってアリだし。虫だし。虫の肉バクバク食うとかぜってぇ無理だし」
「そんなことないでしょー。昨日やってた旅番組でもアフリカかどこかの国でイモ虫を食べてたじゃない。虫を食べること自体おかしなことじゃないはずよー」
「そういう問題じゃねぇし!」
どうあっても弟は食べる気はないらしい。シロアリには手をつけず、トーストとサラダだけを食べている。父と僕も同様だ。それを見た姉は、僕ら三人の皿を取り上げ、三人分のシロアリを食べ始めた。本当に太るぞ。
理屈では姉の言い分もわからないではない。しかし感情面でどうしても虫の肉を拒絶してしまう。日本にはあまり虫を食べる文化が浸透していないのだから。
もし仮にこの三メートル級のシロアリが珍しいものでも何でもなく、世界中で見られるような生き物だったなら、養殖され、一般家庭の食卓に並んでいたことだろう。母と姉の反応を見る限り相当美味しいもののようだし、高級食材として重宝されるかもしれない。だが事実として、社会一般でシロアリと言えば全長二、三ミリメートル程度の小さな虫であり、食べるものではないのだ。
二人はシロアリ肉をたいそう気に入ったようだ。生ものである以上、置いておけばいつかは腐ってしまう。これから数日は、常にシロアリ肉料理が並ぶことになるのだろう。そうなると、父や弟や僕も、いずれは手をつけることになるかもしれない。その味の虜になるかもしれない。
おそらく世界で唯一、我が家の中だけで確立される食文化。屍骸が巨大であるとはいえ、直に果てが見えてくる有限の食文化。とてもやっかいだ。
あとでこの肉をその筋の研究所に持って行ってみよう。我が家の中だけでとどめておくのは、いささか大きすぎる。