安全そうな妖精”ってなに
「ふふっ、自由に飛び回れるっていいわね」
氷の羽を広げたアスカが宙でくるりと回り、恍惚とした笑みを浮かべる。
「そうだな。俺たちを縛るものはなにもない――愛は、自由だ」
サンジは火の尾を引きながら手を差し伸べ、二人はまるで恋人たちの舞踏会のように空を舞った。
……が。
下から見上げる三人は、どうにも釈然としない顔をしていた。
「ねぇお姉ちゃん、あれ放置していいの?」兎子が指をさす。
「……暑苦しさが倍増してるんだけど」
「ほんとだよ、サンジが燃えてるせいで部屋ムシムシだし」沙月もげんなり。
「ていうかさ……お姉ちゃんの部屋の臭い、倍増してない?妖精解放したら余計に臭くなった気がするんだけど」
「えっ、そんなことないよ!これがいつもの匂いだってば!」沙月が必死に否定する。
だが真子は淡々と一刀両断した。
「いや、確実に臭いぞ」
「……真子まで!」
兎子が肩をすくめる。
「妖精たちはなんともなさそうだけどね」
「当然だ。妖精は人間みたいに鼻がないからな」真子は事実だけを告げる。
アスカが誇らしげに笑う。
「そうよ、そもそも“臭い”なんて概念が存在しないの」
「……羨ましいな、この臭さを感じなくて済むなんて」
兎子が本気で呟いた。
「ひどい!」沙月はぷくっと頬をふくらませる。
「私は全然感じてないよ!」
「……お姉ちゃんは普通じゃないから」
「そうだな、異常ではあるな」
「二人して酷すぎない!?」
頭上で「愛は自由だ!」と叫び合う妖精カップルと、下で「臭さ倍増」だの「羨ましい」だの言い合う三人。
その温度差はもはや別世界だった。
――そのときだった。
「おまえら……妖精を食う鬼だ!」
不気味な声が部屋中に響いた。
一瞬、場の空気が凍る――はずだった。
「……なんか来たよ」兎子がポツリ。
「うん。でもさ、変なの以外来たことなくない?」沙月がケロッと返す。
「確かに」真子は涼しい顔で頷いた。
「ふふ……震えろ、人間ども!」声はさらに威圧感を込めて響き渡る。
しかし三人の反応は相変わらずマイペースだ。
「ていうか、これまた食料の匂いする?」兎子が首をかしげる。
「妖精=食材って考え方やめなよ」沙月が苦笑。
「いや、食料なら歓迎だ」真子が冷徹にまとめた。
「おまえら……聞け!恐怖せよ!」声は怒鳴る。
けれど三人は完全に慣れっこで、緊張感ゼロのまま。
結局、部屋に漂うのは「迫る脅威」ではなく、「いつもの食料候補が来た」程度の空気感だった。
「ふふっ……自由に飛び回れるって、なんて気持ちいいの」
「そうだな、俺たちを縛るものは何もない。愛は自由だ」
アスカとサンジは、互いの手を取り合いながら宙を舞っていた。
柔らかな氷の光と、揺らめく炎のオーラが交じり合い、部屋の中に淡い輝きを散らしている。
二人の間には誰も割り込めない、甘くて楽しげな囁きが響いていた。
「……あれ、いいのかな」
沙月が眉をひそめる。ついさっきまで自分を殺そうとしていた存在が、いまは恋人ムード全開で飛び回っている――どうにも引っかかる。
「お姉ちゃん、あいつらがイチャイチャするの止めさせてよ」兎子がぶつぶつ言いながら鼻をつまむ。
「ていうか臭い、なんかいつもの部屋より臭さ増した気がするんだけど。倍増っていうか……充満してる」
「……確かに、妖精の気配が濃い」
真子の声は冷静だった。目を細めると、彼女だけがはっきりと空気の質の変化を感じ取っていた。
「近くに、まだ別の妖精がいるな」
氷と炎の二人が甘美な光景を演出する一方で、人間側には得体の知れない不安と不快感が募っていく。
その温度差が、場の空気を不思議なものにしていた。
その時だった。
部屋の片隅から、かすれたような声が漏れた。
「なんで……なんでなの……僕は妖精だよ……カビの妖精……とっても爽やかな妖精さ……」
現れたのは、ふらふらと漂う小さな影。輪郭は曖昧で、常に胞子のようなものをまとっている。弱々しい……けれど、見ているだけで背筋がむず痒くなる、不気味な存在感だった。
「……爽やかって、どこが?」沙月が思わず眉をひそめる。
「うん、絶対に爽やかとは縁遠いよね」兎子も即ツッコミ。
だが次の瞬間、空気ががらりと変わった。
「お姉ちゃん……これ、食べていいやつかな?」
「お腹壊しそうだけど……食べれるなら食べたいな」兎子の声は期待に満ちていた。
「……おまえら」沙月が顔を覆う。
「真子はどう思うの?」
「食べられるなら問題ないだろ。試す価値はある」真子は露骨に即答。
「えぇ……もう二人とも食欲丸出しなんだけど!」
弱々しく揺らぐカビ妖精。
その前で「食べるかどうか」の相談を始める三人。
妖精と人間――恐怖と欲望の温度差が、ここにきて最悪のかたちで露呈していた。
「――もう凍りなさい!」
