14-2 水源を守る
恋愛ドラマとサバイバルの両立。
この不可思議な同居こそが、次の戦いと生活の布石になるのだった。
サンジがアスカの名を叫びながら駆け出した瞬間、部屋の空気が一変した。
先ほどまで氷気に満ちていた空間に、じりじりとした熱波が押し寄せる。
「アスカぁ!」
炎の妖精が一歩踏み込むたび、床板が軋み、空気は灼けるように揺らぐ。
縛られた机の上で、氷の妖精アスカの白い肌からは淡い蒸気がふわりと立ちのぼった。
しずくが頬を伝い、ぽたりと落ちた雫はすぐに床に小さな水溜まりを作る。
「うっ……熱い……! サンジ、だめ……近づかないで……!」
その声は切実で、かすかに震えていた。
氷の結晶で覆われていた彼女の髪先までもがじわじわと溶け落ち、命そのものが削られていくように見える。
だがサンジはなお、必死の形相で彼女へと手を伸ばしていた。
――二人の間に走る、恋と死の危うい均衡。
沙月たちはただ、呆然とその光景を見つめるしかなかった。
サンジはその場で立ち止まったものの、顔を引きつらせ、必死に叫んだ。
「アスカ! だめだ、近づけない……俺のせいで、お前が溶けてしまう!」
伸ばした腕は震え、けれども触れることすら許されない。
炎の妖精としての存在そのものが、愛する者を蝕んでいる――その残酷な現実がサンジを締め付ける。
「俺は……お前を守りたいのに……! それなのに……俺の存在が……!」
声はかすれ、目には焦燥の色。
アスカは机の上で息を荒げ、白い蒸気を上げながら弱々しく彼を見つめる。
「サンジ……お願い……離れて……」
サンジは両手で頭を抱え、絶望の中で叫んだ。
「お願いだ! 誰か! 人間でもいい、誰でもいいからアスカを助けてくれ!!」
炎のオーラをまといながら、彼はまるで自分自身を呪うように嗚咽する。
恋人を守りたい気持ちと、触れられない現実の板挟みに、炎の妖精は苦悶していた。
沙月は慌てて椅子から立ち上がり、両手をぶんぶん振り回した。
「えっ、ちょっと待って!? 水源が消えちゃうの!? やばくない!? 私たち今日これで生き延びる予定だったんだけど!?」
兎子は目をまん丸にし、机の上でじわじわ小さくなっていくアスカを指差した。
「ていうか……妖精って溶けるの!? 氷菓子か何かなの!? アイスバーなの!?」
アスカは「ち、ちがうわよ!」と弱々しく抗議するが、湯気混じりの声に説得力はない。
真子は額に手を当て、必死に冷静さを保とうとしていた。
「……要するに、炎の妖精と氷の妖精は近づけないってことだな」
淡々と分析を口にするが、視線の端ではアスカの水滴が床を濡らしていく。
その光景が、三人の焦りをより一層煽っていた。
沙月「待ってよ真子! “要するに”じゃなくて! これ水源が蒸発中なんだけど!?」
兎子「ねえねえ本当に氷菓子みたいになってない!? シロップかけたらおいしそうなんだけど!」
真子「……お前ら、少しは真剣になれ」
部屋の温度は上昇し、焦りとツッコミが入り交じる、妙にコミカルな危機だった。
アスカの身体は、まるで氷像が崩れ落ちるように輪郭がぼやけ、透きとおっていった。
机に縛られた腕からは細い雫が滴り、床に落ちて水溜まりを作る。
「……っ、うぅ……寒いんじゃなくて……熱い……」
か細い声が、今にも消えてしまいそうに震えていた。
サンジはその姿に膝をつき、炎をまとった拳を握りしめながら涙を浮かべる。
「アスカぁぁ!! 俺と一緒にいるとお前が死ぬなんて……そんな運命、俺は認めないっ!」
熱気を放つたびにアスカが苦しげに息をもらし、サンジの存在そのものが刃となっていた。
沙月は思わず叫ぶ。
「ちょっと! 泣いてる場合じゃないよ! あんたのせいでアスカが氷から水になっちゃうんだけど!?」
兎子も額を押さえ、半分ツッコミ、半分悲鳴をあげる。
「もう恋愛ドラマしてる場合じゃないってば! これ“水の妖精確保作戦”が“妖精消滅エンド”に変わるから!」
真子は冷静な顔を作ろうとしたが、眉間のしわが深くなる。
