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私が貴方を殺すまで

作者: ひよこ1号
掲載日:2026/04/03

殴られた。

頬にじわりと広がる痛みと、口の中の鉄の味。

後頭部にも痛みが広がる。

どうやら殴られて壁に激突したらしい。

その衝撃ショックで私は前世を思い出した。

目の前の男は私の夫で、日常的に暴力を振るっているクソ野郎だ。

DV男が夫だなんて、運が悪い……いや、運が悪いのはこの世界に生れ落ちてしまった事。


私は伯爵家の長女で、しっかり者と言われていた。

実務管理能力も高く、父や兄の補佐を熟してきたのだ。

ユスティーナ・ズ・スヴォボダ。

おっと、それは旧姓だ。

今はユスティーナ・ズ・ヴァルドシュテイン侯爵夫人である。

令嬢だった頃は、兄のアルノシュトが家を継ぐと決まっていたものの、代替スペアとしての教育をされていて。

妹のミラダはただただ、可愛い可愛いと育てられた。

そんな彼女が同じ派閥で格上の、ヴァルドシュテイン侯爵と恋に落ちたのである。

見た目が美しく黒髪に銀の瞳のカジミールは、社交界でも人気が高かった。


だが、ある噂を聞いたミラダは、先方から婚約の打診があった時は有頂天になって「お姉様より先に素敵な相手と結婚する事になってしまって御免なさい」だなんて殊勝な言葉で自慢してきたのに、急に婚約を止めたいと泣き叫んだ。

社交界では表向き、前妻を事故で亡くした不憫な侯爵で通っていたが、黒い噂もあった。

前妻は事故でなく、暴力で亡くなったのだ、という噂。


「嫌よ、怖いですわ!お父様、この婚約を取りやめてくださいませ!」

「だが、恋人関係になっていたではないか。お前が積極的に……」

「だって知らなかったのですもの!!」


ギャンギャン喚くミラダをアルノシュトが宥める。


「同じ派閥の方との同盟だ。婚約を失くす事は出来ないんだよ、ミラダ」

「……だったら、お姉様にお譲りいたしますわ!」


伯爵とアルノシュトは、それだ、という顔をしてユスティーナを見た。

完全な生贄である。

妹の不始末だが、父と兄は妹の方を可愛がっているのだから、ここでユスティーナが何を言っても無理だった。

同派閥内での抗争になってしまえば、立場の弱い伯爵家が潰される。


「お前にかかっている。ユスティーナ」

「先方もお前のように優秀な長女を差し出せば、快く受け止めてくださるだろう」


涙を流して嫌がっていたミラダを抱きしめたアルノシュトと、もう逆らうことは出来ないとばかりに決定事項を伝えて来る父である伯爵に見つめられて、ユスティーナは頷いて引き受けた。


「畏まりました」


自分の馬鹿。

私は過去のユスティーナを思い出しながら、自分を責めた。


ついでに、暫く経って「噂は嘘かもしれない」と思い直したのか、「素敵な婚約者を譲って差し上げたんだから、感謝してくださいませね」と言ってきたミラダを思い出して、助走をつけて殴りたくなった。