アスカが両腕を振り上げた瞬間、室内に冷気が走った。
カビの妖精はびくんと震え、そのままふわりと揺らぎながら声をもらした。
「……あ、あぁ……寒い……眠く……なってきた……僕……眠るよ……」
ぽすん、と。
まるで安眠モードに入ったように、空中で目を閉じて完全停止。
「寝た……?」兎子が小声で。
「死んだんじゃないの?」沙月が覗き込む。
「カビは冷凍しても死なない。眠ってるだけだな」真子が冷徹に断言する。
三人は顔を見合わせ、同じ言葉を同時に口にした。
「「「――今だ!」」」
空気が一気に“狩人”のものに変わる。
腹の虫が鳴る音まで聞こえてきそうな勢いだ。
檻の中でアスカとサンジが同時に叫んだ。
「ちょ、ちょっと待って!それ本当に食べる気!?」
「俺たち妖精から見てもアウトだぞ!カビだぞ!?危険だぞ!?」
必死に声を張り上げる二人。
だが三人の視線はカビ妖精から離れない。
「わかった……!」
サンジがしぶしぶ炎を灯した。
檻の中から伸びる炎が、氷漬けのカビ妖精をじゅわっと包み込む。
ジューゥゥ……。
湿った臭いと焦げた匂いが部屋いっぱいに広がった。
「おお、焼けた!」兎子が歓声を上げる。
「完全に食材だな」真子も冷徹にうなずく。
沙月は顔をしかめつつ、「……臭い、なんか独特……」と呟いた。
アスカは逡巡しながらも、凍った仲間を見つめ――そして一口。
「……っ!?お、美味しい……!でも……っ」
次の瞬間、アスカが腹を押さえ、膝から崩れ落ちた。
「う……お腹が……!サンジ、なんだか苦しいわ……!」
「アスカ!? 俺もだ……!」
サンジもまた腹を抱え、顔を真っ青にして転げ回る。
「う……う〇ちが……止まらねぇ……!」
二人の声が重なり、部屋は一瞬にして修羅場と化した。
「……やっぱりな」真子が冷静に結論づける。
「カビは熱で焼いても、毒素までは消えない」
「えええっ!?先に言ってよ真子っちゃん!」沙月がツッコむ。
兎子はあきれたようにため息をつきながら、
「……学んだね。カビは食べちゃダメ」
そして、床で悶絶する二人の妖精に向かって、三人はしれっと総括するのだった。
床に崩れたまま、腹を押さえて悶絶するアスカとサンジ。
「……サンジぃ……胃が……破裂しそう……」
「……くっ……俺まで……! なんでだよ、なんで俺たちだけ……!」
沙月は慌てて真子を振り返った。
「ね、ねぇ真子……。カビって食べたらダメなんでしょ? 今さら冷静に言ってたけど……最初から知ってたの?」
真子は肩をすくめ、あくまで淡々と答える。
「まあ、普通に考えれば分かることだろ。人間でも妖精でも、毒は毒だ」
兎子が目を見開き、疑念の色をあらわにした。
「え、それ……知ってて食べさせたってこと? 完全に実験台じゃん!」
「ち、違う!」沙月も眉をひそめる。
「真子、あんたまさか――」
「……いや、妖精ならワンチャン大丈夫かなって思っただけだ」
平然と口にされたその一言が、部屋の空気を一変させた。
アスカが青ざめた顔を歪め、絞り出すように叫ぶ。
「私たち……実験にされたってこと……!? 絶対許さない!」
「おい真子……! 人をなんだと思ってやがる……!」サンジも苦悶しながら睨みつける。
重苦しい沈黙。
沙月と兎子は互いに顔を見合わせ、笑うに笑えず――。
「……学んだね、カビは食べちゃダメ」
「……うん、絶対にね」
反省したフリをしつつも、すぐに別の話題へと気を逸らそうとする二人。
だが、サンジとアスカの「被害者の目」は鋭く、信頼の亀裂がじわじわ広がっていくのだった
「……うっ……お腹が……」
「う、うぅ……サンジ……わたし……もう……」
アスカとサンジは床に転がり、顔を真っ青にしてのたうち回っていた。
その様子を見下ろしながら、真子が冷静にひと言。
「……学んだな。カビは食べちゃダメだ」
沙月が慌てて振り返る。
「え、それ今!? もっと早く言ってよ!」
兎子が苦笑交じりに指を立てる。
「しかもサンジとアスカに食べさせてから言うの、タイミング最悪じゃない?」
真子は肩をすくめて、さらりと答える。
「妖精なら耐えられるかと思った。……どうやら、妖精のお腹は繊細らしい」
「繊細って! なんでそんな当たり前のこと、今さら発覚してんのよ!」沙月が全力でツッコむ。
「だよねー。お姉ちゃんより妖精の方が繊細なんて、ちょっと意外だったわ」兎子がケラケラ笑い、
「ひどい!」沙月が涙目で抗議する。
――しかし次の瞬間には、三人ともけろりと話題を切り替えていた。
「まあいいや。次は安全そうな妖精を探そっか」
「そうだな。腹も減ったし」
「ちょっと待って! “安全そうな妖精”ってなに!? 反省してよ!」
サンジとアスカの苦痛の叫びをよそに、三人は反省したフリだけして、結局食糧事情の話に戻っていった。




