……うん、自分でも分からないよ……
「……その、ほんとにごめんね瀬那くん。その、僕のせいで……」
「おいおい、もう何回目だよそれ。流石に、耳に胼胝が出来ちまうよ」
「……う、うん、ごめん……」
それから、数日経た放課後のこと。
帰り道にて、たどたどしく謝意を述べる僕に呆れたような微笑で答える瀬那くん。……まあ、それはそうだよね。瀬那くんの言うように、もううんざりするほど聞かされちゃってるわけだし。
もしかしたら、本当に瀬那くんが訴えられて――そんな恐怖がずっと胸中を巡っていたし、今だってこの胸を締め付けている。自身の行動を省みた上で、訴える方が危険が高い――今のところ彼女からの訴えがないのは、恐らくはそのように判断してのことだと思うけれど……それでも、油断はならない。僕のためとはいえ、瀬那くんが晴香さんに暴力を振るってしまったのは事実。なので……もしも、彼女がなりふり構わず訴えるようなことがあれば、多少なりとも瀬那くんが罪に問われる可能性も――
だけど……もしもそんなことになったら、流石に僕も黙ってない。クラスメイトの、校内の、世間の知るところとなっても構わない。瀬那くんのためになることなら僕はなんだって話すし、なんだってする。それこそ、代わりに僕がその罪を負い刑務所に入ることだって……なんて、きっとどれだけ願ってもそればかりは無理なんだろうな。
……ところで、それはそれとして――
「……ねえ、瀬那くん。今までずっと聞きたかったんだけど……なんで、ここまでしてくれるの? 野球部を辞めたのも、僕のためなんだよね? 僕の記憶が間違ってたら本当に申し訳ないんだけど……確か、三年生になるまで話したこともなかったと思うんだけど」
そう、おずおずと尋ねてみる。……そう、今までずっと疑問に思っていたこと。どうして、僕のためにここまでしてくれるのかということ。卒然、野球部を辞めるという衝撃の行動――今なら、その理由が分かる。あのような状況になることを、晴香さんの情報を得る過程で彼自身が想定していたから。そして、そうなった際に拳を抑えられる自信がなかったから。
だから、そうなる前に野球部を辞めた。どういう事情があったとしても、野球部員という立場で暴力を振るってしまえば部としても処分は避けられない。時期を考慮しても、ほどなく始まる夏の大会はほぼ間違いなく出場停止になるから。もちろん、チームの主力かつキャプテンとしての責任を――それも、大会間近のこの時期に放棄するというのは責任感の強い瀬那くんにとって相当な苦痛だったと思うし、きっと今も苦しんでいる。それなのに……それでも、瀬那くんは僕を選んでくれたんだ。
……まあ、それでもやっぱり馬鹿だけどね。それで回避できるのは、あくまで野球部への影響だけ。繰り返しになるけど、瀬那くん自身が何かしらの処分を受けないという話ではないのだから。……だけど、仮にそうなったら何があっても僕が――
「……いや、間違っちゃいねえよ。三年に――今年同じクラスになるまで、たぶん俺らは言葉を交わしたことはない。それでも……俺は、お前に救われたんだ」
「…………へっ?」
すると、思いも寄らない返答が届く。……僕に、救われた? えっと、どゆこと? だって、瀬那くん自身も言ったように、僕らは三年生になるまで言葉を交わしたことすら――
「……そうだな、言葉を交わしたことはないけど――視線を交わしたことならある。覚えてるか? 初めて会った時のこと」
「……うん、覚えてるよ」
「……それが、どんな状況だったかも?」
「……うん、覚えてるよ」
すると、戸惑う僕に続けて話す瀬那くん。僕らの認識が一致しているかは定かでないけれど……それでも、恐らくあれで間違いないとは思う。大通りにて、数多の人達の中に紛れながらも少しだけ瀬那くんと目が合ったあの時のことで。そして、その時に起きていたのが――
「……キス、されそうになってたよね。一緒にいた女子生徒から」