何なら今でも殴りたい。


ともあれ、噂は本当だ。

嫁いで暫くは、紳士的で優しかったカジミールだったが、ある時使用人への暴力を見てしまった。

どうでもいい些細な事で。

呼んでも来るのが遅い、とか、そんな理由だけで。

目の前で行われる暴力に、ユスティーナは固まってしまった。

けれど、生来真面目な彼女は、次に同じように暴力を振るおうとしたカジミールから使用人を庇おうと身を呈して、怪我をしてしまったのだ。

そこで、彼の暴力が始まった。

一度その線を踏み越えてしまえば、あとは容易い。

義父母もそんな息子を止めない。

どころか、彼らも使用人に対しては同じように横暴に振る舞っているのだ。


そして今。


記憶が、戻った。

前世で死んだ理由は、友人を友人のDV夫の暴力から助ける為だったのである。

何て巡り合わせだ、と絶望した。

私は余程暴力というものに好かれているらしい。


友達のミナコは共依存に陥って、離れたり元に戻ったりを繰り返していた。

自分の心を守る為に、彼を庇う事すら。

そんなミナコに愛想を尽かして、友人達は一人また一人と離れて行った。

でも、私は離れる事が出来なかったのだ。


私が中学生だった時に、親から暴力を受けていて。

外に逃げ出すしかなかった時に、彼女だけが私に寄り添ってくれたから。

温かい食べ物をくれた。

優しく抱きしめてくれた。


「大丈夫だよ」


と言ってくれた。

何も大丈夫じゃないのに。


後から友人に、でもそれって何もしてくれてないよね、と辛辣な言葉を言われた。

確かに公的機関を頼って自力で逃げ出したけれど、その気力をくれたのは彼女の優しさだ。

何も根拠のない「大丈夫」でも私の心の中にきちんと響いた。

温かい食べ物が活力になり、ぬくもりに愛を感じたから戦えたのだ。

暴力というものは人を簡単に壊す。

壊された人間にしか、救われるという温かさが分からない。

きっと想像出来ないんだ。


共依存する彼女はもう、壊れていたんだから離れたくても離れられない。

いくら馬鹿だと思っても、どれだけ手をつくしても。

物理的な距離をあけさせないと駄目だったから、私は。

それで死ぬなんて馬鹿だと思うけど、そう思われるかもしれないけど、あいつが捕まれば彼女はきっと立ち直れる。

立ち直ってくれたらいい。

私のした事に価値はあった。



そして、目の前のお前。

お前は許さん。


私は頬を押さえて、静かに見上げた。


「何だ、その生意気な目は……!」


第二撃を振り上げているカジミールに告げる。


「また、事故で妻を亡くしとうございますか」


その問いかけに、ぎくりと身体を震わせて、振り上げた拳が止まった。

鍛えた男が力任せに殴れば、あっけなく女性は死んでしまう事だってある。


「それとも自死をお望みでございましょうか?」


暴力を苦に自殺などされては、侯爵家の名誉に関わる。

そして、前妻の『事故』だってほじくり返されかねないのだ。

静かな脅迫に、彼の顔色は悪くなる。

カジミールは薄い唇を震わせて、拳を下ろすと踵を返した。

カツカツと靴音を踏み鳴らして去って行く。


「奥様、大丈夫でございますか」

「奥様っ」


涙を浮かべた使用人達に助け起こされて、私は立ち上がる。


「ええ、大丈夫よ。貴方達にも苦労をかけるわね」

「そんな……今まで、ただ、暴力を振るわれるだけでした」

「お、奥様のような高貴でお優しい方が、我々を守ってくださるなんて……」

「もう、庇わないで下さい奥様」

「我々は丈夫ですから、このままだと奥様が死なれてしまいます」


わらわらと集まってきて、口々に言う使用人達に私は苦笑を漏らした。

彼らの顔にも痣や切り傷がある。

私の見えない所で、カジミールからの暴力は続いているのだ。


「……子供が出来れば、暴力は収まるのかしら?」


何気ない呟き。

だが、使用人達は困ったような怯えたような顔をした。

不思議に思っていると、従僕の一人が意を決したように言う。


「あいつは、種無しです」


彼らの様子から察した。

全員が怯えた様に目を見交わしているのだ。

使用人達による復讐。

私は仲間がいる事に、にっこりと微笑んだ。


「あらそう。それなら話は早いわね」



三日後の夜会は、顔に出来た痣を隠さないまま出席した。

大量に粉を叩けば、隠れるような痣だったけど、様子を見たかったのだ。

社交界で『夫の暴力』というものが、どんな意味を持つのか。

前世で読んだふわふわな世界観のファンタジーでは、高位貴族やら騎士様やらが助けてくれるのだ。


結果からいうと、そんなものは無かった。


騎士道精神とか、それに通じる紳士教育とかどうなってんの???

って思うけど、この世界は史実に近い世界だったのだ、残念。


騎士様が守るのは高潔な女性。

はい、そこに平民や人妻は含まれていません。

糞か???

弱者ぞ???

それは女性が家の物であり、夫の所有物だからだ。

もし、大っぴらに助けたりすれば、不倫を疑われる。

決闘になるし、家同士の争いにも発展しかねない。


騎士道精神(仮)はとても都合が良いものなんですね。


社交界の人達のご意見は、こう。


「傷を負わせるなんて野蛮な……」


うむ?

そうそう、そうだよね!


