13-2 「だ、誰が代替品よぉぉぉ!!」
沙月は両手を握りしめ、まるで自分の祈りが現実を呼び寄せると信じ込むように声を張り上げた。
「水!! 次こそ水の妖精!!」
乾いた喉から迸るその叫びは、切実さと焦りが混ざり合ったもの。だが同時に、力強さというよりはどこか空回りしているような必死さが漂っていた。
部屋に一瞬、奇妙な緊張感が走る。まるで本当に何かが呼ばれるのではないか――そんな期待と不安が入り混じり、三人の間にピリッとした空気が生まれる。
……だがその背後には、昨日の灼熱妖精を思い出すコミカルな焦燥感が、どうしても拭いきれず漂っていた。
沙月の顔は真剣そのもの。けれど目の下にはクマ、声のトーンはどこか情けなく、切羽詰まった叫びが逆に滑稽さを増幅させていた。
――果たして本当に、水の妖精は来てくれるのか?
真子は壁際に立ち、腕を組んだまま沙月の必死な叫びを冷めた目で眺めていた。
「……別に私は何もしてないよ」
乾いた声が放たれると、沙月はくるっと振り返り、真剣そのものの顔で身を乗り出す。
「頼んだぞ、真子っちゃん!」
その迫力に兎子が「なんでそんな頼み方なの」と眉をひそめる。だが当の真子は、まるで石像のように微動だにせず、さらりとした口調で言い返した。
「私は力ない」
あまりの淡白な否定に、沙月は「ええーっ!?」と声を裏返し、兎子は額に手を当てて天を仰ぐ。
「……ねえ、これもうお姉ちゃんの無駄なテンション劇場になってない?」
「なってないもん!ちゃんと呼べるはずなんだもん!」
切迫した状況なのに、三人のやり取りはどこかズレた掛け合いに転じていく。緊張感のはずが、部屋の空気は妙にコミカルな色を帯びはじめていた。
唐突に、室内の空気がキンと冷えた。
背筋を撫でるような冷気が走ったかと思うと、天井の隅に白い霧が集まり、そこから少女のシルエットが浮かび上がる。淡い青の髪がふわりと舞い、目元には凍りつくような光を宿していた。
「ふふっ……」
鈴のような声と共に、その少女は堂々と姿を現した。
「私は氷の妖精――アスカ。愚かな人間ども、あなたたちを氷漬けにしてあげるわ」
彼女の手先から細かな氷晶がぱらぱらと降り注ぎ、床に触れるたびに小さな霜の花が咲く。
不意を突かれた三人は一瞬目を丸くするが、その宣言は威嚇と同時に、待ち望んでいた存在の到来でもあった。
「き、来たぁぁぁ!!」
沙月は両手をぶんぶん振り回し、跳ねるように叫んだ。
「やった!でかしたぞ沙月!ついに水分ゲットだよ!」
――完全に自分で自分を褒めている。
真子は腕を組んだまま、氷の妖精アスカと、はしゃぎ倒す沙月を交互に見やり、ため息をひとつ。
「……半分バカ、いや三分の二くらいかもしれんな」
「ひ、ひどくない!?」と抗議する沙月の横で、兎子はぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「えっ……えっ……ホントに氷の妖精出てきちゃったの……?」
信じられないものを見るように目をぱちくりさせ、現実感のなさに頬を引きつらせていた。
――氷の妖精アスカが、両手に白い冷気をまとって今にも襲いかかろうというその瞬間。
真子がすっと一歩前に出て、腕を組んだまま低く言い放った。
「……今回は生け捕りだ。捕まえるぞ」
その声音はまるで特務機関の司令官。背筋を伸ばし、凛とした空気をまとっている。
だが舞台は沙月の散らかった部屋。相手は机の上に仁王立ちして「氷の嵐!」と叫んでいる手のひらサイズの妖精。どうにもシリアスとコミカルの温度差がひどい。
沙月は思わず「え、捕まえるって……虫みたいに言わないでよ……」と口を尖らせ、
兎子は「また真子っちゃんの作戦タイム始まった」と半ば呆れ顔で肩をすくめた。
だが真子の表情は真剣そのもの。まるで人類の未来を賭けた作戦を語っているかのような迫力だった。
沙月は思わず二歩、三歩と後ずさった。背中が散らかったベッドにぶつかり、情けない声が漏れる。
「えっ……でも私、虫とか絶対触りたくない……!」
その口から出たのは「妖精」ではなく「虫」。
小さな存在を本能的に拒否する悲鳴だった。
すると、机の上で冷気をまとっていたアスカの目がカッと見開かれる。
「――む、虫!?」
氷のオーラがばちばちと周囲に飛び散り、部屋の空気が一気に冷え込む。
「虫扱いすんなぁぁぁあああああ!!!」
妖精の怒号と共に、手のひらから生まれた冷気の渦がぶんぶんと振り回され、まるで即席の冷凍庫の中に投げ込まれたような寒気が押し寄せた。
