センデグ山の肉屋と熊
ほら、北の方にセンデグ山ってのがあるだろう、たいして高い山でもないのに始終てっぺんのところに雲がかかっていて、西の方にだだっ広い平原が広がっている山だ。あそこの麓にあるちっぽけな町での話なんだがな、その町の外れにひとりの肉屋が店を構えていた。近くの猟師たちから山鳥やら猪やらをあればあるだけ買い取って捌いて売って、季節によっちゃあ隣町への卸しもやるしで、それなりに商才もあったらしくてな、たった一人で切り盛りしてた割りにゃあ、結構繁盛していたんだ。それというのも、獲物が少ない時期でも、なぜだかそいつの店の棚先にゃあ腐ってもいない鳥肉やら獣肉やらが並んでいたからでな、その辺りの家じゃ食肉用の家畜といやあせいぜい鶏ぐらいしか飼っていなかったんで、そりゃああちこちで重宝されたもんさ。それにはこの男だけの秘密があってだな、そいつの店は町の外れにあって、すぐ裏手から山の森に続いていたんだが、実はその男、山に自分だけの秘密の場所を持っていやがったんだ。それは他に誰も知るもんのない小さな風穴でな、暑い盛りだろうと何だろうと、一年中通してずっとひんやりしてるんで、そいつは冬の間に奥の方に雪を固めておいて、獲物が余っている時にそのでっかい雪の塊の中に肉を突っ込んでおいて、つららみたいにカチンコチンに凍らせちまってたんだ。そうすりゃ肉は腐らせずに取っておけるし、いつでも好きな時に取り出せるって寸法なのさ。この上手いやり方は自分でもなかなか利口だと思ったそいつは、猟師のやつらにもその場所は絶対に秘密にしてな、誰にも見付からないようにあれこれ工夫してがっちり隠して、どこにあるのか分からないようにしたんだ。
かみさんも子供もなくて、愛想も悪い男だったが、商売は順調で、それなりにまぁいい暮らしをしていた。ところがこいつにはひとつ困った癖があってな、これがまた実に困った癖なんだ。こっそり人を殺して、その肉を売るのさ。この悪い癖を覚えたのは、或る晩矮人どもが墓荒らしをしているところにたまたま出っくわして、おどかして追い払った時のことだな。後には掘り起こされた真新しい屍体と、自分だけ。夜中の墓場だ、他に誰も見ちゃいないってのがどうもまずかったのかね、そいつはふっと、人の肉ってのがどんな感じがするもんなのか知りたくって、掘り返された墓穴を元通りに埋めた後、その屍体を店に持って帰っちまったんだ。なに、別に自分で食いたかったわけじゃない、人の肉を切るってのを試してみたかったんだ。だが一旦味をしめてしまうと、それは一度じゃ終わらなくなっちまった。そいつは時々ふさぎの虫にとりつかれることがあったんだが、そんな時には商売にもあんまり身が入らず、いちんちじゅうぼうっとしていることが多かった。そこへたまたま町に流れもんの乞食*か旅芸人か行商人がやって来たとするわな、するてぇとそいつは相手の用があらかた片付いた頃を見計らって、人寂しい独りもんだから酒の相伴をしてくれとか何とか言って誘い出してな、人に見られないようにして家へ連れて帰るんだ。そして厠に行こうとする相手を騙して屠殺場に連れ込んで、後ろから肉包丁を振り下ろすって段取りさ。背中の筋をざっくり一撃、外したことは一度もないってんだからたいしたもんさ。大抵はもう何も言わずにバタリといくんだが、なに、ちっとばかり悲鳴が洩れたって構やしない、隣の家までは離れてるし、音が大きかったと思ったら、後で「いや、ゆんべの雄鶏の野郎、絞める時にずいぶん暴れやがってな」とでも言っとけば、疑うやつなんかいやしない。血の跡が散らばってたって、元々が血だらけの仕事場だ、ちっともおかしなことなんかありゃしない。一人旅のよそ者なら、あの人はどこ行ったの、なんて言い出すやつも出て来やしない。殺した後は、服や荷物やなんかは夜の明けないうちに森の底なし沼に沈めちまえば問題ないし、屍体の方は、例の風穴までむしろ《、、、》隠して担いでいって、そこに他の獲物と一緒に隠しておくのさ。それで折りを見て少しずつ肉を切り取っては、他の肉と混ぜ合わせて何食わぬ顔で売っちまう。やってみるとこれが意外とばれないもんでな、これが何年もなんねんも続いた。