「もっと円滑スマートにやれ」


はああ?


つまり彼らの価値観では、夫が妻に暴力を振るうのは躾の一環だから構わない。

でも傷は見えない所につけろ、もしくは隠し通せ、という事である。

そんな常識知りたくなかった。

お婆ちゃんの知恵袋だとしても嫌だ。


ぐぬぬ。


そして、ここで出てくるのが実家との力関係です。

もし実家がその娘を大事に大事にしてたら、取り返しに来てくれる。

持参金だって引き揚げる。

なんなら、私闘フェードという自力救済が認められていたので、騎士を引き連れて無理に奪還する事も出来れば、裁判も行えたのだ。


うちは無理。

分かっているけど、兄と父に近づいてみる。

彼らは私の顔を見てぎょっとしたように固まった。

妹にいたっては、何という事でしょう。


「わたくし、結婚しなくて良かったですわあ」


でしょうね。

お前が押しつけたんだよ、このビッチが。


「あら?何か勘違いをしているの?これは転んだだけでしてよ。でもお父様、お兄様、これが名誉を汚す怪我だった場合は助けてくださいますの?」


私の問いかけに、父と兄はもごもごとする。

漸く、兄のアルノシュトが苦々しく言った。


「何も、出来ん。分かるだろう?」

「自分で、対処できるだろう?お前は優秀なのだから」


父も兄の言葉に同調する。


うん、分かってました。

お前らこれが、ミラダだったら抗議するよね?

取り返すまでいかなくても、抑止の為の交渉は絶対するし、何なら脅す位はするよねえ???