「……冗談抜きでまずいな。こいつ、サバイバル資源としても恋人としても死にかけてる」
サンジの慌てぶりと三人のツッコミが入り交じり、コミカルでありながらも緊張感は急上昇。
氷の妖精アスカの命も、水の供給源も、このままでは失われてしまう。
部屋の空気が、汗と熱と焦燥で、限界まで張り詰めていった。
真子は一歩前に出て、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
その声は戦場の指揮官のように、重く、だが迷いなく響く。
「……サンジをアスカから引き離すしかない」
その一言に、部屋の空気が凍りついた。
「なっ……!? 俺からアスカを引き離すだと!?」
サンジは叫び、必死に前へにじり寄ろうとする。だが近づくたびにアスカの身体はさらに薄れ、白い蒸気が激しく立ち上る。
「やめてサンジ! これ以上は……私、本当に……!」
アスカの声が、消え入りそうにか細い。
沙月は両手を振り回し、半泣きで抗議する。
「ちょ、ちょっと待って! そんなことしたら恋愛的に完全に修羅場になるじゃん!」
兎子も肩を抱えて震える。
「ていうかさ……これ、水源守るか恋愛守るか、二択が重すぎるんだけど!」
真子は二人の声を冷静に切り捨てるように答えた。
「どちらにせよ、このままじゃ両方を失う。だから拘束するんだ。アスカも守り、水も確保し、ついでに恋人関係も生かす」
「そ、そんな無茶苦茶な三方よし理論ある!?」
沙月と兎子が同時にツッコミを入れる。
サンジはなおも涙目で叫ぶ。
「俺はどうなってもいい! だからアスカを助けてくれ!」
真子はその声を聞きながら、無言で腰の網――先ほど使った「虫取り網GT-R」を再び手にした。
そして淡々と告げる。
「……では、捕獲作戦を開始する」
緊迫とコミカルが入り交じる空気の中、新たな捕獲戦の幕が開こうとしていた。
――熱気が、さらに濃くなる。
サンジがアスカのもとへ駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
「――ッ!」
アスカの身体から、白い蒸気がぶわりと立ちのぼった。氷の輪郭がじわじわと崩れ、しずくが床に落ちて小さな水溜まりを作っていく。
「サンジ、来ないで……! これ以上は……わたし、溶けちゃう……!」
声は弱々しく、今にも消えてしまいそうに揺れる。
しかしサンジは足を止められなかった。
「アスカぁぁ!!」
涙で目を赤くしながら、ただ必死に彼女へ手を伸ばす。
――その熱気は、彼の焦燥そのもの。
近づけば近づくほど、アスカの命を削ることが分かっていても、止まれない。
室内の空気は灼熱と冷気の境目を越え、緊迫した張りつめた膜のように震えていた。
沙月も兎子も、思わず息を呑む。
このままでは――氷の妖精が、消えてしまう。
――緊急事態だった。
――空気が張り裂けそうなほど熱を帯びた、その刹那。
「……もう仕方ない」
真子が低くつぶやいた。
彼女の手には――あの無駄にゴツい、謎改造済み「虫取り網GT-R」。
先ほどアスカ捕獲に使ったばかりの兵器が、再び戦場に投入される。
「えっ!?ちょ、ちょっと待って真子っちゃん!?」と沙月が慌てて声を上げるが、真子は冷静そのもの。
「水源を守る方が先決だ」
――ヒュッ、と一閃。
網は迷いなく炎の妖精サンジに襲いかかり、そのまま――ガシャン!
「ぐわっ!? なんだこれ!! 燃やせねぇ!? 俺の炎が通じねぇぇ!?」
サンジは網の中でジタバタともがき、まるで巨大な虫を捕まえたかのように情けない声を上げる。
「よし、引き離す!」
真子が手際よく柄を引き寄せると、ズルズルとサンジはアスカから遠ざかっていった。
「サンジっ!!」
必死にアスカへ伸ばされた手は、空を切る。
アスカの身体から立ち上る蒸気は徐々に収まり、辛うじて彼女は氷の姿を保ち始めた。
――水源確保、成功。
ただし、犠牲になったのは妖精たちの尊厳であった。