沙月は「ひぃぃ!やっぱり虫じゃん!」とわけのわからない叫びを上げ、兎子は「怒らせたねぇ……」とぽかんと口を開ける。
真子だけが腕組みを解かず、冷気の中で淡々と「……だから言ったろ。余計なことは言うなって」と呟いた。
真子がゆっくりと鞄を漁り、ひときわ怪しい金属音を響かせながら取り出したのは――普通の虫取り網…ではなかった。
「仕方ない……これを使え、虫取り網GT-R!」
声高らかに掲げられたその網は、柄の部分に無駄に光るメタリックパーツがつき、網の枠は二重構造で補強され、さらには謎の赤いステッカーが貼られている。
どう見てもゴツすぎる。どう見ても改造しすぎだ。
そして、どう考えても「GT-R」と名付けられる理由が皆無だった。
沙月はそれを受け取った瞬間、顔を引きつらせる。
「……いやいやいや、これ絶対“虫用”でしょ!? 妖精相手に!? なんでスポーツカーみたいな名前ついてんの!?」
横から兎子が眉をひそめ、ぽつり。
「……名前からして胡散臭いんだけど。どうせ真子っちゃんが適当にステッカー貼っただけでしょ」
「黙れ。これは最新式だ。理論上、妖精だろうが何だろうが捕獲可能」
真子はなぜかドヤ顔を崩さない。
アスカは冷気を振りまきながら、プルプル震えていた。
「……やっぱり“虫取り網”って言ってるじゃない!!」
部屋の温度はさらに下がり、沙月の手の中で「GT-R」がやけに頼りなく光っていた。
アスカは怒りのオーラを全身から放ち、両手を天に掲げる。
「氷の嵐! 旋風氷丸っ!!」
冷気が吹き荒れ、部屋の空気が一瞬で白く凍りつく。だが――。
「え、えいっ!」
沙月は半ばヤケクソで「GT-R」を振りかぶり、勢いのままアスカへ突撃。
――バサッ!
「あ、あれっ……?」
狙いすましたかのように、氷の妖精アスカが網にスポンと収まった。
「キャーーーー!!な、なにすんのよ! 放しなさいってばぁぁぁ!」
網の中でジタバタ暴れるアスカ。しかし、羽ばたこうが冷気を飛ばそうが、改造補強された網はびくともしない。
沙月は両手で網を握りしめ、青ざめた顔でつぶやく。
「と、と、と、ととと……捕まえちゃった……!」
その背後で、真子が冷静に指示を飛ばす。
「よし。机に縛り付けろ」
「ちょ、ちょっと待って!? 妖精を机に縛るってどういう発想なの!?」
沙月が動揺している間に、兎子はすでに紐を用意していた。
「オッケー、真子っちゃん!」
慣れた手つきで網ごとアスカを押さえ込み、沙月と真子が左右から支える。
「離せぇぇぇ!!虫扱いすんなぁぁぁ!!」
アスカの抗議もむなしく、三人の共同作業で机の脚にしっかりと括りつけられてしまった。
――こうして、氷の妖精アスカは見事に「囚われの妖精」となったのであった。
「ちょっとぉぉ! 妖精を家具に縛るとか、正気なのあなたたち!? ねえ!?」
机にぐるぐる巻きにされたアスカが、身をよじって必死に抗議する。だが紐は解ける気配もなく、ただギシギシと机が揺れるだけだった。
網をまだ握りしめたままの沙月は、その場にへたり込んで息を切らす。
「はぁ……はぁ……も、もう無理……妖精って、こんなに体力使うんだ……」
頬は赤く、腕も震えている。ほとんど捕獲後遺症だった。
そんな彼女を横目に、兎子はのんきに机の上へ積もった氷を拾い集めていた。指先に触れた氷片はひんやりと気持ちいい。
「でもこれ……めっちゃ便利じゃない? 冷房にもなるし、氷も使えるし……正直、もうエアコンいらないんじゃない?」
沙月が「え、エアコンより妖精のほうがマシってどういう理屈!?」と抗議するより早く、真子が冷静に総括する。
「文明の利器が妖精に代替された瞬間だな」
机に縛られたアスカは、悔しそうに歯ぎしりしながら叫んだ。
「だ、誰が代替品よぉぉぉ!!」
部屋の空気はまだ氷の妖精アスカの冷気でひんやりしている。
沙月は捕獲成功の満足感で息を整え、兎子は机に積もる氷をじっと見つめ、真子は冷静に作戦を反芻していた。
――しかしその平穏は長くは続かなかった。
「アスカ!!助けに来たぞ!」
突如、部屋の扉が勢いよく開き、炎の妖精サンジが飛び込んでくる。
熱をまとったその姿は、まるで逆光の中で輝く戦士のようだった。
沙月の目は大きく見開かれ、兎子は思わず口をぽかん。
真子は眉をひそめながらも冷静に状況を分析する。
部屋の中――捕獲済みの氷の妖精アスカと、突如現れた炎の妖精サンジ。
ここから新たな騒動と、ちょっとした恋愛劇が始まろうとしていた。