私の為には指一本動かすつもりは無いってか。

よおく、分かった。

お前らも敵だ。


「そうよ、お姉様は優秀なのですもの。ふふ。転ぶなんて鈍間なお姉様」


お前も絶対許さんぞ。


私は心の中で呪いつつも美しい礼を執った。



次に出来る行動は、敵対派閥の人々に頼る事。

家庭内暴力は他家が立ち入ってはいけない、家庭のこと。

でも、敵対勢力として突くには格好の餌にはなる。

保護を申し出るって形で、身柄を確保する事で奪う事が出来るのね。

でも。


「ああ、痛ましい事だ」

「是非、お助けしたいのだが、それには土産が必要になるんだ」

「君は愛人になる覚悟は出来ているのかな?」


敵対派閥の糞野郎達がニヤニヤと下品な笑みを浮かべる。

はい、メリットがないと動かないやつ。

これはもし、実家の影響があれば、簡単だった筈だ。

伯爵家は優良株だから、敵対派閥に寝返らせることが出来るなら、それだけで大きなメリットとなったのだから。

でも残念ながら、私の背後には何もない。

スッカスカ。

だから、私という資産を切り売りする事になる。

何て理不尽だ。

幸い私は美しい。

愛人として囲い込む代わりに保護してあげる、という事である。

お前ら死刑。

女性を何だと思っているんだ。


「ああ、でも、愛人になるだけじゃ足りないな……何か弱味を持ってきてくれないと」

「書類とか、帳簿の不正があれば言う事はないな」


ハハハ、と彼らが笑う。

一人ずつ、頭の中で処した。

私は穏やかな、困った笑みを浮かべて、淑女の礼を執ってその場を去る。

交渉決裂。

身売りなんてしたら意味がない。

下手したら弄ばれた挙句に、用済みになって消されるのがオチだ。



敵対派閥と話していたのを見咎めて、カジミールが凄い形相でこちらを見た後で、足早に近づいてきた。

家だったら確実に殴られている。

あれから、彼の暴力は少しだけ収まった。

と言っても、咄嗟の暴力は止まらない。

衝動が制御できないから。

でも、追加攻撃がキャンセルされるようになったのだ。

格ゲーのダウン攻撃とか派手で私は好きだったな、なんて関係ない事を思い出す。

追加攻撃もダウン攻撃も、生身で受けるのは御免だけど。


「何を、話していた」

「申し訳ありません、あなた。……その、愛人にならないかと誘われておりましたの。勿論お断り致しましたけれど。それに、あの事は喋っておりませんわ」


『あの事』って言葉、便利だよね。

後ろ暗い事が多い男は、どれ!?と混乱する。

中でも最悪の想像をしたようで、夫の顔は強張った。

私は笑顔で追い打ちをかける。


「家の名誉に関わるような事は口に出せませんわ。わたくしは貴方の妻でございますもの」


今はね。

まだね。


私の微笑みに彼が何を見たのかは分からない。

脅迫か、保身か、それとも愛か。

だけどそんなものは私にとってはどうでもいい。


「わたくしこの後少し教会に用がございますの。貴方は自由にしてらして」


微笑んで膝を折って、一人で教会へ向かう。

最後に確認したかった。

この世界の女性は、神に守られるのか、否か。



教会は通常日没と共に門戸が閉ざされる。

辺鄙な場所では、閉ざされて夜明けまで開けられることはない。

けれど王都の教会は違う。

侍女に門戸を叩かせて見守る。

暫くして、若い修道士が慌てた様に門を開けてくれた。


「夫の暴力について、ご相談したいの」


そう言えば、彼は困ったような顔で、教会の中へと連れて行ってくれた。


「エリクと申します。わたくしでも相談はお聞きいたしますが、神父様をお呼びしましょうか?」

「ええ、お願い。その後で、貴方に話を聞いて頂いても?」

「はい、勿論です」


若い修道士のエリクは、静かに歩き去った。

そして彼の後ろから、豪華な法衣を身に着けた神父が、でっぷりとした身体を揺らしながら出て来る。


「夜も更けているが…夜会の後ですかな?夫の暴力と仰られますか」

「ええ、その通りです。もし助けを求めた場合、教会は保護して下さるのかお聞きしたくて」


首を傾げると、ふむ、と神父は値踏みするようにみた。


「ヴァルドシュテイン侯爵は、神の恩恵を受けるに値する人物です」


寄付を沢山しているらしい。

要するに金払いが良いって事ですね。

だから、彼の罪は無いと言いたげだ。


「それに、婚姻とは神聖なものであり、妻は夫に従わねばならない。忍耐と献身が神の教えです」


そんな教え、糞くらえだ。


「夫に従い、あなたの愛と祈りで彼の荒んだ心を溶かしなさい」


溶かして良いなら心じゃなく丸ごと全身溶かして、排水溝に流したいです。

笑顔の神父の言葉はもう完全に、夫に逆らうな、さっさと帰れ、である。


聖域権アジールは無い、という事でございましょうか」


私の問いかけに、汚い笑顔のまま神父は数瞬固まる。

そして鷹揚に返した。


「いいや、ありますが……一時的な保護は出来ましても、神の認めた貴方の夫がいらっしゃれば、お返しせざるを得ませんな。何しろ立派な御仁であらせられる。彼が手を上げるとするならば、貴方の不徳が彼を苛立たせるのでしょう」


被害者にも悪いところあるよね?どころか、被害者のお前が悪い、ときたもんだ。

何だこいつ、本当に神の僕なの??


「祈るのです、祈って耐えなさい、娘よ」

「神父様の御言葉を胸に刻みますわ。ですが……夫に余計な心配をおかけするのは本意ではございませんので、神への喜捨は後日改めまして……本日はお教えに従って夫の元へ帰ります」


