捨てられた幸運の種
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
王都から離れた街道を一台の馬車が走っています。車輪が石を跳ね上げる音だけが周囲に響き、車内は静まり返っていました。私は窓の外に流れる見慣れた景色を眺めながら、これまで過ごしてきた日々に思いを馳せていました。
私はエミリアという名前です。アストリア侯爵家の次女として生まれ、何不自由ない暮らしを約束されていたはずでした。しかし、今の私は家族から見捨てられ、婚約者からも見放され、隣国へと追放される身です。
事の始まりは、私の姉であるステラが学園で流した根も葉もない噂でした。姉は美しく社交的でしたが、自分より目立つ存在を許せませんでした。彼女は友人たちに、私がいかに我がままで、家族を困らせているかを涙ながらに語りました。学園の人々は、聖女のような微笑みを浮かべる姉の言葉を疑うことなく信じ、私はいつしか学園で誰からも声をかけられない存在になっていました。
家でも私の居場所はありませんでした。末の妹であるメイが、私が自分をいじめていると両親に嘘を吐いたからです。メイは幼く可愛らしい容姿を利用して、両親の同情を引くのが上手でした。私がどれだけ否定しても、両親はメイの涙を信じ、私を冷たい目で見下ろしました。食事の席でも私だけが無視され、まるでそこにいないかのような扱いを受ける日々が続きました。
しかし、彼らは一つだけ大きな間違いを犯していました。
私は幼い頃、不思議な夢を見たことがあります。白く光り輝く空間で、顔の見えない誰かが私にこう言いました。
お前に幸運を分け与える力を授けよう。お前が慈しみ、守りたいと願う範囲に、絶え間ない幸福をもたらすギフトだ。
目が覚めたとき、私は自分が特別な力を持っていることを確信しました。私はその力の範囲を、自分を虐げる家族ではなく、領地で懸命に生きる領民たちに設定しました。
私が領地を訪れるたびに、枯れかけていた畑には豊かな実りがもたらされ、病に伏せっていた人々は奇跡的に回復しました。侯爵家が莫大な富を得て、王国内でも有数の裕福な家系となったのは、すべて私のギフトがもたらした恩恵でした。父も母も、自分たちの経営手腕が優れているからだと信じ込んでいましたが、それは大きな勘違いだったのです。
そんな私に最後の一撃を加えたのは、婚約者である第一王子のカイル様でした。
学園の講堂に呼び出された私は、大勢の生徒が見守る中で彼から冷酷な宣告を受けました。
「エミリア、お前のような陰湿で妹をいじめるような女は、王妃にふさわしくない。本日をもって婚約を破棄する。
私は、心優しきステラを新たな婚約者として迎えることにした。」
姉のステラはカイル様の隣で勝ち誇ったような笑みを浮かべていました。周囲からは嘲笑の声が漏れ、私はその場に立ち尽くすしかありませんでした。
両親は婚約破棄の知らせを聞くと、私を家の恥さらしだと罵りました。そして、厄介払いをするかのように、隣国に住む母方の祖父母の元へ養子に出すことを決めたのです。
「お前のような不吉な娘がこの家にいては、せっかくの幸運が逃げてしまう。二度とこの国の地を踏むな。」
父の冷たい言葉を最後に、私は屋敷を追い出されました。
馬車が国境を越えようとしたその瞬間、私は静かに目をつむりました。そして、心の中で唱えました。
ギフトの範囲を解除します。
これまでアストリア侯爵領とこの国を包み込んでいた私の幸運の加護を、すべて取り払いました。私を愛さず、利用するだけ利用して捨てた場所を、これ以上守る理由はどこにもありません。
国境を越え、隣国であるガルディア帝国に入ると、空気の質が変わったような気がしました。
祖父母が住む屋敷に到着すると、二人は私を温かく迎え入れてくれました。母の親である公爵夫妻は、私の話を静かに聞き、深くため息をつきました。
「よく頑張ったね、エミリア。あんな愚かな連中のことは忘れなさい。これからは私たちの孫娘として、この国で自由に生きるがいい。」
祖父の大きな手が私の頭を優しく撫でてくれました。その温かさに、これまで張り詰めていた心の糸がぷつりと切れ、私は人目をはばからず泣きました。
私は新しい家で、ギフトの範囲を自分自身の周囲と、この公爵領全体に設定し直しました。
すると、すぐに変化が現れました。公爵領では新種の鉱石が次々と発見され、農作物の収穫量は例年の三倍を超えました。領民たちは活気に溢れ、街には笑顔が絶えなくなりました。