さて、早くに雪が降り始めた年の、冬の初めのことだ。そいつはいつものように一人もんの巡礼者を殺して、余計なものを沼に沈めてしまうと、屍体をむしろ《、、、》にくるんで風穴まで担いで行った。その日は夕方から雪が降っていたんだが、そん時にゃあもう膝のところまで雪が積もってたんでな、そいつはなるべく足跡が残らないような道を選んで、どうか朝まで降り続いてくれますようにと口ん中で唱えながら、真っ暗な人気のない寂しい山ん中を、えっちらおっちら登って行った。ざく、ざく、ざく、ざく。
と、風穴の前まで来て、そいつは何か様子がおかしいことに気が付いた。そいつのものじゃない、別の足跡が、風穴の中から山のもっと上の方へと何度も行ったり来たりしているのが、真深い雪の上にはっきりと残っていたんだ。近くに寄ってもっとよくその足跡を見て、男はいやあな気持ちになった。そして恐るおそる風穴の入口のところまで進み出て、かすかな月明かりを頼りにジッとその中に目をこらして、息を殺した。一匹のでっかい熊が、穴の奥で体を円くして眠っていた。その辺りじゃ珍しい赤毛熊でな、周りには食い散らかされた骨が転がっていたところを見ると、食い物はあるし身を隠すのにはもってこいだしで、冬を越すのにちょうどいいと思ったんだろうな、男がせっかく溜め込んでおいた肉をすっかり平らげて、そこに巣を構えやがってたんだ。
肉屋をやってるだけあって、その男は肝が据わっていて、腕っぷしにも自信があった。屍体をバラバラにするためのでっかくて切れ味のいい肉包丁も持ってきていた。そいつは恐いと思うよりもカーッと頭に血がのぼっちまって、何とかそのふてぇ面した熊公をぶっ殺すなり追い出すなりしてやろうと肚を決めた。冬眠の途中で目を覚ました赤毛熊ってもんがどれだけ危ないもんか、よく知ってはいたんだが、まだ時期が早かったので本格的に冬眠に入るのはまだ先のことだろうし、肉をたらふく食って今は腹いっぱい、動きも鈍くなっていやがるだろうと当たりをつけた。そこでそいつは、担いでいた屍体を囮にすることにした。
男は屍体を静かに穴の入口ん前に座らせると、手頃な石を幾つか拾って、熊めがけて力いっぱいに投げ付けた。熊がもぞもぞとゆっくり起き出したのを見て取ると、男はそれッとばかりに穴の入口の上によじ登って、熊が出て来るのを待ち構えた。出て来たところを上からおどりかかって、人を殺す時の要領で背中からざっくりやるつもりだったんだ。熊がのそりと外へ出て来た。男はその背中めがけてえいやっと跳び下りた。
ところがここで思わぬ読み違いが起きちまった。風穴の前はずっしり重い熊の野郎が何度も行ったり来たりしたせいで固く踏みしめられていたんだが、その上に屍体の血が、いったんは止まってたのに、変なふうな姿勢になったせいでまた流れ出して来たやつがこぼれ落ちていたんだ。おかげで地面が氷みたいに凍っちまってたんだな、熊が足を滑らせてひょいっとよろめいた。男の狙いは外れて、肉包丁は熊の肩に深々と突き刺さって抜けなくなった。深手だが致命傷じゃあない。怒り狂った赤毛熊はそのばかでかい爪の一撃で男をなぎ払った。頭の後ろんとこをざっくりやられたそいつは少しばかりふらふら歩いて行ったが、そのまま近くの崖から落っこちて、あわれ、うず高く積もった雪の下。人っこひとりいない山ん中だし、雪はその上からどんどん降って来るしで、誰も見付けてやるものがいない。町じゃあしばらく人の噂になったりもしたが、結局そいつは行方知らずってことになった。なにせ風穴のことも人殺しのことも、町の連中は何ひとつ知っちゃあいなかったんだからな。
ええ、それじゃあこの話を誰から聞いたっていうのか? そりゃあ、その夜の一部始終を見物した後、熊のおこぼれで屍体の残りをきれいさっぱり片付けた連中からさ。センデグ山を根城にしてるカラスどもだよ。春先の或る気持ちのいい明け方に、分厚い雪の層の下を流れる雪解け水に押されて姿を現した男を見付けたのもあいつらさ。全身に氷のつぶつぶが宝石みたいにキラキラ貼り付いててな、そりゃあきれいだったって話だ。
*この単語を不適切と判断される場合は、「××」で代用のこと。