要するに寄付するから黙ってろという口止め。

別に言われても良いけど、変な噂になるのは面倒なので。

お金の話が大好物の神父は笑顔で満足げに頷いた。


お前も絶対許さんぞ。


私は心に誓って控えめな笑顔を落としてから、背を向けた。

困った様に見守っていたエリクに付き添われて、入り口の近くで彼が申し訳なさそうに言う。


「直接の反論は出来ませんでしたが……暴力は魂を汚す罪でございます」


私もそう思う。

初めて真面な人が現れた事に私は希望の光を見た気がした。

権力も無く、反論が出来なかったとしても。

正しい人がいるという事は、心強い灯台になる。

だって、救う価値のない世の中なんて嫌だもの。


「耐えよと司祭様は仰ったが…それは主の御心ではありません。あなたが壊れてしまう前に、何とかしなければ」


真摯な目を見つめて思った。

彼に、これ以上の手出しをさせてはいけない。

権力の無い者が、権力のある者に逆らうのは、無謀だ。

正しい人を死なせてはいけない。

彼女を救えた(かもしれない)私の死は無駄じゃなかったと思うけれど、今彼が貴族の争いに踏み込んだら、踏みつぶされるだけである。


「いつか貴方の崇高な志を体現して頂く時が参ります。どうか、お仲間と結束なさってその時に備えてくださいませ。貴方は神の慈悲を正しく知る方でございます」


私が言うと、彼はハッとしたように瞠目した。

彼には彼にしか出来ない事が、ある。

教会に身を捧げる訳にはいかない私には、出来ない分野だ。


「無理はなさいませんよう。……教会の扉はいつでも開いております」

「ええ。後日また、ご相談に参ります」


正直、正しくない組織なんていらない。

神だのなんだの言ってるけど、その慈悲を民へ届けない屑共は不要どころか害悪だし、寄生虫だ。

いつか、正しい者の手に渡る様に、私は準備する。


教会の保護は絶対だ。

王権とはまた別の法則があるから、本気で助かりたい女性は修道女になるという手が残されている。

ただし、一生そこから出られない。

その代わり、全ての権力から守られる聖域として機能するのだ。


でも私は、そんな事はしない。

美味しい物を食べて、楽しい事をしたいという理由もあるが、自分だけ助かればいいと思えないからだ。

誰かがやらなければ、これから何人もの人が追い詰められるだろう。

だって、この世界には弱い物を救う仕組みが、ほぼ無い。

だったら、作るしかないじゃない?



私の決意から、数か月が経った。

相変わらず夫の暴力は治らないが、殴りそうな兆候を見つけたら事前に声に出す事である程度制御は出来る。

だが、使用人までは庇い切れていない。


ただ、見かけたら「あなた」と声をかけるだけで、舌打ちして去って行くようにはなった。

だから、その度に私は彼らの怪我の手当てをして、薬代を支給する。

侯爵夫人から『経費の無駄づかい』と言われはしたものの、私が『前妻の件、もしも使用人の暴力の噂が立ってしまったら、大変でございますもの。必要経費でございましてよ』といえば静かになった。