「……ああ、それで――俺が、拒絶した。あいつとは友達……いや、友達だった、の方が正確か。ともかく、ただの友達でそれ以上の感情はなかった。まあ、人によって価値観は違うんだろうが……でも、俺はそんな相手とキスとか無理だったから。そしたら……まあ、あのザマだよ」
躊躇いつつそう口にすると、淡く微笑み答える瀬那くん。……そう、瀬那くんはあの時、一緒にいた女子生徒にキスされそうになっていた。そして、瀬那くんは拒絶した。
すると、瀬那くんにキスを拒絶された女子生徒は不意に声を上げて泣き始めた。頑張って勇気を出したのに酷い――そのようなことを、ひたすら瀬那くんに言い続けた。あるいは、周囲に聞かせるように。
すると、周囲の人達は瀬那くんへ次々と非難を口にし始めた。女の子を傷つけるなんて、男として最低だとかなんとか。そして、口にこそしていないものの、明確に非難の目を向けていた人達も数多いて。……でも、今でも思う。なんで、瀬那くんがあんな目に――
「……まあ、分かってたけどな。男が女を拒否ったらああなるだろうことくらい。まあ、誰が何と言おうとどうでもいいとは思ってたが……けど、やっぱあの状況はキツかった。……それで、そん時にふと目が合ったのがお前だよ、逢糸。他のヤツらと全く違う目をしていた、お前とな」
「…………へっ?」
「……お前を見たのは、あの時が初めてだった。……まあ、同じ学校で同じ学年なんだしどっかで目にはしてたんだろうが、まともに認識はしてなかった。
……けど、それでもはっきり分かった。お前が、俺に同情してくれていることが。俺のために、心を痛めてくれていることが。何の言葉もなく、たった少し目が合っただけ――それでも、俺は泣きそうになった。分かってくれるヤツがいるって、そう思えた。俺は、お前に救われたんだ」
「……瀬那、くん」
そう、暖かな笑顔で告げる瀬那くん。そんな彼の言葉に、僕が泣きそうになってしまう。……そっか、そんなことで――
「……だから、だいぶ遅くなったけど……ほんとにありがとな、逢糸」
「……瀬那、くん。……ううん、僕の方こそ本当にありがとう、瀬那くん」
「……ったく、だからなんでお前が礼を言うんだよ」
すると、涙を浮かべ――最後には、呆れたようた笑顔で告げる瀬那くん。……でも、僕としては当然で。だって……僕が瀬那くんの救いになっていたのなら、こんなにも嬉しいことなんてあるはずないのだから。
「……あの、瀬那くん。その、瀬那くんは僕のためにここまでしてくれたのに……それでも、僕は……」
その後、ややあってたどたどしくそう口にする。ここまでしてもらって、本当に申し訳ないことこの上ないのだけれど……やっぱり、僕は彼をきっとそういうふうには好きになれない。尤も、明確な根拠があるわけじゃないけど……それでも、少なくとも、今までそういう感情を抱いた相手はみんな女性で――
「……なんだ、そんなことか」
すると、どこか呆れたように微笑みそう口にする瀬那くん。……ひょっとして、僕の勘違い……と言うか、思い上がりだったのかな? まあ、もちろんそれならそれで良い。むしろ、彼のためにもそうであった方が――
「――悪いが、俺はお前を諦めてやるつもりはない。例え、叶わない想いでも……それでも、俺は誰よりお前が好きだよ、逢糸」
「……瀬那、くん」
すると、僕の思考を遮るように、太陽よりも眩い笑顔でそう放つ瀬那くん。……馬鹿だなぁ、ほんと。僕なんかには、本当にもったいないよ、その気持ちは。
それに……どれだけ想ってくれても、僕は応えられない。だから、その気持ちは今すぐにでも他の誰かに向けるべきで。……なのに――
「……逢糸?」
すると、今度はポカンとした様子で僕の名前を口にする瀬那くん。……まあ、それもそのはず――卒然、僕の右手がそっと彼の左手を取ったのだから。
……うん、自分でも分からないよ……なんで、こんなにも胸が痛むのか。




