部屋に充満していく悪臭。
――カビ妖精を焼いて食べてしまった、その直後。
「ぐっ……は、腹が……っ!」
サンジが腹を押さえてうずくまり、炎の羽根がしゅんと萎えていく。
「サンジ!? ど、どうしたの!」
アスカも青ざめて飛び降り、両腕で腹を抱える。
「わ、私も……おなか……痛い……」
檻の中でふたりの妖精が同時に苦悶する姿は、先ほどまでの甘い雰囲気と正反対。
「……なんか始まったね」
兎子がスナックを口にしながら呟く。
「はっ……腹てぇ……! と、トイレはどこだ!」
「ちょっ、妖精ってトイレいるの!?」沙月が思わず叫ぶ。
「いるわよ! 妖精だって恥ずかしいんだから、野糞とか嫌よ!」
アスカの切実な叫びに、真子が腕を組んで感心したようにうなずく。
「ほう……妖精にも“恥ずかしい”とかあるのか。勉強になるな」
「いや、感心してる場合!? これはかなり切実な問題なんだから!」
沙月は慌てて立ち上がるが、すぐに兎子に突っ込まれる。
「なにその真面目モード。お姉ちゃんらしくないよ?」
「私はいつでも真面目だもん!」と反論する沙月に、真子が冷ややかに首を傾げる。
「まあまあ。で、どうする? 妖精のトイレ問題」
苦悶するサンジとアスカを前にして、三人の会話はどこかズレたまま。
切実さと呑気さのギャップが、部屋の空気を一層カオスにしていた。
部屋の隅でサンジとアスカが「うぅ……腹が……!」と悶えている最中。
「……あのさ」
沙月がぽつりと手を挙げる。
「なに?」兎子が振り返る。
「……私もしたい」
一瞬、空気が凍りついた。
「えぇぇ!? なんでお姉ちゃんまで!?」兎子が素で悲鳴を上げる。
「カビなんて食べてないのに、どういうことだ?」真子が眉をひそめる。
「知らない! でも……したいんだもん!」と半泣きで訴える沙月。
真子は冷ややかに腕を組み、あっさりと言い放った。
「……お前の部屋だろ。その辺の隅でやれ」
「ひどっ! そんなの嫌だよぉ!」沙月はブンブンと首を振る。
兎子はもう匙を投げたように肩をすくめる。
「じゃあさぁ、トイレの妖精でも呼べば? ほら、勝手に来るでしょ妖精」
「……それはたしかに助かる!」と沙月の目が一瞬で輝く。
「誰か早く来てぇぇぇ!」と天井に向かって叫ぶのだった。
切実な妖精の腹痛と、人間側の唐突な爆弾発言。部屋はますますカオスに包まれていった。
ドカーン! という効果音でも聞こえそうな勢いで、窓からひときわ眩しい光が差し込んだ。
「お前らの悪行三昧、この俺が成敗してくれる!!」
声と共に現れたのは、白銀のマントを翻す、小柄な青年の姿だった。
「な、なんか来た!」沙月が身をすくめる。
「……誰?」兎子が首を傾げる。
「俺の名はケント! 紙の妖精ケントだ!」
正義感を全開にしたその宣言に、部屋の空気が微妙にずれる。
「……紙?」沙月がぽつり。
「トイレットペーパーだ!」真子が即答する。
「やった! 助かったぁ!」と沙月が両手を合わせる。
だが、当の本人はカッと目を見開いた。
「違う! 俺はお前らと戦うために来たんだ! 紙を配るためじゃない!」
「……紙を置いて帰れ」
腹を押さえながら、サンジが低い声で呟いた。
「えっ」ケントは面食らう。
「紙を置いて帰れ!!」
サンジは今にも吐きそうな顔で、しかし炎をまとわせて威嚇した。
「サンジ!? お前正気か!? 俺はお前を助けに来たんだぞ!」
「助けたいなら紙を出せ!!」
その切実すぎる迫力に押され、ケントは後ずさる。
だが次の瞬間――
バサッ!
「捕まえたわよ!」沙月が飛びかかり、兎子が縄を差し出した。
「ナイスお姉ちゃん!」
あれよあれよという間に、ケントは机に縛り付けられる。
「くっ……正義が……悪に屈するとは……!」
「違うわ。正義じゃなくて紙が欲しいだけよ」真子が冷静に言い放つ。
こうして“紙の妖精”は、勇ましい登場から一転、完全に人質へと転落したのだった。
部屋の空気がどよめいた。
今度は床下からゴゴゴと響き、白い光がせり上がる。
「サンジ! アスカ! 助けに来たぞ!」
現れたのは――まさかの便器型の妖精。
つややかな陶器の輝きと、水滴のきらめきを背に堂々と立っていた。
「……うわ」兎子がドン引き。
「やだぁ、あれ食べたくない……」沙月は顔をしかめる。
「完全に食欲失せたわね」真子は冷静に分析。
だが、苦しげに腹を抱えていたサンジが叫ぶ。
「アレク! あれは……トイレの妖精だ! 利用できる!」
「ほんと!? 助かったぁ!」アスカの顔が一気に輝いた。
「待て! 来るなアレク! 罠だ!!」
机に縛られたケントが必死に警告する。
しかしその声は、切実な腹痛にのたうつ二匹の妖精には届かない。
「今よ!」
「網持ってきた!」
バサッ!