一応、体面を守ってくれる嫁として重宝がられている。


そんなある日。

使用人の伝手を借りて産婆に子供の判定をして貰ったところ、子供が出来ていると分かった。

勿論、夫の子供ではない。

カジミールの髪と目の色によく似た使用人の子供だ。

使用人達の手を借りて、義父母にも夫にも内緒で定期的に関係を持った。


「皆様にお伝えしたい事がございますの」


私が言うと、義父母と夫は目を丸くした。

勿体ぶりながら、私はお腹に手を添えて微笑んだ。

侯爵夫人が、驚愕の顔で私を見る。


「まさか……貴女……」

「ええ、お義母様。カジミール様の御子が宿りましたの」

「でかした!でかしたぞ!良くやったカジミール」

「俺の……子供……!」


こういう時に何故か男が褒められるのってね。

まあいいけど。

これで、彼の暴力に対する盾が出来たのである。

勿論、わざと流されるような真似はしない。

自分の身体を傷つけるつもりは無いし、赤ちゃんだって生きているのだ。


社交界ではあの後も、何度か怪我を隠さないまま出席して、健気な妻を演じておいた。


「わたくしが至らないせいでございますの」

「夫の指導でございますわ」


暴力は否定せずに、受け入れている控えめな妻を演じたのだ。

実際に、以前よりは暴力も減っていたし、衝動的に振るう時以外はある程度制御出来たのだが、子供はもっと凄い。

子供じゃなくて、義父母が鉄壁の盾になり始めたのである。


彼が激高する度に「お腹が……」と言いながら痛くも無いお腹を押さえるだけで、義父がすっ飛んで来て夫を組み伏せる。

義母が、私の目の前に立って庇ったり、抱きしめて夫を睨む。

しまいには『我が家の大事な跡取りを殺しかねんお前は領地に行くがいい!』とまで言うようになった。


はい、完全勝利。


だから、次は使用人に暴力を振るっていても、私は泣き真似をした。


「お腹が……赤ちゃんに暴力を見せるなんて……」


はらはらと涙を流して廊下に蹲れば、義父母が飛んで来て叱りつける。

使用人はにっこり。

私もにっこり。


子供はまだ目も存在していないが、胎教に悪いのは本当だ。


そして、膨らみ始めたお腹を夫に撫でさせて、生命が宿っているという事を覚えさせる。


「貴方の子でございますよ。……きっと可愛らしい子が生まれますわ。でも、子供はか弱いものでございますから、大事に大事にしないとすぐ流れてしまいますの」

「そうですわよ。カジミール、今までよりももっと大事になさい」


最初からそう教育しておけよ。

笑顔のまま私は心の中で突っ込みを入れた。


演奏者ピアニストを呼んで、綺麗な曲を演奏して貰ったり、物語を夫に読んでもらったり。

私が優しく微笑み、穏やかに接する事で彼の行動が改善されていく。

でもね、治りはしないの。

衝動は何時だってある。

でもなるべく解け難い呪いを私はかけているのだ。



社交界でも、カジミールは私に優しくする事で、自分の評価が上がったと感じただろう。

彼はその味に酔いしれていた。

令嬢達の羨望の眼差しと、夫人達の優しい頷き。

母親達は令嬢に言っていた。

『ああいう素敵な男性を結婚相手に選びなさい』

選んだら死ぬけどね、と私は心の中で言う。

母親達は令息に言っていた。

『彼を見習いなさい』

見習ったらぶちのめすぞ、と私は心の中で拳を振るう。

耳に心地の良い誉め言葉で、カジミールは益々私を大事に扱うようになった。


「無理をしてはいけないよ。君は私だけの宝物ではないのだから」

「まあ……ありがとう存じます、あなた」


私が微笑みながら、その腕の中に身体を預ければ、彼は陶酔したように微笑み返す。

痣も何もない、着飾った私は美しい。

その美しい妻の微笑みを一心に受け、眼差しを独占し、周囲からの羨望の視線を受ける。

さぞ、気持ちの良い事でしょうね。


「我が光、ユスティーナ。君の微笑みが、かつての愚かな私をどれほど救ってくれたか。皆の前で誓おう、私の命と剣は、永遠に君と我が子のためにあると」


貴方の子供じゃないけれど。

何百回目になるかしれない心の中のツッコミ。

調子に乗った彼の言葉に、見て見ぬ振りをしていた社交界は喝さいを送る。

これぞ美談だ。

暴力的だった男が、妻の愛で改心する。

そして、二人は満たされ愛し合う。


そんな訳ないのに。

人は見たいものだけを見るのが好きだから。

過去の醜聞スキャンダルもあっさりと忘れる。

いや、違うかな?

醜聞も美談も大好きなだけかもしれない。


そしてそんな私達に父と兄は満足して微笑み、妹は悔し気な顔をする。

きっと今更、私の夫だったのに、と心の中で臍を嚙んでいるだろう。

暴力さえなければ、見た目も財産も最高の男ですからね。


でも、許す気は、ミリも無いけど。


暴力は、治らない病気だ。

前世であれば、適切な治療を専門家が行うことで緩和したり、治ったりする事もあるかもしれない。

でも、ここでは無理だ。

不利だと思わせて、行動を縛ってはいるけれど、それもコップの水が溢れるように一回でも決壊すれば同じ。

だから、子供が生まれるまで安全にするために、義父母にも同じ呪いをかける。


「お義父様、お義母様、いつも気遣ってくださってありがとう存じます。あの方がこんなに優しくなられたのも、お二人の立派な教えでございましょう」


実際に、盾になってくれているし。

義父母は満足げに顔を綻ばせて微笑んだ。

きっと彼らはこう思っている。


自分達の教育は間違っていなかった、と。

彼が私への愛で正しい道に戻れたのだという幻想を抱いて。



月が満ちて、子供が生まれた。

夫の色を受け継いだ見た目に、義両親と夫は狂喜乱舞したのである。

私も安心した。


これで心置きなく、夫を殺せる。



いつか連載でその後を書く予定です。ユスティーナが暴力から女性や弱者を守る仕組みを作っていく話。今回調べて驚いたのは騎士道についてでした。とっても夢見てたので悲しい。レディーファーストの俗説は知ってましたが色々と面白いですね。

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― 新着の感想 ―
とてもよかったです。ユスティーナさんの今後の活躍も読みたいです。
最後の一行が余韻を残して秀逸。
使用人たちが子供ができなくなる薬を飲ませた? まあ、使用人たちが結託すれば、どんな薬も飲ませられそう 飼い犬に手を噛まれるとは言いますが、噛む犬にもそれ相応の理由があるよね
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