救い
「ここって、茜ちゃんの家?」
「んーん、空き屋だよ。今は」
空き屋、そうだろうね。家の中には家具も何も置いて無くて、人が住んでるとは思えない。
何も置いていない部屋は天井も床もすごく広く感じられて、どこか寂しい雰囲気を出している。
「ほら、座って座って! ここだったら落ち着いて話せるよ」
茜ちゃんはそう言って床に腰を下ろした。多分ここはリビング、空き屋にしては不自然なくらい綺麗で床には埃が溜まっている様子も無い。なんとなく違和感を感じる家だ。
「う、うん」
「あはは、変だと思うよねこんな所。綺麗なのは私がたまに来て掃除してるからだよ。私、昔ここに住んでたんだ」
部屋の中を見回す茜さんは、思い出に浸っているように見えた。
「そうなんだ……」
「うん、ここはね、お父さんとお母さんと私の三人で暮らしてた家なの。本当は中に入っているのを見つかると怒られちゃうんだけど、たまにならいいよね……」
「今は引っ越したの?」
「うーん、それはその……いいか、私だけ夕貴ちゃんの秘密知っちゃったし私の秘密も教えちゃおう。ここまで連れてきちゃったのは私だし」
茜ちゃんは立ち上がり僕の後ろに移動すると、僕の背中に自分の背中を預ける様に座りなおした。
「私、今はお母さんと別の所で二人で暮らしているの。最初に言っておきたいのは、私は今幸せだってこと。これからするのは昔の話。私が自分を騙し続けた、ちっちゃい頃の話」
騙し続けた、というフレーズに心が動いた。
茜ちゃんの過去にあった事は、僕の様に大変な事なんだろうか。いつも明るい茜ちゃんが、そんな過去を持っているなんて、想像できない。
「私のお父さんはすごく厳しい人でね、家のお手伝いとか学校の成績とかいつもがんばりなさい、いい子になりなさいって言ってる人だった。でもそれ自体は全然普通の事だよね、親だったら誰でも言う事。お父さん自身も真面目な人で、子供に言うだけはあるなぁっていう誠実な人だったんだ。だから私は頑張ったよ、いい子でいよう。お父さんに褒められる様になるんだって」
茜さんがするのはちょっとだけ厳しいお父さんがいる普通の家庭の話。
「お父さんは細かくやるべき事を教えてくれた。まずはこれ、できたら次はこれをやりなさいって感じにね。私は要領が良い方だったからすぐにできるようになったよ。でも、小学六年生になった時、お父さんが……いなくなっちゃった」
いなくなった? 多分、亡くなってしまったのだろう。背中に感じる茜さんの震えが悲しいことがあったことを物語っている。
「そしたらさぁ、私気付いちゃったんだ。私っていう人間の中身の無さに。小さい頃から自分のやりたい事をやらないで、自分を騙してまでお父さんの言う事だけを聞いてきた私には本当の自分って言うのが分からなくなっていたんだよ。『お父さんの言う通りに何でもできる、完璧な娘』それが私のアイデンティティだったのに、そのお父さんがいなくなっちゃって、私は崩壊した」
「自分を騙してまでお父さんの事を聞いていたの? なんで?」
「うん、だってそっちの方が楽だったから。自分で考えて自分で行動するより、お父さんに任せた方が楽だったから。まぁ始めの方はただお父さんに怒られるのが怖かっただけだけど、小学生の高学年にもなると段々変わって来ちゃうんだよねぇ。アハハ」
天井を仰ぎ見ると茜さんと頭がぶつかった。茜さんもまた何もない天井を見つめていたんだ。
「……なんで僕にそんな話をしてくれたの?」
「ん~、だって夕貴ちゃん、私に似てるなぁって思ったから」
「似てるって、僕と茜さんが?」
「うん、自分を騙し続けた私と、他人を騙そうとした夕貴ちゃん。騙す相手が違くても、苦しい気持ちは同じかなぁって。アハハ、図々しくてごめんね。私には夕貴ちゃんの本当の苦しみなんて分からないんだけどさ……私も助けられたから」
「助けられた?」
「うん、お母さんにね、言われたんだ。「お父さんがいなくてもあなたは大丈夫、私が傍にいるよ」ってね。それを聞いたら私なんか凄く楽になっちゃって、自然と思えたんだ。私もお母さんを守らなくちゃって。それが、今の私の原動力。今私が笑って泣いていられるのも全部、お母さんのおかげなんだ。だから目の前で苦しんでる夕貴ちゃんを見ていたら、なんか昔の自分を見てるみたいで放っておけなかったの。今度は私が助ける番だって思っちゃって」
「そっか……ありがとう茜ちゃん」
茜さんの真っ直ぐな好意が嬉しかった。
嘘をついている苦しさを知っている僕が花音ちゃんの嘘を止めたように、嘘をついてしまった苦しみを知っている茜ちゃんは僕を救おうとしてくれた。