沙月と兎子が連携してアレクに飛びかかり、網でガッチリ拘束。
「捕まえた!」
「これでトイレ確保だね!」
「な、なにをする! 俺は助けに来たんだぞ!」
「いいからトイレを出せ!」サンジの声が悲鳴に近い。
「うるさい! 早く! もう待ったなしなのよ!」アスカまで迫る。
便器型の妖精アレクは混乱しながらも、必死に答えた。
「わ、わかった! 落ち着け! トイレを出すからぁ!」
正義も理屈も一切無視。そこにあるのはただ切実すぎる生理現象――。
こうして“トイレの妖精”も、見事に捕獲されてしまったのだった。
「いいから早くトイレを出せ!」
サンジが机の上で炎をチラつかせ、必死に脅す。
「な、何を言っているんだ!? 意味がわからん!」
便器型の妖精アレクは網に絡め取られ、ジタバタともがいていた。
「わからなくていいの! 早くしないと本当に間に合わないんだから!」
アスカは冷気を放ちながら、必死に迫る。
「もう限界ぃぃ!」
沙月の切羽詰まった声が響き、部屋の空気は一気に修羅場へ。
「お前がトイレの妖精なんだろう! だったら見せてみろ! 力を!」
真子の冷酷な一言がトドメとなり――
「わ、わかったぁ! 出す! 出すからぁ!!」
アレクは震える声で宣言した。
次の瞬間、床にポンッと現れたのは……
「……おまるじゃん」
沙月がぽつり。
「おまるだね……」兎子が顔を引きつらせる。
「処理に困るやつ出してんじゃないわよ!」アスカが思わずツッコミ。
「でも……もう無理……する!!!」
沙月は開き直り、ついにおまるに駆け込む。
こうして、人間と妖精を巻き込んだ“究極に切実な戦い”は、思わぬ形で決着を迎えるのだっ
「……おまるかぁ」
兎子が腕を組んで、ものすごく複雑な顔をした。
「出すのは出すけど……処理どうするのこれ」
真子も冷徹に指摘する。
「そんなこと言ってる余裕ないの! もう無理! する!!」
沙月が両手をわたわた振り回しながら、おまるへと突撃。
「ちょっ……待て、俺も……!」
サンジが腹を押さえ、苦悶の声をあげながら後を追う。
「サンジぃぃ! 私ももう限界なのよ!」
アスカも涙目で加わり――
――数分後。
三人と二匹の妖精が、肩で息をしながら揃ってこう呟いた。
「「「……すっきり」」」
部屋の中には妙な達成感と、不条理なギャグめいた空気だけが残った。
腹痛にのたうち回っていたサンジとアスカが、しばらくすると嘘のように表情を明るくした。
額の汗を拭い、二人は同時に深呼吸する。
「……はぁ、すっきりしたな」
「ええ、やっと楽になったわ」
さっきまで死にそうな顔をしていた二人が、次の瞬間には妙に元気そうに顔を見合わせる。
そしてアスカが、さらっととんでもないことを口にした。
「さっ、すっきりしたことだし……食べる?」
「そうだな。きっと美味しいに違いない」
妙に楽しげに微笑み合い、周囲を物色する二人。まるで新しい獲物を探す狩人の目だ。
「……懲りないな、この二人」沙月が思わず呟く。
「いやいや、さっきカビ食べて腹壊したばっかじゃん。絶対またお腹壊すよね」兎子はあきれた声で笑う。
「学習能力がないというか……いや、もう妖精食いに完全にハマってるんだな」真子は冷静に結論づける。
サンジとアスカはそんな人間たちのツッコミを完全に無視し、次なる“料理”の登場を待ち構えていた。
腹痛から完全復活したサンジとアスカが獲物を探すように目を光らせている横で、兎子のお腹がぐうと鳴った。
「ねぇ、もういい加減まともなの食べたくない? 次はケーキの妖精とか来てよ!」
「急に贅沢言い出したな」沙月が呆れ顔で返す。
「じゃあステーキの妖精でもいいよ。焼きたてでさ、肉汁じゅわーってやつ!」
「そんな都合のいい妖精いないから!」沙月は慌てて手を振る。
「じゃあチョコの妖精で。チョコなら妥協できる」
「妥協ライン低いようで高いんだよ! お姉ちゃんにそんな力ないってば!」
悲鳴混じりに叫ぶ沙月をよそに、真子は腕を組みながら冷静に現状を整理する。
「まあ、食うにしても紙は残しておいた方がいいな。消耗品だからな」
「真子、冷静に実用品を判断しないでよ!」
「いやだって、なくなったら困るだろ」
