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日常

作者: 宇野午葉

「また電気点けっぱなしで寝てるし」


完全に独り言だった。

壁を向いてベッドに横になっている夫が返事をしないのは分かっているから。


結婚して6年。

起きていようが、寝ていようが、夫は私の言葉を聞き流す。

私の話を、窓を叩く風の音くらいにしか思っていないからだ。


無意識にため息が漏れた。

明かりを小さな電球だけにして、ベッドに腰掛ける。

オレンジ色の薄明かりに浮かぶ、夫の後頭部が目に付いた。

床屋に行ってきたばかりであろう、綺麗に整えられた襟足を見ていると、何故だか無性に腹が立ってくる。


ぺちっ


感情のままに夫の頭を叩いたが、なんの反応もない。

なんだか悲しくなった。

こんなに近くに居るのに、手を伸ばせば触れる事が出来るのに、心が感じられない。


「ねぇ。私達、いつからこんな風になってしまったの?」


私の小さな呟きに、夫の返事はない。

無視?

いいや。

そもそもここに居るのは、本当に私の夫なのだろうか?

もしかしてここに横たわって居るのは、夫の形をした人形なのではないか?

一緒に居ても、暖かさも心も感じない。

ここに在るのは、ただの物。

きっと、そうに違いない。


私はベッドに潜り込むと、そっと夫の背中に体を寄せた。

抱き枕だと思えば、ベッドも狭く感じない。

そう思っていたが、じんわりと伝わる温かさが思いのほか心地よく、ここに居る夫の存在を改めて認識させる。


こんなに温かかったんだ・・・


夫を後ろから抱きしめるように、遠慮がちに手を前にまわす。

すると、夫は当たり前のように自分の腕を少し浮かせ、収まりがいいように、私の腕を脇に軽く挟む。

私の手が夫の胸元までくると、夫の手がこれまた当たり前のようにそれに重なった。

そのまま夫は、指と指を絡ませ、私のの手を握る。

昔、寝る時によくそうしていたように。


夫がしたのは、たったそれだけ。

たったそれだけで、何故か私の目から涙が溢れた。


「何泣いてるんだ」


やっと夫が口を開いた。


「泣いてないわよ」


鼻をすすりながら、私は応える。


「鼻水、背中につけるなよ」


「つけてないわよ!」


「へぇ」


夫が体を反転させた。

向かい合う形になると、ギュッと抱きしめられた。


「な、なに?」


息苦しいほど、キツく抱きしめられて動揺した。


「おまえこそ、なんだよ。いきなり人の頭を叩いただろ?」


「なによ。起きてたなら、ちょっとくらいリアクションしなさいよ・・・」


・・・淋しいじゃない。


「起きてるよ」


「え?」


「いつも起きてる。ウトウトしてても、お前が寝室に入って来れば目が覚める。お前がベッドに入ってきて、イビキかいて寝るまで、俺も安心して深く眠れないから」


「イビキなんてしてないし」


「してるって。お前のイビキは、トイレまで聞こえてるよ」


夫が私の顔を覗き込みながら、クスクスと笑う。

こんなに近くで夫の笑顔を見るのは、いつ以来だろう?

久しぶりに見る夫の笑顔が眩し過ぎて、私は夫の胸に顔をうずめる。


「どうした?」


私の髪を撫でながら夫が尋ねる。


「淋しい」


一言、そう答えた。


「なんで?俺が側に居るじゃん」


夫は心底意外そうな声を発した。


「一緒に住んでいるのに、あなたの温もりも心も感じられないの」


ギュッと夫にしがみつく。


「温もり?こんなにくっついてるのに寒いの?」


「そうじゃなくて、私が話しかけてもロクに返事もしてくれないし、いつも背中向けて寝てるし、一緒に居ても空気みたいに扱われてるような気がして・・・私、もっと・・・わたし、は・・・」


「泣くなよ」


震える私の背中を、夫が優しく擦る。

私の中で堪えていた何かが、涙と共に溢れ出した。

みっともないとわかっていながらも、子供のように声をあげて泣くのを止められない。


「子供は居ないけど俺は今の生活でもいいと思ってるのに、お前はそうじゃないんだ」


「子供の話じゃないわ。あなたにとって私なんかどうでもいいのかって話よ」


「どおでもいいって、そんなこと思ってないよ」


夫の大きな手が、涙で汚れた私の頬に触れる。


「俺、お前が側に居るのが当たり前だと思ってた。毎朝アイロンのかけられたシャツに袖を通して、俺が好きな甘めの卵焼きが入った弁当を持って会社に行って、仕事から帰ってきら温かいご飯があって、寝る時にはお前のイビキが聞こえて」


「私、イビキしてないし」


涙声で反論した私を、夫は鼻で笑った。


「とにかく、そんな普段の何気ない時に、お前がいつも側に居てくれてるんだなぁって思うんだよ。それが当たり前になってた。だからさ、口には出さないけどいつも感謝してる」


「そういうの口に出してくれなきゃ、伝わらないし。まぁ、日常会話もろくに無いくらいだから仕方ないのかもね」


夫がそんな風に思っていてくれて嬉しいのに、私はわざと不機嫌な口調で言う。


「ごめん。これからはちゃんと言うよ」


 ”いつもありがとう、珠樹”


耳元で囁かれた言葉に、心が暖かくなるのを感じた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 妻が夫の頭を叩くところは思わず笑ってしまいました。夫の手のひらで妻の心が転がされているような感じがしていいですね。 [気になる点] 悪い点ではないけれど、最後に妻が憎まれ愚痴を言わず、子ど…
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