少なくともここに、女装の僕を許してくれる人がいる。それだけで僕の苦しみは少しだけ和らいだ気がする。
「や、でもごめんね。やっぱり男の子だと思うとあんまり触れなくって……女の子同士だったらここでギューとかしてあげるんだけど、夕貴ちゃんにはこれが限界」
背中を合わせた状態のまま、手を握られる。
「ううん、ありがとう。僕も救われた思いだよ」
本当はまだ、色んな苦しみが残っているけど……。
「本当に!? よかった~! 私でも助けになれた」
一人でも味方になってくれる友達ができて、それだけで今は心強かった。
「ねぇ、茜さんは誰が黒板に書いたのか見てたりしてない?」
皆に嫌われるとかよりも、今一番気になるのはこの事だ。信用できる人にしかこの事は聞けない。
「へ? あ、うーん。見て無いなぁ。朝教室に入ったらもう書いてあって皆ざわざわしてた感じ。でも一番怪しい人なら竜宮寺さんじゃないかな? ずっと黒板の前にいたみたいだし、なんか反応も他の人とは違ってたよね」
「花音さんじゃ無い!!」
「ご、ごめん。私も竜宮寺さんだって決めつけてる訳じゃないよ、でも状況的にさ。……うん、でも竜宮寺さんが夕貴ちゃんと一番仲良かったもんね」
つい怒鳴ってしまった僕を落ち着かせる様に茜さんがフォローを入れてくれる。
「……うん」
花音さんが犯人な訳が無い。確かに彼女は僕の事を怒ってると思うけど、優しい彼女が僕の秘密をあんな風にバラすなんて考えられない、考えたくない。
「ん~、じゃあそろそろ移動しようか。あんまり長くいると見つかっちゃうかも知れないし」
「うん。でもどこに行くの?」
「じゃあ、今度こそ遊びに行っちゃおうか!」
「え、いや、それは……」
確かに学校を出てすぐよりは気持ちも落ち着いて、茜ちゃんにも共感を覚えている。でも今は遊ぶ気になんてなれない。
「遊ぶ気にはなれないって?」
「うん……」
「心が落ち込んでる時、さらに落ち込ませちゃうのは自分なんだよ。うん、経験者は語る」
名言っぽいことを言った茜さんは照れて手をブンブン振っていた。
「だから遊びに行こう。楽しめなくてもいいんだよ、今は一人にならないことが一番大事! ……んにゃー! 私恥ずかしい? なんか一人で青春真っ只中なセリフを連発しちゃってるんだけど」
「そ、そんなこと無いよ」
「あ~! 夕貴ちゃんちょっと笑ってるでしょ!? ひどいよ、夕貴ちゃんのために恥を忍んで言ってるのにさぁ」
頬を膨らませてソッポを向く茜ちゃんは可愛らしかった。
初めて話した時に少し怖い印象を受けたけど、僕の勘違いだったみたいだ。
「ごめんね」
「許しません!」
そう言って顔を見合わせた僕達は、どちらかと言うでもなく微笑みあった。
「じゃあ、行こうか!」
「え? でもどこに?」
「ん~とりあえずカラオケかな? なんか思いっきり歌いたい気分!」
「ふふ、歌うのが好きなんだね。でも僕聞き役専門だから茜ちゃんずっと歌っててね?」
「任せといて! 八時間分はレパートリーあるから!」
どんと来い、といった様子で胸を叩く茜さんは可笑しかった。
僕達は駅前まで戻ってカラオケを楽しんだ。二時間でカラオケから出て後はゲームセンターとか喫茶店で時間を潰したんだけど「歌い足りない」との事でまたカラオケに戻った。本当に八時間分くらい歌える曲があるんだろうなと茜さんの姿を見ていると想像できた。
そして今はもう夕方だ、今日一日を過ごせたのは茜さんのおかげだと思う。あのまま学校に居ても僕は何をしていいか分からなかった。
「もう帰らないとね、お母さんが心配するし。夕貴ちゃんももう落ち着いたでしょ?」
茜さんが駅前の時計を見上げて言う。
「……明日からどうしたらいいのかな?」
「悩む時は相談して! 私もいるし夕貴ちゃんには頼りになる妹さんもいるでしょ?」
「う、うん……」
――それはほんのちょっとのノイズみたいな違和感だった。ざらついていて耳に残る。
「なぁに? 私が頼りにならないとでも? ウリウリ~」
茜さんが肘で脇腹を小突いてくる。僕のために明るく振る舞う彼女はやっぱり優しい。
「いや、大丈夫。帰ろっか」
「うん、また明日ね」
「茜さん、ありがとう」
「ふふ、どうしたの急に」
「いや、そう言えばまだお礼を言って無かったなぁって。学校まで休ませちゃったし」
「気にしないでいいよ、じゃあまた明日!」
小さい子供の様に手を振りあって僕と茜さんは別れた。一人で乗る電車はなんか少し寂しい感じがした。
まだ完結ではないですが評価、お気に入りをお願いします(´;ω;`)
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