兎子と沙月が空想のごちそうに浮かれる一方、真子だけは生活感丸出しの冷徹判断。
そんな三人の温度差に、サンジとアスカは「どの妖精が来ても食べればいい」とばかりに牙を研いでいた。
不意に、部屋の空気が変わった。
ひやりとした気配と共に、天井の隅から声が響く。
「ふふふ……さて、私はなんの妖精でしょうか?」
クイズ番組の司会者みたいなノリだったが、返事は冷淡だった。
「……は? クイズとかいらないんだけど」兎子が即答する。
「いらないよね」沙月も頷く。
「なんで登場早々にめんどくさくするんだ」真子は眉間に皺を寄せた。
やる気ゼロの三人にかまわず、声の主はさらに芝居がかった調子で続ける。
「さあ当ててみたまえ! 私は一体、なんの妖精でしょう?」
その瞬間――。
「……っ!」沙月が鼻を押さえた。
「なにこの臭い!? 部屋全体が……腐ってるみたいに!」
「ほんとだ、やば……クイズより先に窓開けてよ!」兎子も顔をしかめる。
「これは……ただ事じゃないな」真子も険しい表情で立ち上がる。
部屋に充満していく悪臭。
声の主は不気味に笑いながら、姿を現そうとしていた。
やがて声の主が姿を現した。
全身から立ち昇るような芳香――いや、暴力的な悪臭をまとった、トゲだらけの奇怪な姿。
「私はドリアン……そう、フルーツの王様の妖精だ!」
胸を張るその姿は、堂々としている。だがその足元からは、毒ガスのような臭いが渦を巻いて広がっていた。
「くっさぁぁぁ!!!」
沙月が即座に窓を全開にする。
兎子も鼻を押さえて叫ぶ。「死ぬ!絶対これで殺される!!」
「換気しろ!窓をもっと開けろ!」真子も慌ててカーテンを引きちぎる勢いで窓を解放した。
だが――。
「無駄だよ!」と妖精は誇らしげに笑う。
「僕の香りは閉じ込められない!それどころか、身体にいいんだ。ビタミンB、ビタミンC、食物繊維にカリウム!美肌効果、疲労回復、滋養強壮! 食べれば最高に健康になるんだよ!」
「説明いらない!臭い止めろぉ!!」
「身体より先に精神が死ぬって!!」兎子が涙目で悲鳴をあげる。
「栄養語ってる場合か……窓開けても止まらないぞこれ……」真子も顔をしかめ、珍しく額に汗を浮かべた。
部屋はフルーツの王様を名乗る妖精の悪臭に満たされ、まさに地獄絵図と化していた――。
部屋の中はすでに修羅場だった。
鼻をつまんでも、息を止めても、どうにもならない。空気そのものが腐敗した果実の匂いに変質している。
「……もう無理……っ」沙月が膝をつき、涙目で訴えた。
「このままじゃ臭いで殺られるわ。食べちゃうしかない!」
「食べる!?」兎子が絶叫する。
「ちょっと待って、正気なの? こんなの毒ガス兵器だよ!? 鼻から入れたら死ぬやつだよ!?」
しかし――。
「そうだな、食べるしかない!」サンジが立ち上がった。
「この臭いを断ち切るには……俺たちが腹に収めるしかない!」
「ええ、食べましょう!」アスカも目を輝かせる。
「王様を名乗るくらいですもの。味は保証されているはず!」
「保証なんてないよ!!」兎子が机にしがみついて必死に否定する。
だが沙月は決意を固めた顔で振り返る。
「お姉ちゃん、みんなで食べるよ!」
「巻き込むなぁぁ!!!」
兎子の悲鳴が響く中、三人と二人の妖精は、ついに地獄の果実に手を伸ばした――。
――そして。
ドリアンの妖精は、壮絶な悪臭を撒き散らしたまま、あっさりと食べられてしまった。
「……何しに来たんだろうか?」
誰ともなく、そんな冷静すぎるツッコミが漏れる。
腹の空きは、まあ多少は満たされた。
だが――。
「うっ……臭いが全然消えない……!」
「食べたのに臭さ残るとか、詐欺だよねこれ……」
「食後の爽やかさゼロどころかマイナスだな」
窓を全開にしても、換気扇を回しても、部屋は依然として“ドリアンの亡霊”に支配されていた。
「うぇぇぇ……もう無理、気絶する……」
「臭いで満腹感が上書きされるとか……ある意味効率的?」
「やかましい! 次は絶対、まともな妖精を呼べぇぇ!」
結局、妖精たちの“宴”は、食後の幸福感も満腹の喜びもなく、ただただ鼻を突く悪臭の残滓だけを置いて終わったのだった――。