私自身も、これまでの沈んだ表情が嘘のように明るくなりました。本来の美しさを取り戻した私は、帝国の社交界でも注目される存在となりました。しかし、私は権力や地位にはもう興味がありませんでした。ただ、私を大切にしてくれる人たちのために力を使いたい、そう願うようになっていました。
一方で、私が去った母国では、異変が起き始めていました。
アストリア侯爵領では、私が去った直後から凶作が続きました。昨日まで青々と茂っていた麦は一夜にして枯れ果て、豊かな水源だった川は干上がりました。
侯爵家の蔵に眠っていた金貨は、投資の失敗や相次ぐ事故によって、砂がこぼれ落ちるように消えていきました。
父は必死になって領地の立て直しを図りましたが、何をやっても裏目に出ました。優秀だった使用人たちは次々と去っていき、領民たちの不満は爆発寸前でした。
学園でも異変は続いていました。新しく婚約者となったステラは、私のギフトによる加護がなくなったことで、その化けの皮が剥がれ始めていました。彼女が主催する茶会では必ず天候が荒れ、用意した菓子には虫が混じるといった不可解な出来事が頻繁に起こるようになりました。
さらに、妹のメイも、私がいないことで誰を悪者にすればいいのか分からなくなり、今度は姉であるステラを攻撃し始めました。家の中は罵り合いと泣き声が絶えない地獄絵図と化していました。
カイル王子もまた、不運に見舞われていました。彼が関わる公務はすべて失敗に終わり、王室内での評価は急落しました。隣国との貿易交渉は決裂し、国境付近では魔物の大量発生が報告されるようになりました。
かつて私が無意識に抑え込んでいた災厄が、加護を失ったことで一気に噴出したのです。
一年が過ぎた頃、帝国の私の元へ、母国からの使者がやってきました。
現れたのは、かつての婚約者であるカイル王子と、みすぼらしい姿になった父でした。二人の顔には余裕など微塵もなく、ただ縋るような必死さだけが漂っていました。
「エミリア、頼む、戻ってきてくれ。君がいなくなってから、我が家も国も無茶苦茶だ。君の力が必要なんだ。」
父は私の足元に膝をつき、涙を流して訴えました。カイル王子もまた、かつての傲慢な態度はどこへやら、消え入りそうな声で言いました。
「私が間違っていた。ステラは偽物だったんだ。本当に王妃にふさわしいのは君だけだ。婚約破棄は撤回する。だから一緒に帰ろう。」
私は彼らを冷めた目で見つめました。
「お断りいたします。」
私の言葉に、二人は絶望の表情を浮かべました。
私はあの日、すべてを捨てました。あなたたちが私に与えたのは、孤独と蔑みだけでした。私が持っていたギフトは、私を愛してくれる人のために使うものです。あなたたちには、もう一滴の幸運も分かち合うつもりはありません。
私は祖父母と共に、彼らを屋敷から追い出しました。
彼らがその後どうなったか、私は詳しく知りません。ただ、アストリア侯爵家は多額の借金を抱えて没落し、ステラとメイは場末の酒場で働いているという噂を聞きました。カイル王子も王位継承権を剥奪され、辺境の地へ送られたそうです。
今の私は、帝国の第二皇子であるリュカ様と穏やかな日々を過ごしています。
リュカ様は、私がギフトを持っているからではなく、私という人間そのものを愛してくれました。私が過去の傷に怯えているときも、彼は黙って隣にいてくれました。
「エミリア、君がそこにいてくれるだけで、僕は世界で一番幸せだよ。」
彼の言葉は、かつて夢の中で聞いた誰かの言葉よりも、ずっと私の心に響きました。
私は今、ギフトの範囲をこの国全体と、私の愛するすべての人々に広げています。
帝国はかつてないほどの繁栄を極め、平和な時代が続いています。空はどこまでも青く、大地は豊かな恵みを約束してくれます。
私は窓の外に広がる美しい景色を見つめながら、リュカ様の手を握りしめました。
かつての私は、ただ幸運を運ぶための道具でしかありませんでした。でも今は違います。私は自分の意志で、大切な人たちと共に幸せを築いていくことができます。
あの日、私を捨てた人たちが今どこで何を思っているのか、私には分かりません。でも、一つだけ確かなことがあります。
幸運とは、与えられるものではなく、互いを思いやる心の中に宿るものだということです。
私はこれからも、この温かな光を絶やすことなく、愛する人たちと共に歩んでいくつもりです。
遠い日の夢で見たあの光が、今も私の心の中で優しく輝き続けています。
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